裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

日曜日

パウエルの子はパウエル

 お前も立派な国務長官になるんですよ。朝6時半起床。早起きというのでなく、長く寝てられないほど体力が落ちているということである。この連休はひたすら体力回復につとめたいが、仕事も山ほど。それでもこの時間に起きたので『忍風戦隊ハリケンジャー』を見ることができた。ボス(博士とか長官とかの役回り。この話では“館長”)がハムスターである(声が西田健!)、という設定はニンジャタートルからのいただきだろうが、その娘で参謀格役の、意味なく濃い大阪弁を使うキャラに劇団新感線の高田聖子が扮しているというので、一度見てみようと思っていたのである。紅一点のヒロインが演歌歌手という設定とか、敵の幹部の中にコギャルがいるとか、もうやりたい放題なのだが、ちゃんと脚本がしっかりしていて、正味二十数分、しかもアクションシーンと巨大化しての戦闘シーンも入るから、残り十分そこらの中で危機感を盛り上げ、お涙の要素を入れ(少女と飼い犬のエピソード)、マニアの笑いを取り、敵方ゴウライジャーのやおい要素で若いママたちを同人誌作りにはげませ、“どんなにつらくても悲しくても夢の中に逃げ込まず、現実を見つめるんだ”という子供番組らしいテーマをしっかりと打ち出し、そして次回に興味をつなげる。別に突出して優れたエピソードではないものの、もはや職人芸、といっていいレベルの脚本技術(宮下準一)である。人気要素をすべて投入して、しかも破綻させずにまとめていることには感嘆せざるを得ない。どうしてテレビのしかも戦隊モノにこれが出来て、映画のゴジラものに出来ないのか?

 朝食、オニオンスープの缶(アヲハタ)を温め、冷蔵庫の中の残り野菜を入れて。日記つけ、仕事にかかるが、首も上を向くとまだ少し痛む以外正常に戻り、気圧も安定しているのだが、テンションが上がらない。いたずらにネットをぐるぐる巡回したきりで昼になる。母から電話。小野伯父とまた電話でいさかいをしたらしい。その話をしばらく聞くうち、心配になって(秋の仕事のこともあるので)伯父の携帯に電話をかけてみると、嘉子さんが出た。忘れて出たらしい。いろいろ話を聞く。現在また躁状態にあるらしいが、十年前の意気揚々としたそれ(それも困ったものではあったが)と違い、自分の今の老残の状況を忘れたいがための躁なのではないか、と思え、何か情けなくなる。昔(はるか昔ではあるけれど)売れていたときの、あのはつらつとした伯父を知っているだけになおさらである。まだ私が小学校にあがるかあがらないころ、札幌に来た伯父と一緒にレストランに入った。すると、その店にいた客たちが一斉に、顔を見合わせて“小野栄一だよ、あれ”と小声で言い、あこがれるような目つきでわれわれの方を見た。今で言う、ビートたけしかダウンタウンの松本か、という存在だったのだ。子供心に実に誇らしかったものである。その彼が、いまやあれだけ彼を尊敬していた家族にまで手を焼かせている。伯父も一度は天下をとった芸人であり、芸人にとり末期哀れは覚悟のこととはいえ、少し絶頂期から末期までが長すぎる。

 気分を変えようと家を出て、センター街を歩くが、連休で人出が凄まじく、頭がクラクラしてくる。金を使う気もなかったがHMVに入り、CDや本などをまとめ買いしてしまう。昼食をどこにしようかとしばらく渋谷を彷徨。迷った末に新楽飯店で貝柱と野菜の煮込み定食にする。正解で、貝柱のうまみが薄切りの野菜類に染み込み、濃いめの味つけがライスのおかずにちょうどいい。一人だったので、奥の小さい席に座らせられたが、一番奥の“家族席”のすぐ前。おかみさんが、中華どんぶりに納豆をぶちこみ、その上に茹でた麺を入れ、ネギだのワカメだのをトッピングして、酢をたっぷりかけて食べるという奇怪な自家製の昼飯を食べていた。食べながら、新しく入った若い店員の言葉使いがなってないという文句と、いつも親子連れで来ていた客が交差点のところで車にはねられて松葉杖姿で来たという話を亭主相手に何度も何度も、際限もなく繰り返している。何か人間ばなれしていた。

