19日
金曜日
「相手知る(アイテシル)」は「愛してる(アイシテル)」の第一 歩
夢の中でインチキ説教師(私)が言った言葉。朝6時ころ起床。今日は植木さん、まったくイビキをかいてない。私はちょっとかいたかも知れず。もともと鼻声な男なので、イビキもかきやすいのである。次の旅行からはスノウイーズを持っていこう。車中読もうと思ってまったく手をつけていなかった岩波書店『露伴随筆「潮待ち草」を読む』(池内輝雄・成瀬哲生)を寝床で拾い読む。博覧多識今更に驚くばかりの露伴だが、人間を酸性型、亜爾加里性型、中性型に分けて分類し、平家はアルカリ性、現時は酸性、水戸はアルカリ性で薩摩は酸性、論議の士は酸性で事業家はアルカリ性であるなどという分類をしているのはいささかトンデモ臭くもある。
さんなみの朝は小鳥の声が聞こえるくらいで極めて静かだが、こっちの宿は前に国道があって自動車の音繁く、後に鉄道あってディーゼル車の音響き、なかなか賑やかなことである。七時ころ、植木氏は起き出して外へと行った。見ると海岸の方まで降りて散歩しているようである。私も行ってみたくなり、着替えて降りる。
海岸は石だらけで、私の足では歩くのがおぼつかない。おまけに海岸まで降りる手段として、半ば朽ちかけた木製のハシゴがひとつ立てかけてあるだけ。もと科学雑誌編集者の植木氏の解説(半ばダジャレ)を聞いて笑いながら、磯の生物層の勉強をする。なかなかぜいたくな時間である。
帰って朝ご飯。ここは朝が和食。さんなみのように朝からエクストラヴァガンダな饗宴、ということなく、きわめてシンプルに、干物一尾、味噌汁一腕、ミョウガの漬け物を細かく刻んだもの(全員がこれを口にしてふむ、と声をあげた美味)、豆腐にいしりをかけたもの、切り干し大根という素朴かつ日本の基本、というようなもの。さわやかに食べ終わる。宿の前で記念写真をみんなで撮り、九時に波並駅へ。頬を心地よく風がなでていき、朝の光は目を痛いくらいに刺す。さんなみのお母さんが、わらびの茹でたのをおみやげに、と駅まで持ってきてくれた。待合室(小屋みたいなもの)の中で植木さんと話していたおばさん、近くの漁師の奥さんで、さんなみのお母さんとも知り合い。“東京の人と話して、また帰りたくなっちゃった”と言う。浅草出身なのだそうだ。こういうのも年をとっての望郷である。お母さんが“なに言ってんの、あんなごちゃごちゃしたところ”と言うと“だってネオンは恋しいわよ”“ネオンはイカ釣り船の漁り火でじゅうぶん”という会話。どちらの言うことも理解できる。今の私は二人のちょうど中間の立場か。
昨日と同じ列車にまた揺られて、七尾で乗り換え。待ち合わせ時間がどの場合も、たっぷりすぎるほどで、みんなあぐねる。ことに昨日のモーゼ組はウンザリ。七尾の初代の駅長だかなんだか、とにかくエライ人の書いた文句が石碑になって置かれている。正確なところは忘れたが“社会 知性 奉仕”と縦書きに並べてある。せめて漢籍などからとってこいよ、ファイト・マッスル・レスリングのFMWみたいじゃないか、と思っていたら、植木さんが横に“社に出ては知を奉り、会えば性で仕える”と読んだ。これには感服。
金沢駅に12時55分着。時間が一時間半ほどあるので、駅ビル食堂街の、加賀の麩料理の店へ行き、二千円の麩懐石コースをみんなで食べる。刺身、カツ、ステーキなどをみんな麩で作った精進料理。どれもベタ甘で、あまりうまくない。この店を選んだのは私ら夫婦で、先般加藤礼次朗や睦月さんと来たときに寄って、そのときはまあまあだった記憶があったからなのだが、はて、味が落ちたか? と考え、ハタと思いあたった。前回は、能登へ向かう途中の行きの行程でここに立ち寄ったのだ。今回は帰路である。舌が美味に慣れていたかまだかの差なのであった。
3時ころ小松着。駅前の例のブラジル雑貨屋『イタイプー』、食料品店の方はまだあったが、オミヤゲ屋の方は影もカタチもなし。空港でいくつか民芸品買う。4時のANA便で羽田へ。今回こそはサービスを受けよう、と待っているうちにK子と二人ウトウトしてしまい、目が覚めたら羽田。また受けそこねた。羽田で一旦解散する。植木氏は出発時にサバイバルナイフ付きのキーホルダーをフロントに預けておいたのを取りに行く。開田さんはさんなみから送った山菜を家で受け取って、これと私たちの三組は今夜またチャイナハウスで合流、おみやげの山菜を料理してもらって食べようという算段である。談之助さんは帰ってすぐ書かねばならぬ原稿ありとのことで、残念ながら不参加。浜松町からタクシーで帰るが、さすがに金曜日で道が込み合い、帰ってメールチェック(40通近くあった。もっとも、半分以上はと学会のML)だけして、すぐ幡ヶ谷へとって返す。わらびをマスターに渡して、紹興酒で乾杯。今回の旅行は植木さんにかえって気を使わせたのではないかと思う。
開田さん夫妻も無事、到着。山菜詰め合わせの箱を開けて、分け前の配分。山賊の気分である。思い出話にふけりながら、〆にまたうまいものを食う。人生の妙味、まさにこれに尽く。チャイナ、今日は某テレビ番組から何かアイデアをと頼まれて作ったという肉団子が確かにアイデアたっぷり、ユニークな味だった。あとは例によっての名品揃い、ウナギとギョウジャニンニク、黒クワイと鹿肉など、さんなみのものが素材のよさを主体にするため、作り手の腕を極力裏に押し隠しているのに比べて、こちらは素材の取り合わせからまず、マスター石橋さんの技術のさえが光る。通俗な比喩を許してもらえれば料理を交響楽として、さんなみの船下さんはカール・ベーム、石橋さんはカラヤンか。ベームの『運命』がベートーベンのオリジナルの魅力を究極に引き出してそれ以上のものにしているのに対し、カラヤンはまず、何より自分の解釈で聴かせる。ベートーベンを聴きに行くのではなく、カラヤンを聴きに来させるのだ。気障と言えば気障だが、今日びこれだけの気障を誇れる人もいない。そして、さんなみであくぬきしたわらび、山菜組がとったこごみを、石橋さんが調理した二皿はまさにベームとカラヤンの幸福な競演という感じで、こちらを恍惚とトロかした。山菜組(なかんずくあやさん)と石橋さんに感謝の念を込めて平らげる。
紹興酒をどんどん植木さんと行く。体の疲れが作用したか、少々ヘンな酔い方をしてしまい、世の中に不平をまき散らすようなことになる。あまり旅に満足した、これは反動か? とも思う。満足は実はモノカキにとっては大敵である。本能がいつものヘソ曲がりに戻れ、とツツいたのかも知れない。気圧も少しヘンテコであったが。