15日
日曜日
項羽とUFO
四面電波。朝、7時半起床。習慣でハリケンジャー見る。サーガインやられちゃったよお!(加藤礼次朗風)。傀儡師で、自分の体も実はロボットであり、本体は頭の中にいるアリ型エイリアン、という設定は『MIB』からだろうが、あまり生かされていなかったような……。朝食、スパゲッティ。ブラックコーヒー、ブドウ。新聞にブラッド・デクスター死去の報。『荒野の七人』仲間の一人、ジェームズ・コバーンの後を追うようにして、か。七人を演じた役者の名前を指折って数えていくと、この人でつまづく。実のところ、死んでいく四人の中では一番カッコいい死に方をしているんだが、他の連中がそれぞれその後ビッグになったのに、この人のみはプロデューサー業に色気を出して、そのために俳優の方はおルスになってしまった感がある。占領下の日本を舞台にしたロバート・フラーの怪作アクション『東京暗黒街』にも出演して来日しているし、『シャンプー』での珍演は、“これがあの『荒野の七人』の人か?”と驚くようなものだった。演技力がある分、スターになりきれなかった人なのだろう。
他に、テレビ番組案内で、セント・ルイスの星セントが癌から生還したのは支えてくれた相棒のおかげ、などと言っているとあった。驚いてネットで調べたら、去年の暮に突如倒れ、今年3月と5月に大手術を行った、とある。病気だったのか。まったく姿を見なくなって、“セント・ルイスの神隠し”なんて言われていたものだが。
母から恒例の日曜電話。私にとって母の記憶というと足のむくみ、ということが大きなファクターであった。これに年がら年中悩んでいる母の姿を四十何年、ずっと見てきたのであるが、なんと店を引退したとたんに、これが治ってしまったという。いかに店頭に立ち続けるということが大変なことだったか。
昨日古書市で買った本の中に、笑話研究家の金子登の『怪異こばなし集』(高文社1975年初版)がある。パラパラ読んでいたら、坂本龍馬の幽霊、という話が出てきた。坂本龍馬というのは明治の頃にはもうほとんど忘れ去られていた人で、今みたいに幕末の大スターになったのは司馬遼太郎が名を広め(実は昭和初期に白柳秀湖が龍馬評価を改めておこない、司馬先生はここからほとんどパクっている)て以降なのだが、例の日露大海戦の折り、昭憲皇太后の夢枕に龍馬の幽霊が立って、“私が艦隊につきそい、お守り申し上げますのでなにとぞご休心を”と告げた、という事件があり(皇太后は坂本龍馬という名を全く知らなかった)、これで龍馬の名が当時の国民にかなり、再認識された。この小話は、ここまでの知識がないと全く理解できない。皇太后が、夢から覚めて側近に“坂本龍馬とは何物です?”とお尋ねになり、側近がその業績や人となりを説明したあと、
「また、女性にだいぶもてた男のようで、妻のお龍のほか、多くの女性に慕われたよ うでございます」
するとそれを脇で聞いていた女官が
「なるほど、それで軍艦を手玉にとるのはお手のもの」
……これも、女性のあそこをその形状から“軍艦”と当時隠語で言った、という知識がないとサッパリわからない。これほど、理解するのに多方面の知識を必要とするこばなしも滅多にないであろう。
早川書房から、昨日まだ見てなかった『キッチュワールド事典(ガイド)』が宅急便で届く。Dちゃん描くところの私の顔はまったく“ぽっぺん先生”である。ベッドに横になって読み出す。誤植チェックなどのためだが(誤植一カ所、ゲラでの表記直し損ねの部分一カ所発見)、今回はかなりスッキリしたいい出来。校正を担当してくれた人が、魯魚の補正ばかりでなく、自分でいろいろ調べて、内容のつながりなどもチェックしてくれたおかげである。名前を出してお礼を言いたいくらいだ。
昼はハチバンラーメンのとんこつ。お歳暮の角煮を入れて。そのあと仕事にかかって、4時まで。買い物に出て、込み合う中、青山で夕食の素材など。明日、また仙台のあのつくんから野菜が届くので、あまり買い込まないで、とK子から厳命。買い控え買い控えしていたら、買い忘れ物がいくつか出てしまった。
6時新宿、サウナ&マッサージ。サウナは空いていたが、やはりマッサージは年末の仕事詰まりで肩や背中を腫らす人が多いと見えて、スケジュールがぎっしり。待つ間に、岡田さんとの対談原稿の赤入れ。だいぶ綺麗にまとめてくれている。文藝春秋のTさん、腕がいい。マッサージ師さんははじめての人。慣れていない人だと、私の左足にはビビって、強く揉んでくれない。やや、ものたりない。
8時半、帰宅。夕食の準備。お歳暮でもらったウナギは冬瓜と蒸し、同じくお歳暮のハチバンラーメンとキュウリ(これを買い忘れたので、K子に買ってきて貰った)でジャージャー麺。あとは湯豆腐。酒はこれまたお歳暮で貰ったしぼりたて原酒。これをロックで飲ったが、うまくてうまくて、がぶがぶ飲みまくってK子に途中で“もう止め!”としまわれてしまった。
DVDでいつもの『サインはV』。今朝、開田さんから“同人誌に載せる近況を”と言われたので、この『サインはV』ハマリのことを書き、“特撮モノに出ていた役者を登場人物から見つけ出すのが楽しい”と書いた。まずはナレーターがショッカー首領納谷悟朗、牧コーチがウルトラマン80のオオヤマ隊長中山仁なのを手始めに、中山麻里(緯度0大作戦)、和田良子(怪奇大作戦)、十朱久雄(丸出だめ夫←特撮ではないか?)、木田三千雄(ウルトラセブン)、村上冬樹(ガス人間第一号)、宮田洋容(同)、高野浩幸(超人バロムワン)、塩澤とき(レインボーマン)、奥村公延(悪魔くんのモルゴン使い)、とまあ出るわ出るわ。今回は浅丘とジュンにX攻撃用の特訓を受けさせる体育大学の鬼コーチ役でウルトラQ『燃えろ! 栄光』のダイナマイト・ジョーこと工藤堅太郎、X攻撃の秘密を執拗にさぐる新聞記者で東宝特撮のワキの顔の代表のような加藤春哉。見終わってK子は寝る。私はさらに、DVDで『ベティの日本公演』などを見る。ベティ・ブープが日本語の歌詞でププッピ・ドゥを歌う珍品である。それも、ハナモゲラではなく、きちんと(少しヘンだが)聞き取れる正確な日本語なのだ。他にもいろいろと見ながら、筒井康隆が『ベティ・ブープ伝』刊行記念上映会というものを行い、その会場の映写機の調子が悪く、回転がブレてピントも音も全作品ゆがんでしまい、壇上で頭を抱えていたのを思い出す。あれももう14年も前のことになるのか。思えばその年の暮に私は結婚した。独身時代最後に見た上映会がベティ・ブープのだったのだ。