裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

火曜日

よい子悪い子府中の子

 フツオ、未成年なのに競馬なんかやったら駄目ヨ! 朝8時起床。朝食、昨日と同じローストビーフの焼きサンド。池波正太郎のエッセイに、彼が若い頃知り合った三井のじいさんという人物(株屋の外交)が出てくる。うなるほど金は持っているくせに役所の係長みたいな風采と暮らしぶりで、孫のような若い細君と暮らしている。ここに池波青年が茅場町の保米楼という店のローストビーフサンドをおみやげにして遊びにいくのだが、じいさんはそのサンドイッチを、無造作に飼っている二匹の猫に分け与える。これだけで、その爺さんの風采、人となりが眼前に浮かんでくるようで、読んで小説以上に“うまいなあ”と感心した描写だった。もっとも、猫が本当にローストビーフサンドイッチなんぞを食うかどうかは知らない。保米楼は“ほめろ”と読む。谷崎潤一郎の家の隣にあったという洋食屋で、いかにも昔の洋食屋という店名でいい。

 政治評論家・伊藤昌哉氏死去。85歳。こう言ってはなんだが、週刊誌などで顔を見るたびに、“しっかしひどいご面相の人だなあ!”と思っていた。あだ名が“ブーチャン”。ブーチャンとは戦後人気を博したジャズ・ピアニスト兼コメディアンの市村俊幸(黒澤の『生きる』でカチューシャの唄を弾く)の愛称だが、伊藤氏の場合は単に太って豚鼻だったから、のブーチャンであったろう。池田勇人の秘書官時代に、“これからの政治家はマスコミ向けの顔を持たなければいけない”と、冷たい感じのする銀縁眼鏡を鼈甲に変えさせ、庶民派をアピールするために記者会見でカレーライスを食べさせた。新時代を見越した名伯楽と称されたが、これも、自分が外見で若い 頃に悩んだ経験からの知恵ではなかったか?

 そう言えば書き落としていたが、昨日は脚本家・笠原和夫氏が肺炎で死去の報。享年75歳。新宿東映で学生時代、夏休みの帰郷を延ばしてまで『仁義なき戦い』全作品一挙上映オールナイトを観たときの、何というのか、凄いものを観たという疲労感と満足感のないまぜになった気分(館内にヤブ蚊がいて、サンダルばきだった私は右足の薬指を刺されて真っ赤に腫れ上がっていた)は忘れられない。娯楽映画というものが、ここまで人間を描き切れるのだ、という衝撃を私に与えてくれた作品だった。若いころにマキノ正博、佐々木康、佐伯清、沢島忠といった娯楽派の大家と組んでさんざしごかれた(と思う)経験と、後年にやや右傾化した作品を多く書いた原動力になった、戦後の日本人に対する思いが、ちょうどうまくバランスのとれた時期に、深作欣二、菅原文太という才能と出会うという、希有な運命の邂逅がもたらした、あれは奇跡のような作品であったと思う。……とはいえ、それで大家になって以降の作品にはどうもトホホなもの(『オーディーン・光子帆船スターライト』などのアニメも含めて)が多かったのも確かで、中でも“なんでアイドル映画の脚本をこの人に書かせるのか”と呆れた、中森明菜・近藤真彦主演の『愛・旅立ち』は、不治の病におかされた薄倖の少女・明菜の愛読書が『耳なし芳一』で、その芳一が明菜に死後の世界を案内するという、もう本当にワケツワカラン作品になっていた。今観たら、絶対に こっちの方が好きになるだろうが。

 冬コミ用に、夏コミで出した『ジャック・チックの妖しい世界』のバックナンバー(要するに売れ残り)を梱包し、ペリカン便で出す。集荷を午前中、と頼んだが、年末で混んでいるとかで2時半頃になってしまう。受取係が、配達日指定欄を見て、ははあ、こんな年末に同人誌即売会なんてものをやるんですねえ、と感心したようなバカにしたような口調で言った。私が集荷係でも言ったかもしれない。昼はそれを待つので外出できず、ガーリックチャーハンを作って食べる。

 肩が張って張って、どうにも仕事が進まない。ロフト斎藤さんと電話でやりとり、来年1月20日に朗読会決定。内容と題名を考え、『レトロエロ朗読会・明治大正艶情小説傑作選』とする。朗読は私、それに実演部隊でベギラマと宇多まろん。さらに誰か、ゲストを呼ぼうと算段する。

 4時、時間割にて週刊大衆記者S氏からインタビュー。二日酔いの珍対処法という記事。以前日経ヘルスに書いたものを読んで連絡をくれたとか。別に何も用意なく、知っている範囲でいくつか話すが、向こうは“いや、もうこれだけで記事が全部書けます”とありがたがってくれた。双葉社とはひさびさの仕事。以前、いしかわじゅん責任編集という『アクションラボ』にエッセイを書いて以来で、もう社の執筆者名簿からも名前が抹消されていたそうである。

 青山へ出て晩の買い物。帰って、これだけのことでガックリ疲れてしまう。仕事がらみ(もっとも、ほとんど趣味)でどうしても欲しい、古い映画のビデオがあって、ネット通販で売っているところはないかと探したが見つからず、思いあまって製作した会社に電話してみた。留守録だったのでその旨を吹き込んでおいたら直接電話があり、まだ在庫があるから送る、とのこと。これで気分はだいぶよくなった。

 その勢いでコチョコチョ仕事しているうちに夜。夕食の準備。今日は子羊肉と筍の中華風炒め、里芋と貝柱の煮物、それに豆腐あんかけ。DVDで『サインはV』。もう、ドラマのウソがバリバリといった展開で、今の視聴者にはこれは通じまい、というような場面が続出する。こういうのを許容できなくなったのは見るものの進化なのか、退化なのか。私は退化であると思うのだが。K子が“昔、骨肉腫というのは左腕がなくなる病気だと思っていた”と言ったのに爆笑。そのあと、戦記もののビデオなどを見ながら、少し酒を過ごしてしまった。もういっぺん『ベティの日本公演』。ベティの歌う“ひとつ大事ナー、トテ(モ)よきコトバー、ソーレはワタシの、ポポッピドゥー!”という歌詞が耳についてしまう。ここらあたりはまだ聞き取れるのだが二番あたりからだんだん怪しくなっていき、三番が“ミミナガヤー、トワモニニー、ソーレモイイデショ、ポポッッピドゥー!”……やはりハナモゲラの元祖か。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa