裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

木曜日

斜陽なら、斜陽なら元気でいてね

 たとえどんなに不景気だって他業種なんかにゃいかないわ。朝7時半起床。ゆうべは深夜にかなりの雨。またまた空気が洗われて、今朝も日差しがまぶしいくらい。ゆうべの酒のせいか、気温が高いせいか、体が火照ってのどがかわく。朝食はマフィンサンドにゴマのスープ、ブルーベリー。田辺誠一と大塚寧々が結婚、と、ひさびさにワイドショーらしい芸能ネタ。田辺誠一は以前『ガラスの仮面』で速水真澄役をやっていたとき、歯がむやみに真っ黒で気味が悪かった役者、くらいしか知らないことに改めて気がつくが、別にそれ以上知りたくもないか。

 海拓舎から“一日二つでもいいから原稿送れ”と言われる。はいはいはい、と思いながらも南原さんからこないだ送られた『続・オキノニッキ』を読み出したらやっぱり止まらなくなる。かくも日記の魔力は強い。今回の日記には本人の結婚という大きな事件があるが、結婚することをを親に切り出すあたり、実に笑えて、しかも親のリアクションが妙にリアルでもある。本当のことを書いているんだからリアルに決まってるんだが、この、特殊感覚的日常の記述の世界の中に、結婚に関する部分のみ、妙に“フツー”な現象が入り込むと、そこが逆に変に見える。落語の一眼国みたいなもんで、その逆転の現象がなんともいい。中森明夫の解説はちょっとおざなりの感があるので不満だが。
http://www.h4.dion.ne.jp/~okino/
(現在の日記)

 結局原稿書けぬまま昼に。手の甲に何か赤い腫れが出来て、猛烈にカユい。ダニでもいるのか、何か食い物にアタったか? 昼は昨日の蒸しものの出汁を飯にかけて、さらさらかき込む。食いながら『SPICY TALES COLLECTION』読む。アメリカのマンガにまだ性・暴力表現規制が入る以前の30年代、40年代のお色気マンガの傑作集。主に採録されているのは女刑事が毎回事件を追ううちに脱がされたり犯されそうになったりするマンガ『サリー・ザ・スルース』。30年代の稚拙な絵柄の女性ヌードがかえってかわいい。ブラジャーの上から乳首のカタチがはっきり見えるという表現は日本のエロマンガの発明じゃなかったのですな。いや、男の考えることは洋の東西、時代の新旧を問わずおんなじということか。

 今年は桜が例年にない早咲きだったが、マンションの玄関にある八重桜は四日ほど前にやっと開き、花と葉がいっぺんに出るという、北海道みたいなことになった。エレベーターホールの前にも花びらが散り込んでいる。結婚したての頃に住んでいた参宮橋のアパートは、ベランダの向こうが使用されなくなった駐車場で、ほとんど閉鎖空間になっていたそのスペースに、春になると風が渦を巻いて(駐車場のアスファルトに陽が当たってそこの空気が上昇し、周囲から冷たい風が流れ込む)小竜巻が起こり、脇の桜の木から散った大量の花びらがその竜巻に舞ってはまた舞い落ち、じっと見つめていると幻惑されてくるほど華やかな春の光景を見せてくれていた。すぐにその空き地にもアパートが建ってしまったが、あの光景だけはいまだに目に浮かぶ。

 7時半、銀座服部時計店前でK子と待ち合わせ。五分ほど遅れる。植木不等式さんも誘って銀座“いけたに”で酒と蕎麦と行こう、という算段。なぜ急に銀座で蕎麦かというと、いまK子が整理魔と化してリビングに積み上げられた本や雑誌のたぐいを片づけているが、その山の中からこないだ月刊『Pen』の“蕎麦屋で一杯”特集号が出てきて、急に蕎麦を食いたくなったから。四丁目交差点から歩いて十分、銀座7丁目の『いけたに』へ。蕎麦屋としては近くの『名月庵田中屋』の方が評判は高いらしいが、なにしろ蕎麦屋のたいがいは夜7時半とか8時で店を閉める。『いけたに』は夜11時半まで営業しているありがたい店なのである。

