13日
土曜日
あのブルーシャトーに帰ろかな
子供の頃遊んだ森と泉が懐かしいなあ。 朝7時45分起床。朝食、スモークト・オイスターをロールパンにはさんで。果物はセミノールオレンジという剥きにくいやつ。何かカタカナが並ぶとすごくしゃれた朝食であるかのような感じがある。冷蔵庫の中にあるものを端から片づけているだけなのだが。
テレビで昨日死んだ高橋圭三のこと。みといせいこが何度も繰り返し“岩手県出身でズーズー弁を克服されて・・・・・・”と言っていたが、ズーズー弁ってのは差別語じゃなかったっけ。で、彼が大変な努力の人であり、高い見識を持った人であったというエピソードが紹介されていたが、確かにエライとは思い、昔からその司会技術などに感心していたけれど、どうも、好きではなかった。その表情やしゃべり方に、人をコバカにした臭いが感じられたからかも知れない。もっとも、それも仕方のなかったことで、彼がNHKで公開番組などをやっていた戦後から昭和30年代というのは、一般の素人は、テレビだのラジオに自分が出る、と思っただけでアガリまくって、言葉が出なくなるか、あるいはハイになってべらべら際限なくしゃべるか、どっちかであり、そういう素人の鼻をつかんで右へ左へ誘導する技術こそが、当時の司会業には求められたものなのだ。それが後に、彼の司会にどうにもなじめないクサさが感じられるようになった理由だろう(今の司会は逆に出演者からどうやって素人くささを引き出すか、で技術が問われる)。
その彼の特色が一番出た番組に、あれはもう三十数年前、森永製菓がスポンサーの『でっかく行こう』だか『ガッポリ行こう』だったか、とにかくそういう番組があった。視聴者参加番組で、クイズとか競技とかいう附帯物がなにもなく、ただ、カーテンの後ろに三つくらいのものが置かれて、参加者がどれが欲しいかを言い、当たると電気洗濯機だの海外旅行だのといったやたら高額な商品がもらえ、はずれると森永のキャラメル一箱だったりという、そういう趣向の番組だった。で、数万円のポータブルラジオかなんかが当たって喜んでるカップルに、司会の高橋圭三が、
「でもちょっと待ってください、もし3番のキャラメルをお選びになったとしたら、ほれほれ、中にこういうものが。ほれほれ」
と、箱を開けてみると本物のダイヤのネックレスが入っていて、女性がくやしがるというようなどんでん返しが(ヤラセだったろうが)毎回見せ場で、そこらでシロウトの観客の鼻づらを引きずり回すときのこの人のうまさは、まさにマエストロと言ってよかった。高橋圭三の持つイヤミさが最も効果的に使われた番組だったと思う。なんでこんな番組を覚えているかというと、当時の小学校の担任だったI先生が、この人は小学生だったこっちもやや引いてしまうほどバリバリの共産党支持者だったが、この番組を“乞食番組”と口をきわめて非難し、“人に労働意欲を失わせるような、こういう番組を君たちは見てはいけない”とクラスのみんなに厳命し、それからというもの、この番組を見るのが楽しくて楽しくて仕方なくなったのを明確に覚えているからだ。子供というのは何であれ、教師がしちゃいけない、ということは嬉しがってすぐやる生き物なんだな。
1時、例により神保町古書展。愛書会。買ったのは数冊だが、どれも単価がちと高く、4万円近くなる。少しメゲた。いもやで天丼。そのあと、ここの通りのアダルト系の書店をかなり時間かけて回る。現在書いている原稿の資料を探すためだが、アダルト系書店は昔に比べてどこも明るくキレイになったねえ、という感じ。杖をついたよぼよぼのお爺さんが腰をかがめて入ってきたのに驚いた。年は取っても浮気はやまぬ、やまぬはずだよ先がないという文句がつい、口をついて出る。
さらに資料を求めて書泉グランデまで行き(平台に私の新刊が三冊並べてあったのに少々気をよくしたが)、へとへとに疲れる。こんなに体力が落ちているとは意外であった。地下鉄の車中でついウトウト、としてしまい、そのたびに財布を握ってハッとして目を覚ます。
帰宅、横になるが寝てしまわないよう注意する。SFマガジンから電話。もちろん催促。よし、と気力をふりしぼり、だだだとタイピング。3時間ジャストで400字詰め10枚、書き上げた。書くのは容易なのだが、まとめるという作業に時間がかかる。今回はその時間がとれず、ネタを前後編に分けることになる。それにしても、疲れマラならぬ疲れ原稿、案外ハリキった内容のものになったのには驚く。
