6日
金曜日
半島にあった怖い話
ある日、死んだはずの拉致被害者が……(キャー!)。朝7時半起床。寝ぼけ眼でリビングキッチンに上がり(わが家のマンションはメゾネット式で、寝室の上にリビングがある)、暖房をつけ、湯をわかし、朝食の準備をする。その最中にグレープフルーツジュースをアイオープナーに飲むのが習慣なのだが、この時期はお歳暮で貰ったジュースを消費するので、種類がいろいろとなる。今日はリンゴジュース。ところで本来のアイオープナーとは朝、起きたときに飲む酒のことだそうで、シャンパンや果物味のリキュールだという。ヨーロッパ人は小原庄助さんの歌を知らんのか(知らんだろうな)。そのものズバリ、アイオープナーという名前のカクテルもあるが、これはラムベースで、アルコール度数22度。私なら確実に、飲んだらまたグーと寝込 むであろう。
朝食、K子には野菜炒め、私は豆の冷製スープとクレソンを軽く蒸したもの。果物はイチゴ。食べて日記つけ、入浴。朝寝朝酒はやらないが朝湯は私の日課である。原稿、フィギュア王Nさんから頼まれたもので、〆切からもう5日以上過ぎている。ドタバタと、それに伴う体力低下で、手がつけられなかった。なんとか書き出してスラスラは行くが、ラストのまとめに苦しみ、呻吟しているうち時間切れとなる。
12時半、タクシーで千代田区紀尾井町文藝春秋社。車が混んでいて、10分ほど遅れる。担当のTさんに案内されて、会議室で岡田斗司夫さんと対談のお仕事。岡田さんの『オタクの迷い道』が文春文庫に入るので、そのオマケ対談である。岡田さんとTさんに新刊文庫二冊、進呈。ちょっと著書の装丁ばなし。対談はオタクの世代論について。池田憲章さんや石田一さんなどのプレ・オタク世代、それよりさらに前の小林信彦・森卓也の世代、そしてわれわれ、そのすぐ下の原えりすん氏やオールド・ピンク氏、ABC氏など、そしてさらにその下の世代で、なぜこうも明確に考え方と言うよりライフスタイルの違いが現れるのか、という話。われわれ、というよりむしろ私であるが、上の世代のストイックさにあこがれてマニアックな世界に飛び込んだものの、ストイックであることは世の中との接触プラグをどんどん抜いていく作業に他ならない、ということに気がつき愕然とし(主に杉本五郎とのつきあいによる)、自分の趣味を文化と規定して世に広めていく伝道師たらんと決意した。濃いマニアになるよりは、そういう濃いマニアがきちんと認められるように世の中を変えていくことの方を選択したのである。たぶん、ここらへんは岡田さんも同じ立場だろう。
いささか対談とはズレた話になるが、私が例えば貸本マンガのB級ぶりを喧伝することに、いわゆる本当のマニアの中には苦々しい思いを抱く人も多くいる。“貸本マンガには今のマンガ以上にすばらしい、本当に残しておくべきものも多々あるのに、唐沢はそういうものをさしおいてクズマンガばかり紹介する。貸本のイメージをあやまる”と。それはまことにごもっとも、正当な考えであると思う。しかし、そういう紹介の仕方をしていたのでは、貸本マンガは結局、過去のもの、研究対象として一部のマニアが保存しておくもの、にしかならず、時と共に消え去っていくだけだろう。今の人間が今の目で見て、読んで、ブッ翔ぶ内容とパワーがあるのだ! とマスコミをたきつけ、そこをトバクチにして、貸本マンガ全体を現代のマンガ読みに注目させる、そういう術策が、ムーブメントを起こすには必要になるのだ。そうして場をならしておいた上で、濃い研究家が存分に活躍してくれればいい。岡田斗司夫を批判する者は大勢いるが、しかし、この『オタクの迷い道』の連載時に、岡田斗司夫がここまで派手にオタクムーブメントを宣伝しまくったればこそ、彼を批判する連中だって、それで記事を書いたり本を出したりすることが出来る土壌が出来たのである。
……などと、妙に自分を殉教者ぶってはいるが、しかし、それもあって見事にオタク第一世代、という上からの影響もシャットアウトし、下には先達者として永久に頭をあげさせない立場を築き上げた私らは、“実にうまいことやったなあ”と言うのが正直なところ、と二人でいやらしく笑う。
「いま、若い連中がどんどんオレに、オレの人生を聞きたがってくるんですよ。何か伝説を求めているのかなあ」
「たぶん、われわれの老後というのは、このオタク文化の草創期のことを偉そうに若い連中に繰り返し語ってきかせる、凄く気分のいいものになると思う」
