裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

土曜日

大天使ガブリヨル

 天使、がぶり寄り! あ、ヤコブ、けたぐり! けたぐり!(創世記32章)。朝7時半起床。夢でM氏の仲介で、ケンカしているY氏と仲直りする。私以外そのM氏もY氏も、周りにいる人々も、『田園に死す』みたいに顔の前面に白粉を塗っており(ただし色は白でなく青)、私を含めみんなの言葉はまるでテープレコーダーを遅く回転させたようなゴモゴモとした音。非常に不気味である。ただし目覚めは快適。朝食、オートミールと青豆スープ。ブラッドオレンジ小一個。花粉症がまだ続いているので寝る前に鼻炎薬をのんでいるのだが、副作用で翌朝、鼻腔内がカラカラに乾いている。カサブタ状になった粘膜がはがれて傷になり、そこから雑菌が入ったらしく、一カ所腫れているところがあって痛い。ソルボンヌ経理部長から経理報告。収入は順調。ただし支出も順調すぎ。

 朝食後、腰が急に疼き出す。アリナミンとコンドロイチンでアリコン療法を試みてみる。気圧のせいか、椅子が体に合わないのか。原稿猛然と書き出し、1時間で海拓舎原稿二本、アゲる。12時、家を出て神保町へ。例により教育会館古書即売会、趣味の古書会。いつに増して黒っぽい本が多かった。状態が非常に悪かったので買わなかったが、桃川若燕という講釈師が昭和2年に出した『乃木将軍実伝』(郁文舎)という講談本がある。若燕という人は実際に乃木将軍麾下で旅順で戦った兵士あがりだそうで(映画『二百三高地』で佐藤充が戦後、戦争講釈家になるエピローグがあったと思ったが、ひょっとして彼がモデルか?)実際の戦場の様子や乃木の横顔を知っているというのが強みだが、その角書が“皇室中心・大和魂の宣伝”。宣伝という言葉が今のように即、パブリシティを意味するようになる以前の、プロパガンダという意味の方(ゲッベルス宣伝相、の宣伝)での使用だが、なんかヘンな感じがする。で、この本のラストは、自刃した乃木将軍の慰霊碑が建立されて参拝者が絶えず、周囲に乃木焼き・乃木饅頭・乃木煎餅・乃木将軍遺品展示会などなどの出店がたくさん出てにぎわって、めでたしめでたし、となる。やはり、なんかヘンである。

 同じく戦地ものでこれは買ってしまったのは昭和14年高見澤木版社刊『戦場絵日記』。表紙に赤判で“憲兵司令部検閲済”と捺してあるのもものものしい。軍医大尉として大陸にわたり、そこで病没した著者・藤田近二が戦場での日々を絵にして描き残した日記である。凄惨な激戦の模様あり、陣中閑ありの描写あり。音の表記が面白い。重砲がドデーンドデーン、野砲がパアーンパアーン、爆撃がドドドドドドドダーン、機銃掃射がポオポオポオポオポオポオポオポオタタタタタタタ、小銃がパチパチパチパチ。敵砲弾が近くで破裂するとドンではなくワアー、と聞こえるという。

 総額1万6千円ほど使って出る。朝食が少量だったので腹が減り、ボンデイでアサリカレー。アルバイトの女の子が何か買い物を命じられている。主任が“店を間違えるなよ”と念を押すと女の子“あの、本屋の前の店ですよね”。主任“ここらへんの店はみんな本屋の前なんだよ!”に笑う。このバイトの子は十八か九くらいか。考えてみれば私はこの子が生まれる前からもう、この店に通っているんだな、と思うとちと、愕然とせざるを得ず。

 いくつか他の書店回って、仕事用の資料など。最後にカスミ書房に行き、ご主人に新著二冊、進呈する。たまたま店にいたお客さんが、カバンから“偶然、いまそこで買ってきたんですが”と『マニア蔵』を出し、サイン求めらる。偶然いまそこで、というのがなかなか。台本類をかなり仕入れたようで、その話。私がそう言えば潮健児さんの遺品の台本が、と話すと、奥さんが“やめてください! いまウチの人の目がちょっと異様な光を発しました!”と。イヤ、売りはしません。しかし、あの台本類は潮さんが所持していたときから保存状態が悪く(すでに以前の住居で水につかってしまっているものが多い)、うちに引き取ったものも、一年ほどして整理してみたときに、すでにカビが生えてボロボロになったりして、始末せざるを得ないものが多数あった。幸い、仮面ライダーや網走番外地など主要作品のものは残っているが、これも調べると完ゾロではなく、かなりアナがある。生前、ファンなどに求められるままに貸して、それきりになってしまっているのだろう。潮健児文庫としてまとめるにはここらがネックなのである。せめて、私の手でそのアナを埋め、話数のみはそろえてから、公開しなければならないが、なにしろ出演作品があまりにも膨大なため、これは私が生きている間に出来るかどうか、という大変な作業になる。まして人気番組のシナリオとなると揃えるだけでいくらかかるか。しかもそうやって揃えたとして、現在、こういう個人所有の、しかも刊行物ではないシナリオなどを、一般公開用に引き取ってくれる図書館などまず、ない。頭が痛いところである。カスミさんご夫婦、そのお客さんなどと、本の整理、所蔵の苦労などについて雑談。なをきが三日ほど前に来店したそうだ。どの棚に行きました? と訊いたら、いつも私が真っ先に行く棚と同じところ。兄弟やはり似ている。

 店を出るとかなり空模様がおかしくなっている。腰の疼きはやはりこれか、と納得する。帰宅、珍しく休まずに原稿書き。しかしやはりすぐダレ、ネットに逃避。検索してみると、乃木将軍の部下だった桃川若燕は二代目で、昭和22年、74歳で没している。あの本以外にもいくつか乃木将軍伝を出しているらしい。あと、今日買った本をパラパラ眺めていたら、妙なことに気がついた。開拓社(海拓舎ではない)『英米風物資料辞典』という900ページ以上ある大著、刊行は1971年のもので、編者は井上義昌という、辞典類の著書も多い人だが、その人が巻頭に『風物という言葉について』という文を掲げ、英語におけるrealia(文化的背景を持った事物)のことを語っている。それはいいが、その冒頭に
「ユーモア作家George Mikes[ミケッシュと読むという]の“How To Be A Realien”という書物がある」
 と書いており、
「‘Realien’という言葉は編者の知る限りでは英米の大小の辞書には出ていないようである」
 などと首をかしげている。当たり前の話で、ミケシュが書いたのは『How ToBe An Alien(外国人になる方法)』であり、Realienなんて単語は入ってない。編集者の仕事であろう巻末の参考書一覧にはちゃんと正しい書名が記載されているから、これは井上義昌がカン違いしたものをそのまま書いてしまっているわけである。誰か注意しなかったのか。私が買ったのは二刷であるが、そこでも訂正されていないところを見ると、編者代表のおえらい先生には誰も指摘できなかったのだろうか。それにしても、ミケシュのこの本は有名すぎるくらい有名で、世界各国で出版されている(日本では昭和33年に研究社から『おかめ八もく英米拝見』というひどいタイトルで翻訳されているが、岩崎民平の古くさい訳がかえってミケシュのおさまった感じのユーモアに合っていて、その後ミケシュの代表的翻訳者となった倉谷直臣の訳より好きである)。読んだことがあればすぐに間違いに気がつくと思うのだが、内容紹介も“通俗的処世訓であり”などというおざなりなものであるところからして、井上義昌はこの本を読んでいないらしい。どうも、この辞典自体に対する信頼度が急速に薄れてくる。これも、面白いのでネットで検索したら、やはり気になっていた人がいるらしく、『辞書におけるレアリアの記述』
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/paper/realia.html
 で指摘されていた(ただしこの文章は文字化けが多く、グーグルのキャッシュで読んだ方がよく読めた)。・・・・・・と、なんだかんだしているうちに8時になる。K子と待ち合わせの時間ぎりぎり。あわてて神山町『華暦』へ。

 今日は土曜日でこの店も暇。要するにここの得意客はNHKでも“週末には休む”人種であるらしい。ゆったりとのさばって、刺身盛り合わせ、鴨と蓬麩の治部煮、イイダコなどを味わう。酒は吉乃川。いつもの通りK子と楽しく業界情報交換するが、ひとつ不愉快な情報あり。某誌連載のエッセイのスペースが四月改編で縮小されるのだが(それは別にかまわないが)、そのことがイラストのK子には担当から知らされていて、私のところには連絡がない。K子には“唐沢先生には上司からお知らせが行くと思います”と連絡があったという。カタチとして上司から、というのはこちらを重んじたつもりかも知れないが、その報告なるものは、未だこちらにはない。結果として私だけその決定に関してはツンボ桟敷に置かれた状態になっている。形式はともかく、そんな大事なことをなぜ執筆者の私が真っ先に、しかも担当編集者の口から聞けないのか。怒られるとでも思っているなら、ずいぶんと小人物と見なされたものである。憂鬱になる。もっとも、こんなトラブルはモノカキを数年やっていればいくらもあることで、今回が初めてではない。気圧の変化で神経が過敏になっていたせいではないかと思う。K子もちとカリカリ状態で、かなりの言い合いになってしまう。久しぶりの夫婦ゲンカだった。案の定、夜半になり、雨が降り出す。あんな好天気の朝から、この時間に至っての雨を予知するとは、肉体の気圧への反応というのは恐ろしい。深夜に二人とも落ち着くが、寝付かれず2時過ぎまで読書。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa