裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

日曜日

みだらの紐

 ワトソンくん、彼らはここでSM緊縛プレイをしていたのだよ! 朝5時、寒くて目が覚める。きのう静岡に出かける前に暖房を切って行ったのだが、酔って帰宅してつけるのを忘れて寝てしまった。暖房つけてもう一度寝直し、7時半起床。朝食作りながらハリケンジャー。漫才忍者ツッコ・ミーナというアホな怪人が登場、ベタベタなギャグをかまして、“よしなさいって”と振る手の先から破壊パワー光線を発し、中空から土管や洗面器を降らせてハリケンジャーたちを翻弄する。こういう設定を素直に受け入れる子供たちというのは、最初からそれを冗談として客観視する目を持っ ているのだろうか?

 怪人紹介の、“今の若手お笑い芸人の芸には憤慨してます”というのに笑ったが、私も今の若手脚本家たちの構成力には、憤慨はしないまでも不満。今回も、怪人の計画は果たして何か? というメインのストーリィと、海外生活から一時帰国したイエローの妹が、偶然兄の正体を知ってしまうというサブストーリィの間に有機的なつながりがない(この『ハリケンジャー』のタイトルは毎回『○○と××』という風に、二つの要素を並列させているのだが、まさに並列のまま終わっているのである)。それは、確かにいつでもゲストキャラをストーリィに深く関わらせるのは無理があるだろう。よく昔のアニメや特撮にあった、ゲストキャラの特技や持ち物を番組前半で示して、後半、それが怪人を倒すきっかけになる、という設定のわざとくささは夙にあちこちで指摘されている。しかし、子供向けヒーロー番組で“わざとくさい”のが悪いことなのだろうか? オトナの目で見れば、前半、主人公たちがケンダマで遊んでいたり、動物園でワニの弱点を教えてもらったりという唐突な伏線が、後半の戦いで活かされるという設定のたびに、“またかよ、芸がないな”となるだろう。しかし、この番組のメイン視聴者である年齢の子供たちにとって、前半の伏線に“これは後で活きてくるんじゃないかな”と思ったその予想が、後半見事に的中したときのうれしさというのは、自分がまるでその番組に参加したような快感なのである(私たちだって昔、ウルトラセブンのガッツ星人の回の宝石の使用法などを推理して得意になっていたではないか)。こういう番組に必要なのは“よく出来たストーリィ”ではなく、“子供たちを喜ばせるストーリィ”なんじゃないか。60年代、70年代の子供番組の脚本家たちは、“定番”ストーリィの効果というものをよっく理解していた。それは彼らが黄金時代の娯楽映画から学んだテクニックだった。今の脚本家たちも、もっと定番をうまく使いこなすテクニックを学ぶべきではないかと思う。斬新なことを思 いつくばかりがプロではない。

 朝食、モヤシと菜の花の蒸したの。果物はブドウと、昨日寿司屋でもらったリンゴを半分。読売新聞読書欄の隅っこの方、『文庫新書』の欄で角川文庫『七人の武蔵』の紹介文がフト、目についた。“山本周五郎『よじょう』の武蔵は乞食の若者に「見栄っぱりのきちげえ」とみられる”……“乞食”にはちゃんとルビまでふってある。放送禁止用語が一文のなかにさりげなく二つも入っているのを見ると、何かうれしくなるのは何故。そう言えば、昨日新宿西口で、車椅子に乗って、“500円玉一枚でいいです、ありませんか”と声をかけて回っているおもらいさんがいた。あの車椅子 はホンモノかな。

 幻冬舎から『カルト王』契約書と『わしズム』4号が届く。『わしズム』って売れているのかな。ざっと読んでみたが、何かやたら反米を叫んでいる印象である。それなら朝日と共闘すればいいのにと思うが。まあ、それは冗談にせよ、世の理論派の人というのは、自分の協調者に対して、目的を同じくするばかりでなく、そこにいたる道筋まで同じくすることを求める。ここらへんが主に左翼思想というものに窮屈さを感じて、日本人がついていけないところなのである。小林よしのり氏に感じる神経質さは、氏が論ずることの内容とは別に、本質として左翼的な思考法の持ち主であるところから来るものなのじゃないか、とぼんやり思う。

 K子の厳命で冬コミ用の翻訳をこの一両日で終わらせるべくがんばる。やりながら報告待ち。今日は来年の6月のトンデモ本大賞の会場取りなのである。都内某区の区民ホールを使用するため、半年前の月のイッピに抽選を行う。その申込み、抽選の時間が朝の8時45分から9時までの間、という、たった15分間。ここらへん、さすがお役所である。もっとも、日曜に働くのは感心か。で、と学会からはその区の居住者である永瀬唯氏と一般会員のI氏、それに立会で植木不等式氏、太田出版H氏が赴いたはず。6月は区の催しが多く、苦戦が強いられそうという話であったが、果たして11時過ぎに、メールで落選しました、の報告がH氏からあった。7月でも別にいいのだが、7月に入ると事務局が夏コミの準備で忙しくなることと、今年の冬コミでの告知が出来なくなるというネックがある。それに、感触ではどうも7月も込み合っているようで、状況は同じらしい。とりあえずの代替案をMLでアップしておく。と学会と言えば、中断していた扶桑社版『愛のトンデモ本』、やっと担当Oくんから連絡あって再開のメドがたつ。拉致問題本にかかって身動きとれなかったそうで、金正日はこんなところでも日本人に迷惑をかけているのである。

 1時過ぎに雨の中外出、兆楽でミソラーメン。スープに酢を大目に入れて。帰りがけに西武地下で夕食の素材を買い込む。携帯を持たずに出たが、帰ってみたら、植木不等式氏から、留守録があり、“では携帯にかけてみます”と言っていた。悪いことをした。とりあえず、調べて空いていた某ホールを仮押さえしました、という件。そこは以前、知人の会で何回か行ったことがあるので、ちょっと意見を表明しておく。それにしても、SF大会から帰京した時点ですぐ中野あたりを押さえておけば、こん な苦労はなかったものを。

 永瀬氏からもその件で電話。その会場のサイトを見ると、附帯設備一覧に上映器機が書いてないので、その点の問い合わせが必要ということを話す。電話で話ながら、そこのホール名と“上映”でグーグル検索してみたら、徳永愛コンサート、というのがひっかかった。徳永愛名義でのデビュー前の秘蔵ビデオがスクリーンに上映されたとあるから、附帯設備としてあるかどうかはともかく、上映は可能であることは確認 された。……しかし、徳永愛にと学会とは、オタクな会場であることよ。

 それやこれやで翻訳、サクサク進んではいたのだが中断し、K子から催促メールが届く。作業しながら、いろいろ派生的に読みたくなった本とかが出てきて、ネット古書店にて検索。たまたま私が札幌時代によく通っていた古書店に在庫があった。8時半までかけて、なんとか、あと一本半を残すところまで完成。夕食の支度にかかる。餅入りの春雨スープ、ニガウリと豚肉のキムチ炒め、豆腐あんかけ。豆腐あんかけにはもみ海苔をたっぷり乗せるが、この海苔の風味が実にいい。キムチ炒めにキノコも 入れたが、キノコがニガウリの苦みを吸って、やたら苦くなってしまった。

 K子に、同人誌の試し刷りを見せてもらう。翻訳文をセリフの吹き出しにはめ込むのが、案外うまく収まっていて、なかなか出来がいい。ただし、今翻訳しているバカエロSF、内容がなくてなくて(まさに30年前の同人誌マンガである)、作業していて嫌ンなる。DVDで『サインはV』、いよいよボックス2巻目に入り、ジュン・サンダースが本格的に活躍しはじめる。納谷悟朗のナレーション、さらに突出してきて、“「そうよ、これはジュンのためなのよ」ユミはそう思った”などと女ゼリフが続出、K子と二人で大笑い。焼酎、日本酒発酵茶割など飲んで1時半就寝。

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