 用心のために時計店前で電話してみるが、いま満席とのこと。ただ、ちょっとお待ちいただければ空きます、というので、ではのんびり行くべえと、雑談しながら7丁目方面にぶらぶら。資生堂本店ビル裏手の、“いけたに”とはちょっと読みにくい字体で書かれたのれんをくぐったら、ちょうど大テーブルが空いたところ。ラッキーであった。植木さんはゆうべ二人で焼酎ボトル一本空けて体調不良、というので“じゃあ、お酒はこっちの二人で”とお姉さんに言いかけたら“イヤ、飲みます飲みます”と麒麟山を注文。私は出羽桜の一耕というのを試みる。冷や酒を猪口で飲むのは、実はあまり好きじゃない。冷やは茶碗かコップの方が感じがあってよろしいが、まあぜいたくも言えない。のっけから無駄ばなし。カルロス・ゴーンのゴーンのスペルを見てみたらGHOSNであることを発見した、と植木さん。なるほど、魔王ですなあ、と感心。そこから名前表記の話になり、綾波レイは中国では綾波零と表記するらしいという話、私は香港で“久”一字の作家名のマンガを見たことがあり、だれかと思ったら“ひすわし”だった話、など。

 人気店らしく店は次から次と客が入り、頼んだつまみがなかなか出ない。突き出しのソバの実の炒ったやつをポリポリと齧りながら雑談。鉄拐仙人にでもなったみたいだ。つまみは鯛の昆布締め、ポテトサラダ、レンコンとイカの明太子和えに卵焼きなど。昆布締めが柔らかくて大変に美味。蕎麦ミソというのも頼んだが、甘くてネトネトしていてピーナッツ味噌のようで、ちと酒には合わない。ポテトサラダなんて俗なものが、実は日本酒のいいのには合う。ワープロソフトの話、レポート原稿の文章の話、渋谷百軒店のロシア料理店の話などしながら。もう一品追加、というので鴨ローストを頼んだが、これはハムみたいであまりパッとしないものだった。蕎麦は三点盛りというのを頼む。ここの店で打つ三種の蕎麦、“田舎”“生粉打”“並蕎麦”の三種を全部食べ比べられる(3600円)。生粉打とはナマコウチかと思ったら“キコウチ”と読むのだそうで、植木氏と“いよっ、蕎麦界のキコウチ!”などと例のごとし。蕎麦香はかなりなもの、田舎はこないだの『乃むら』ほどボキボキ感はなく、いい感じで啜れる。並蕎麦でも蕎麦9割なのだそうで、この値段であればお得と言えよう。まあ、満足。

 ちと飲み足りず食い足りず、だったので、5丁目のおでん屋『やす幸』に行く。ここでもちょうどテーブルが空いていた。K子はいつぞやここで食べたキリタンポが印象的だったらしいが、季節物らしく置いてない。酒は錫の小ヤカンで温めたものをガラスのコップに注いでくれる。これでなくちゃ。しかも(なんという酒か訊くのを忘れたが)大変口当たりがよくて、おいしい。三バイお変わりした。これでここ、安けれァ毎日でも来るんだが。おでんと、カツオの刺身、空豆など肴に、また雑談、もう多岐にわたりすぎて何話したかほとんど記憶にない状態。と学会同人誌の件、最近の伊藤くんのこと、細田均のこと、三枝貴代さんのこと等々。三枝さんのように文句タレ能力が並の人間をはるかに超える人種がいるが、もはやああいうのはヒューマン・ビーイングならぬヒューマン・ブーイングと呼ぶべきではないか、などと主張する。バカ話で10時半ころまで。体と頭のシコリがどんどんほぐれていき、うれしくなってしまう。銀座一丁目の方から帰るという植木さんとそこで別れ、われわれは地下鉄で青山一丁目まで。そこからタクシーで宇田川町。鼻炎のクスリのみ服んで寝る。

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