書き上げてすぐ、タクシーに飛び乗り、また神保町へとって返す。アホらしいが、今日はK子と例の『乃むら』でソバを食おうと約束してある。ところが、行ってみるとすでにのれんをしまっていた。後で確認したら、ここ、土曜は5時までで店じまいなのであった。仕方なく、その斜め向かいにある、以前から目をつけていた料理屋に入ろうとしたら、ここも土曜は予約客のみ、との表示。すっかりこれでアテが外れ、さて、じゃあこの時間(すでに8時半)どこで、という目算もなく歩き、すずらん通りへ行く。ロシア料理『ろしあ亭』に心惹かれるが、なにしろ昨日の今日だからちと遠慮。ワインバー『ホイリゲ古瀬戸』なるところへ。店名でもわかるが、以前珈琲店だった古瀬戸の支店が、ワインバーに衣替えした。外に飾ってあった鮮魚メニューがなかなか充実していたのでここにしよう、と決める。K子はちょっと味に疑いを抱いていて、ワインもボトルでなくデカンタで取ろうという。まずかったらすぐ出られるよう、用心のためである。
とりあえず、前菜にパテ数種の盛り合わせと、鹿肉のたたき、ホウボウのカルパッチョを頼む。パテは小さな壺のような容器にナス、鴨、クリームチーズ、ほうれん草とオイスターの四種がそれぞれ入って運ばれてきて、バゲットの薄切りトーストにこれを塗って食べる。おいしいが、バゲットがカリカリすぎて、口になじまない。も少し柔らかい方が好み。鹿肉の叩きは薄く切ったものにオリーブオイルと香草のソースがかかっているがこのソースの量が多すぎて、肝心の鹿肉のうまみがよく味わえぬ。これなら鹿でも牛でもいいように思う。ところが、次のカルパッチョ、これが絶品。淡泊ながら甘みのあるホウボウの肉を、オリーブオイルに焦げ目がつくくらいにローストしたニンニクで香りをつけたソースでからめ、上に水菜を添えてある。塩味は抑えて、このローストしたニンニクの香ばしさを主体にしているところが千両。K子もこれで目つきが変わる。
で、いきおいづいて鹿肉とエリンギのあっさり煮込み、というのを頼む。4センチ角くらいの鹿肉の小さいメダイヨンが6つに、エリンギが二本、薄切りになって、明るいブラウンのソースの中に浮かぶ。あっさり煮という名に偽りなく、素材のおいしさで食べさせようという、ほのかなうまみのソースである。鹿は適度に野性味を持って固く、噛みしめると血のまじった肉汁が口中にあふれる。こいつはいい。衰えた体力が急速に回復してくる。若い鹿のエネルギーをもらった如くである。それからカサゴのオーブン焼き。これは今日は土曜日でカサゴがなくて、と真鯛に代わっているがもとより鯛は今、旬であるからかまわない。鯛もうまかったが、付け合わせが薄切りポテトとプチトマトで、オーブンでローストされ、ドライフルーツのようになったトマトの酸味とポテトの取り合わせがまことによかった。最後は白魚のリゾット。鍋で出るかと思ったらおしゃれに皿に盛られて出る。きわめてシンプルなリゾットの上に唐揚げにした白魚が乗っている。白魚はお飾り程度だが、よくあじわうとリゾットの中に、ほぐした魚の白身が入っているようである。K子がこれは絶賛。
酒はハウスワインの赤。安いが濃厚でうまい。のどが途中で渇いたのでビールを頼んだが、ここの店は世界各国のさまざまな珍しいビールが揃っている。デンマークの『ジラフ』というのを頼んだ。キリンビールである。本当にそれの逆輸入品ではないかと心配したが、ラベルにキリンの網目模様が描かれたビールで、ピルゼンの苦みをちょっと重厚にしたような味のものだった。さらにイスラエルのマカビーを頼もうとしたら、やはり例の紛争以来、入荷が滞っているという。戦争はいかんなあ、と思うのはこんなときである。代わりにと、メキシコのビール『ボヘミア』を勧められた。なぜにメキシコでボヘミアか、と不思議に思うが、味は日本のビールに似て飲みやすい。飲んで食って、お値段はまあまあ。K子が店員に“全然知らずに入ったけどおいしかったです!”と珍しく褒めていた。飛び込みで入った店が当たると本当にうれしい。帰宅、メールチェックなどして1時ころ就寝。