「うらまれたり悪口いわれてもこりゃ、仕方ないね。それだけのいい目はオレら、見てるもん」
「エヴァのときだって、せっかく下の世代が盛り上げかけたときに、水をかけて悪いことをしたよねえ」
「うん、あれは今思えば非常にすまんかった! あやまるわ!」
「われわれ、ヤマトやガンダムのときにテンション上げすぎて、後で非常に恥ずかしい思いをしたんで、若い奴らには、という親心で水かけたんだけど、考えてみれば、いい思い出というのは、いかに若い頃恥ずかしいことをしたか、なんだ」
「アニメとか特撮をいい年して見る、という行為が、どれだけ三十年前のころには恥ずかしいことだったか。そう思うと、オレら凄まじい量のいい思い出を貯め込んだわ けですね」
対談終わって、四谷で奥さんへのクリスマスプレゼントを買う、という岡田さんと同人誌の取材に行くという柳瀬くんと別れ、昼飯を(もう3時過ぎていたが)食おうと、文春の正面玄関から赤坂見附方面に歩くが、この通りは見事になにもない。セブンイレブンでおろし唐揚げ弁当買って帰り、遅い昼食にする。その後で原稿、仕上げてメール。体力が極端に落ちて(下血でもしているのか、というくらい)横になり、扶桑社文庫『毛沢東秘録』など読んでいるうちに、K子が帰ってくる。風呂場の入り口のところの暖簾をつけかえるが、ルビー色の、なんかハレムのカーテンみたいな雰囲気のある、奇妙な感じのもの。
永瀬氏から電話。これからサニーホールの使用料金半額を払い込んでくるという。談之助さんが間に入れば使用料が割引になる(立川流のメインホールなので)ので、 とりあえず彼を実行委員に推薦しておくことを確認。
私とK子はそこからタクシーで代々木に出て、総武線で飯田橋。東京理科大の裏のアグネスホテルなるところで開かれるクリスマスコンサート。中澤きみ子のバイオリンと、ヘンリー・シークフリードソンのピアノによる演奏会である。K子のポーランド語教室の同級生が、スタッフの一人になっているという縁だったが、こういったクラシック・コンサートに出かけるのは十数年ぶりじゃないか。中学・高校時代はクラシック・マニアで、札響のコンサートなどに足繁く通ったものだが、最近はもう、ときおりCDで聞くくらいで、生はご無沙汰であった。中澤きみ子の名もかろうじて、“ひでおの法則”の糸川英夫工学博士が“ストラディバリウスを超えた”と称して制作したバイオリン、『ヒデオ・イトカワ号』を演奏したCDを出した人、という知識 があったくらいである。
ヘンリー・シークフリードソンなるピアニストは、ネットで検索しても一件もひっかからなかったが、フィンランド出身で、リスト国際ピアノコンクールで一位に輝いた、現在ヨーロッパで最も注目を集めているピアニストなのだそうである。K子によると、“ピアノ界のディカプリオ”と呼ばれているそうだが、大柄で、なるほど目鼻だちはちょっとデカプ入っているか、と思わせるが、全体の感じはダン・エイクロイド(太ってからの)に似ている。ブロマイド写真では、その豊かなほっぺたを手のひ らで包んで隠しており、K子は“サギ!”と言っていた。
会場は100人ほどの満席、チケットもそんなに高くないせいか、中学生や高校生の姿(楽器ケースを持っている子も数人)も見える。子供たちはみな、“いいところのお嬢ちゃん、お坊ちゃん”といった上品な顔で、オタクのガキどもばかりをこの三十年、見続けてきた身には、“そうか、こういう世界もあったんだ”という感じ。ブレザーに蝶ネクタイ、半ズボン、坊ちゃん刈りというスタイルの子がまだいたのを見たときには、ドードー鳥を目撃した鳥類学者のような気分になった。これで眼鏡をか ければ名探偵コナンのコスプレである。
プログラムは前半がシークフリードソンのソロによるモーツァルト『ピアノソナタヘ長調 K332』、ショパン『バラード第3番 変イ長調 作品47』、シベリウス『フィンランディア』、リスト『ハンガリー狂詩曲 第2番』。おお、珍しく知っている曲ばかりだ。私のクラシック歴はてんで大したものではないが、中学のときはモーツァルトが二番目に好きな作曲家で(一番はチャイコフスキー)、高校になってショパンにハマった。それ以降はもうなんでもかでも、という感じで聞いてきたが、四十半ばになって聞くと、やはりモーツァルトの力強さに親近感を抱き、ショパンは軽薄才子の風があると感ずる。若い頃、母が“なんか北欧の曲はモッサリしている”と称して同意したシベリウスが(フィンランド出身の人が弾いてるせいもあろうが)実に心地よい響きに聞こえ(初めてピアノ編曲で聞いたせいもあるだろう)、さらにリストにいたってはさすがリストコンクール一位の重量感、ちとふるえた。とはいえこの曲は無声映画の伴奏にやたら使われていた曲であり、脳裏にはキートンやチャップリンの映像が浮かぶのはいかんともしがたい。前の席に座っていた少年(この子は蝶ネクタイなどという奇矯な格好でなく、普通の柄シャツだった)が、興奮したようにピアノに合わせて頭を奮わせていた。シークフリードソン氏の演奏は情感たっぷりに表情を変え、時には泣きだしそうなまでに陶酔した顔を見せる。ちょっと笑ってし まう。
そこで休息。ロビーでコーヒーとクッキーいただきながら、K子のポーランド語の先生と、ちょっとショパンばなしなどという高級っぽいことを。話していたら、先ほどからこちらの方をチラチラ見ていた三人組の若い女性客のうち、着物姿の一人が、“すいません、ひょっとしてカラサワシュンイチさんですか?”と声をかけてきた。ハイと答えると“うわあ、大ファンなんですう!”と言われて驚く。こんなクラシックコンサート会場にまで私のファンがいたとは。三人のうち一人が本をほとんど持っているというディープなマニアらしく、サイン求められ、一緒に写真を撮る。“あ、あそこにいらっしゃるの、ひょっとしてソルボンヌさんですか? きゃあ”と、彼女にもサインを求める。ポーランド語の同窓の女性が、“K子さんがこんな有名人だったとは知りませんでした”と口をあんぐり。私もあんぐりで、いや、すぐ岡田さんに電話したくなった。クラシック聞きにくる若い女性にまでオタクは浸透した、これでもう、われわれは安泰だぞ! と。菌類の繁殖しない筈の砂漠とか極地にキノコの群生を発見した学者のような気分。
休息終わって、第2部は中澤きみ子のバイオリンとのデュオ。最初はリヒャルト・シュトラウスのバイオリンソナタ『変ホ長調 作品18』。ちととっつきにくい曲であったが、中澤の技巧は素人目(いや、耳か)にもはっきりわかる。もっとも、目をむいて弾く表情はちょっと怖い。首にバイオリンをガッキとはさんだまま、譜面をめくる姿も、オバサン的な凄い迫力。次がサン・サーンスの『序奏とロンド・カプリチオーソ』。ハイフェッツの演奏で超有名な曲であるが、中澤のも見事である。シークフリードソンのピアノもそうだが、共に緩急のテンポの切り替えがすばらしい。あれは聴く者の脳内テンションを無理矢理に上げ下げして、自己調節を不能にし、自在に演奏者の誘導のままにする、一種の催眠洗脳技術なのだな、と思う。演奏が終わったあと、今回のコンサートのスポンサーである社長さんが、興奮して“ブラヴォ!”と叫んでいた(さっきの、ハンガリー狂詩曲で興奮していた子はこの社長の息子だと後でわかる。血だねえ)。
アンコールで、クリスマスらしく『アベ・マリア』ともう一曲、題名は知らないがやはり超絶技巧を見せる曲。これがなかなかいいもの。本当にひさしぶりのクラシックだったが、まず満足した。出て、また例の三人組と、その友人たちに囲まれ、写真撮影。他のお客さんは“誰か音楽業界の有名人なんだろう”と思ったのではないか。ディープマニアの子は健康食品会社勤務、もう一人はなんと有名醤油会社研究所に勤める農学博士、もう一人は星乃真呂夢という詩人の人。どこかで聞いたな、と思い、帰宅して調べたらドイツ軍マニアのODESSAさんのまりちゃん人形サイトにいた人だった(狭い!)。ディープさんとは、またクロークで一緒になる。カレシも私のファンで、もともと、“カラサワシュンイチって知ってる?”“あ、知ってるよ、本も持ってる”“へえ、そうなんだ”というのがキッカケでつきあいはじめたという。“もし結婚するなどということになったら式には呼ぶように”と言っておく。
出て9時半。タクシーで参宮橋『クリクリ』。絵里さんにコンサートの特別クリスマスプレゼントのバイオリン型のチョコレート(わざわざウィーンに注文して作らせたとか)を進呈する。白身魚(スズキ)のカルパッチョ、ターターステーキ、チキンレバーペーストとジャガイモのロースト。ワインはここのハウスワイン『タカラビ』で。店内には30年代のニューオリンズ・ジャズのCDが流れる。リストやショパンもいいが、やはり最終的には私はこっちかな。来年、ニューオリンズに行こう、とK子と話す。最後の客になって、絵里さん、ケンさんといろいろ雑談して帰宅する。