 帰宅してパソコンの前に座るが、血液が全部胃の方に行ってしまい、キーボードを打ちながらガックリと意識が落ちる。病、小陰ニ入ルというやつである。少し横になると、もう寝るというよりは意識がスーッと奈落に落ちていく感じ。夢でアジア系のアイドルグループを取材している。若い女性の三人組で、名が『アイ愛欧』。その名の通りヨーロッパを絶賛する歌をうたい、アジアをバカにしているので、少し不愉快になる、というものだった。

 起き出して仕事、それも進まず。せめてオトナ帝国対談に赤を入れねばと奮闘するが、それも中途半端に終わる。読書も、鬼平犯科帳のような肩の凝らぬものしか読む気にならない。『寒月六間堀』の、“つまりは、人間(ひと)というもの、生きていくにもっとも大事のことは・・・・・・たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、好きな食物(もの)でも食べ、ぼんやりと酒など飲みながら・・・・・・さて、今日の夕餉には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、夜は一合の寝酒をのんびりとのみ、疲れた体を床に伸ばして、無心にねむりこける。このことにつきるな”などという長谷川平蔵の述懐に、ふうむ、とうなる。平蔵がこの言葉を吐いた年齢は、どうやら今の私と大して違わない年齢らしいのだが、いまだ私はこういう達観に至らない。金がないということもあるが、つい、仕事をこせこせとしてしまい、それもままにならずに、無意味にイラだっているのである。

 7時、新宿幸永にてナンビョーY子さんのサイトの新宿オフ。ぎりぎりまで未練たらしく仕事していたので時間が迫り、あわててタクシーで行く。運転手さんが話し好きで、いろいろ雑談。“この商売やって三年ですけど、いろんな経験談が聞けて面白いですねえ”という。田中角栄と一緒の写真を撮ったという埼玉の県議の話で、三枚撮っただけで礼金は200万。それも三ヶ月待ちだったそうな。しかし、それを自分の事務所にかけて、“私は角栄先生と親しく写真も撮る間柄だ”とアピールしたら、当時落選の身の上だったのが、次の選挙ではトップで再選出来たという。200万、決して安くないという話。恰幅のいい初老の親父が酔って乗って泣き出し、“運転手さん、オレはどうせロクな死に様をしないんだ”と言う。どうしてです、と訊いたら“神戸の震災のとき、オレは青いビニールシートを、東京で一枚1500円で買ってそれを神戸に持っていき、1万円で売ったんだ。飛ぶように売れて百回以上トラック運転して東京・神戸を往復し、3000万円儲けて、それを元手にして会社を興して今のオレがある。でも、そんな人の弱みにつけこんだ金で儲けたんだから、きっと死ぬ時ゃみじめに死ぬんだ”と泣き、往生したという。しかし、そんな良心を持っているだけ、この親父、かなりましな商人なんではないかと思う。

 オフは新店舗の方を借り切って、満席という盛況。驚いたことに仙台、名古屋、大阪という地方からも出てきている。なんと熱心なことよ。裏モノ会議室以外あまりオフというものには出ないのだが、それにしてもここの参加者の熱気はちょっと特別ではないかと思う。主催者のナンビョーさんがいないにも関わらず、だからなお。大阪で世話になったぺぇさんはじめ、明智幸(実は裏モノでもおなじみのFさん)、一行知識の常連のえふてぃーえるさん、あのつさん、damさん、こうたろうさん、嵩さん、カーター卿さん。鈴木さんなどというおなじみの面々、さらに開田夫妻、睦月さん、談之助さん、卯月妙子さんから駕籠慎太郎さんまで、異様に濃いメンツ。みんな自分の同人誌やグッズを持ってきて営業していた。ayameさんの旦那さんは整体師だそうで、ちょいとさわらせてください、と首筋を揉まれる。グギ、と音がして悲鳴をあげるが、なんと、そのひとひねりで、今まで上を向けなかったのがスンナリと向けるようになった。もっとも、今度は右を向くと痛む。何か切り替えギアを入れたみたいだ。人体って単純な作りなんだなあ、と感動。今度、出張マッサージに来てもらおうと思う。サイン多々、雑談多々。いろいろ著作のケアレスなども指摘されて勉強になる。楽しかったがもう体力が限界、最後の方は何しゃべったんだかも記憶になし。サインの文句の字を間違えたり、人の顔を間違えたり、限界だと思ったので二次会には出ず、直帰。倒れ込んで寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa