24日
水曜日
武富士二鷹三茄子
火事の夢は縁起がいいということ(おいおい)。朝6時50分起き。今日こそ、仕事を早めにしようと思うのである。朝食、イチジクにヨーグルトをかけたもの、それと青豆のコールドポタージュ。さて、と勢い込んでパソコンに向かう。と、首筋がなんとなくつっている。原稿を書き出すが、そこが気になってなかなか集中できない。寝違えたかとも思うが、気圧のせいかな、とも思う。
編プロ・ブレインナビから、やっとこないだの『クレヨンしんちゃん』対談の原稿が届く。8Pというかなり枚数とった対談だが、ほとんど私がしゃべっているような構成になっていて驚く。切通さんに何か悪い感じだ。ざっと読むが、前半はほとんどそのまんまでもいいが、後半が論理も組立もなくメロメロになっている。かなり手を加えねばなるまい。
結局、午前中は何も仕事できずして昼になる。新宿へ出て、小田急エース地下の、『圓』というラーメン屋に飛び込む。外に見本として出ている濃いめのラーメンスープの色と、ランチのネギチャーシュー丼のセットがうまそうだったからだが、食って見ると大したことなし。残念。それから銀行に寄り、東口のエロ本屋に行く。こないだから探している資料がここならあるかもしれん、と思ったのだがナシ。首筋のつりがますますひどくなってきた。精神状態も何か不安定になり、アスペクトの村崎百郎氏との対談、日時が何かとダブっているのではないかと不安でいてもたってもいられなくなり、タクシーに飛び乗って帰宅。不安神経症になったのでは、と思い、その心配がなおさら不安をあおる。
で、帰宅して調べてみると、やはりダブルブッキングになっていた。してみると、故ないことで不安になったわけではないのであり、別段神経症ではなかった、と、何か安心してしまうが、イヤ安心している場合でない、とあわててアスペクトのK田氏にメール、予定変更を依頼する。首筋の痛みはこれはホンモノで、上を向けない、横を向けない。コンドロイチン錠とアリナミンをのむが、首を上に向けられないので、水を飲むのがきわめて困難である。原稿書きやっと入り、海拓舎にコラム二本送る。
原稿の内容、送るたびにH社長から面白いですとか、もうちょっとひねってもいいと思いますとか返事が来る。このおかげで何とか書き続けられる。いつもは原稿が面白いか面白くないかは自分で読み返して判断するのだが、今日のような状態では正常な判断がつかない。首の方に意識の大部分が行っているのである。揉んでみたり叩いてみたり、冷やしてみたりクスリをのんでみたり、いろいろこだわる。どこぞが悪いからそこにこだわるのである、と漱石が言っている(これがこだわるの正しい使い方で、昨今のように、いいことに“こだわる”は本当は使ってはおかしいのだ)が、これはまったくの話だ、とつくづく思う。科学的正確さにこだわる人間は、自分の書くものの科学的正確さに欠陥があるのではないか、と思っているのである。文章の論理性にこだわる人間は、自分の文章の論理性に自身がないのである。私のように文章中の用語にこだわる人間は、自分が常に間違った用法をしているのではないか、と不安で仕方がないのである。国家にこだわる人間は、自分の国家に自信がもてない人間なのである。
新聞にフランスの極右勢力の代表、ルペンが大統領選挙で二位を得票、シラクとの決選投票権を獲得したことに対する懸念が述べられている。私はこれは今回の選挙であり得る結果だと予想していた、というのはウソだが、少なくとも予想し得る結果だとは思っている。フランス人は、いま自分の国家が危うくなっている、と危機を感じているのである。だから、フランスという国にこだわるルペンが必要なのである。原因はEUであろう。EU間でのパスポートが不要になって行き来が自由に出来、貨幣も統一されて、“国家”という概念が次第に消滅していく。アイデンティティというものを“他者との相違点の集成”とする定義にしたがえば、誇り高きフランス人であればこそ、その状況にアイデンティティの危機を感じ、国粋主義に走っていくという現象は、過渡期のこととはいえ、起こることは当然至極で、不思議でもなんでもないことなのではないか? アイデンティティというものは大概の場合、不自由を敢えてしのぶ(宗教における戒律がいい例である)ことで培われる。EU統合はただ利便をのみ追求して進行しており、言語や文化の壁をどんどんと取っ払われることは、個々の国民にとっては、明白なアイデンティティの危機なのである。グローバリゼーションがどんどん広がれば、それとパラレルに国粋主義は支持を増していくであろう。第二次大戦前夜の世界は、それまでの歴史にないくらい、世界平和主義運動が広まった時代であった。このことを思うべきである、と、首筋の痛みから妄想が発展した。
東宝宣伝部の人から書簡届く。先日の日記で、“会社名をアヤシゲと思われた”というようなことを書いたことに対する釈明のもので、ご丁寧に、と恐縮する。別にアヤシゲと思ったわけではなく、知らなかっただけだとのことである。大して違わない気もするが、これもこちらが会社設立間際で、こんな社名、アヤシゲと思われないだろうか、とそのことにこだわっていたのであろう。出来るだけ些細なことにはこだわらないようにしたいものだとは思うが、そうすると私のようなモノカキは、何も書くことがなくなってしまう。
海拓舎さらに二本書いたあたりで、空がどんよりと曇ってくる。花曇り、というのには少し時期が遅いが、“頭痛にも憎まれぬ名や花曇り(横井也有)”というのは名句であって、昔からこういう曇り方をする気圧の日に体調が崩れる人はいたらしいとわかる。どーんと眠くなり、四十分ほど横になる。ウトウト、として目が醒めたときには、首筋ばかりでなく、心臓が苦しくなり、下顎の歯が全部うずきはじめていた。死ぬかもと一瞬思ったが、気力を奮い起こしてさらに海拓舎コラム二本、書いてメールする。書き上げたときにはだいぶ快復していた。
6時半、渋谷駅改札のところでK子と待ち合わせ。渋谷には男女中学生高校生たちが大勢たむろしている。日本中から選りすぐったバカたちが渋谷に寄ってきているような光景である。今日は『虎の子』のH夫妻と会食で、中目黒のフレンチレストランに行くのである。渋谷から中目黒は、省線で恵比寿に出て、そこから地下鉄日比谷線に乗り換える。省線も一駅、地下鉄も一駅で、何かムダをした気になる。そこから地図を頼りに七、八分歩いた細い通りにある『コム・ダビチュード』なる店。最初はH夫妻お勧めの店に行く予定だったが予約がとれず、『danchyu』で見つけた店だそうで、少し不安だったが、なかなかおしゃれなオープンキッチンの店で、ワインからパン、フロマージュと、それぞれ専門の係がついて説明してくれて、過ごしやすい感じ。全席禁煙で、タバコはカウンターバーでのみ、というのもいい。唯一タバコのみのキミコさんは何回か途中で席とバーを往復していたが。メニューが単純に前菜と主菜に別れており、アラカルトでも頼めるが、前菜一品主菜二品、前菜二品主菜一品などという組み合わせメニューがお得だというので、男性軍が前者で女性軍後者、というカタチにしてそれぞれ重ならぬよう料理を頼む。
もう、われわれのことでザッカケなく、とった皿を時計回りに四分の一ずつ取って回す。野菜のにこごり、コンソメゼリーの中に兎肉を浮かせたもの、ブーダンのローストに半熟卵をソースがわりにからめて食べるもの(美味!)、ホタテのムースにウニ風味のポタージュを添えたもの、リゾットにリードボーのフライ添え、ホタテとホワイトアスパラの取り合わせなどなどが前菜、主菜は寿豚(どういうものだかわからぬ)のコンフェ、子羊肉の燻製風ロースト、オマール海老のロースト、兎肉の煮込みなど。いずれも、フレンチとしては極端にあっさりした味で、野菜の煮こごりなど、ほとんど野菜の出しの味だけで食べさせる。兎はまったく臭みのない、鶏肉と言われてもわからないような感じで、詰め物をくるんで風味を足している。おしぼりを持ってきてくれて、足の部分は手に持って齧ってください、と野趣のあるところを示す。鳥の足を齧ったことはあるが、兎の足を持って齧ったのは初めての経験で、面白かった。あと、今日のおすすめで、フランスから直輸入したホワイトアスパラの冷製がありますという。これは前菜でなく、主菜扱いなのである。一本800円(!)というお値段なので、グリーン(こっちは長野産)とホワイトを二本づつ頼んで、みんなで分ける。ここらへん、貧乏人なりの楽しみ方である。
まあ、フランス料理をウンヌンできるほどのグルメではないので、細かな批評は控えるが、コレダケハ書いておかねばならぬのがその後のフロマージュである。ここはチーズが自慢らしく、三品までご自由にお選びください、と、籠に入った二十種類以上のチーズを持ってくる。端から名前を言うのがモンティ・パイソンのチーズショップスケッチみたいだ。まず無難なスティルトンやランカシャーなどを頼んだあと、キミコさんを除いた三人が、少しはクセの強いのも頼もうと、ヒロミさん(亭主)が木の灰にまぶしたというサンドレ・ベルジュなるチーズ、私が箱の中でもう底にへばりついたようにトロけていたスーマントラン、K子が漬け物のような色になっていたブリー・ド・モーの二ヶ月熟成、というのを頼んだ。で、グラッパなどを傾けながら、フォークでそれを口にしたとたん、全員“ウウッ!”とうなる。いや、そのどれもが臭いこと刺激のあること。食べ合ってみたが、サンドレ・ベルジュはピリピリと舌を刺し、スーマントランはイガイガとノドに障り、ブリーはなにやら気味の悪いアンモニア系の腐臭を放つ。これでもチーズはかなり日本人としてはいろいろ食ってきたつもりだが、いやこれには参った。スーマントランなど、ウォッシュチーズ独特の光沢ある柔らかな色をしているくせに、一旦口に入れると石油ストーブの煙突のススを固めたような刺激が口からノドを覆い、K子は一口食べて咳き込んだ。
昔、通っていた小学校のPTA会長夫人だったツバタさんの奥さんが“欧州旅行”にお出かけになって、美食家を標榜したために各地でチーズ責めになってグッタリして帰ってきて、うちのオフクロに“奥様、チーズはやっぱり雪印ですわ”と言った、という話が口の悪いわが家のひとつばなしになっていたが、いや、ツバタ夫人を笑えない。つくづく、チーズは奥が深いな、と感じいった。ここで残してはルペンに笑われる、などと変な意地を張って全部平らげたが、“ジョゼフィーヌのアソコはこんな匂いだったのか”とか、“明日はこりゃ全員ワキガになってるな”とか、さんざいろんな批評をしていたので、他の客がニヤニヤ笑ってこっちを見ていた(店の名誉のために言うがこれはわれわれの舌が田舎者だからであって、他のフロマージュは大変においしかった)。デザートは自家製カヌレ。これは絶品。10時半までさんざ話して飲んで食って。