裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

火曜日

神田五反田

 ミミちゃんは神保町の教育会館に行ってから五反田の南部古書会館を回り、古本市のハシゴをしました。朝8時起床。ゆうべは2時頃から半覚半睡状態でフトンの中で輾転反側する。やはり脳内の興奮物質が残っていて、眠りを妨げているらしい。若いころは簡単にテンションの上げ下げがきいたものだが。無理に起き出し、朝食、オートミール、青豆のスープ。スーパーモーニングの新コメンテーターとして、長髪の、顔のデカい、なんだか正体不明のおっさんが出ている。紹介を聞き損ねたので誰だかわからぬ。いちいち発言のたびに隣の木元教子の方におうかがいを立てるように視線をやるのが気味悪い。

 ネットチェック。と学会の会員相互連絡がMLに一本化され、4月1日をもって、ホームパーティ時代から数えるとほぼ9年続いた、連絡用パティオが廃止になった。そもそも私は最初、モノカキのパソコン導入にかなり懐疑的だった男で、食わず嫌いを決め込んでいた。それが、と学会が結成され、その会員同士の連絡はパソコン通信で、ということが決まって仕方なく、始めたのである。あっと言うまに水になじんでしまい、エフコメディのボードリーダーを引き受けて裏モノ会議室を立ち上げたり、官能倶楽部に参加したりしたのも、もとはと言えばここへの参加が始まりだった。いささかの感慨を覚える。

 昼は、ゆうべ青葉で余ったのをオミヤゲにしてもらった、家鴨のローストのぶつ切りが残っている。酒のつまみにはまことにうまいが、飯の菜には不向きである。さてこれでどうやって飯を食おうかと考え、池波正太郎のエッセイで読んだ、大石内蔵助が討ち入りの晩に食ったという料理を思い出して、そのバリエーションでやってみようとひらめいた。大石のは、鴨肉を煮るのだが、こちらは家鴨とネギのぶつ切りを醤油とみりんで甘辛く炒め、卵二個をつぶして溶いたものに混ぜ込んで、熱くした飯にかけて食べる。後は菜の花の味噌汁。なかなか野趣があって結構な昼食だった。

 二見書房Yさんからメール。阿藤海は現在阿藤快と改名しているらしいとのこと。一行知識掲示板にもその旨の書き込みがある。改名するってことは、やはり現在、仕事などが思うように行ってないのであろうか。彼のような、存在するだけで画面が非日常になってしまう俳優、日本じゃ使いこなせないのかもしれない。ところでYさんは小説について、会って話そう! と言ってきている。このラッシュが終わったら、必ずカタチにしたものをお見せしますので、と返事を書き、サテいつ終わるのか、がまだ見えていないことに気がつく。

 女房がカードを持ってきて、これを持っておけ、と言う。何かと思ったら保険証であった。保健証もついにカード化する時代になったか、と驚く。芝崎くんから、O社の文庫の件で連絡。データに手を入れる作業をどうするかという件。体調、悪いというのでなく落ち着かない。仮眠をとろうとしても寝付けず。原稿を書こうとして書けず。救心内服液とアリナミンのみ、なんとか気力をふりしぼって『Memo・男の部屋』を三分の二まで書く。4時、時間割にて徳間書店K氏と打ち合わせ。そろそろ本腰を入れて急がねばならぬ『アニメージュ魂』原稿のスケジュール。ざっとだが、勘定してみると10日くらいまでに30枚書かねばならぬ。体力落ちているときに思うとゲッソリする数字である。

 5時半に、ロフトプラスワンへ。まさにロフト形式の楽屋に行ったら、昨日とはおもむきがガラリと異なっていて驚く。壁が張られて、床はフローリングしてある。毎日終演後に少しづつ改装しているらしい。腹をもたせようと焼きそばを食う。食うというより腹に収めるという感じ。『ドラゴン水滸伝』を開演前用にモニターで流してもらい、その間に眠田・岡田両氏と、今日のフリートークの内容について、ざっと打ち合わせ。岡田さんがいろんなテーマを紙に書き出し、それにどんどん答えていくという方式にする。その設問がいちいちツボをついている。こういうときの仕切りをさせると岡田さんは天性の才能を発揮。

 仕切りと言えば切通理作さんが、こないだの対談のとき、以前のオタク大賞の話をして、壇上でのカラサワさんの仕切のうまさに驚いた、と言ってくれたが、岡田さんはスタッフルームでの仕切りの天才であり、やはりプロデューサー感覚なのだろう。私は、企画会議などではむしろ居眠り派である。私の能力は現場での進行・調整・誘導・まとめの方にあり、これはディレクター能力兼役者の能力である。K子が来て、会社の経理について、岡田さんと、他にはちょっと聞かせられないようなセキララな会話をしている。私は昨日に引き続き、アスペクト、講談社それぞれの単行本にサインをする。鶴岡がやってきて、柳瀬くんと、私の昨日の日記の記述が“いやあ、あの内容であれしか書かないという意地悪さに感心しました”と話す。Bさんは今日もOくんと一緒にやってきていた。開田さんが、濃い円谷プロばなしを楽屋で開陳してくれるが、その内容もさることながら、話しながらどんどん、イントネーションが京都人のそれにもどっていくのが面白い。やはり人間、自分の本領の話に熱を入れると、若い頃にタイムスリップするのだろうか。

 昨日とほぼ同等、女性が少ない分やや落ちるか、というあたりの客入り。さっそくトークに入る。岡田さなんがいろいろテーマを書いた紙を引いて提示するが、一番最初がいきなり“『くりいむレモン』の思い出”。眠田さんひっくり返って、“最初からこういうのを引き当てるってのは『遊戯王』並のウデだよ!”と笑う。さて、それから次々、『老後』『人生最後のネタ』『三億円あったら』『2ちゃんねるにバレたら困ること』『これだけは許せない』『裏切られた経験』などという濃いのやウスい設問に、どんどん三人で回答していく。客もウケてくれるし、話す方もノる。性的なプライバシーまでどんどん公開して、いいのか、こんな捨て身で、という感じでしゃべりまくり、テンションはどんどんあがる。それこそ、今日は仕切りは岡田さんにまかせたという感じで、話をいくらでも脱線させていいというノリ。自分でも不思議なくらいアドレナリンが放出された。話だけでダレたときの用心にネタもいくつか用意してきたのだが、全く使わぬまま、11時ジャストですべてのフリップを使い切ったのはまるでしつらえたようで見事。

 終わって、QPさん気楽院さん他、常連さんに挨拶。Bさんともちょっと話す。と学会本の座談会もそろそろやらねばならないですね、ということなど。談之助師匠、K子とと学会グッズの扇子のことを話している。われわれ三人、開田夫妻、K子、柳瀬くん、師匠、斎藤さんの9人で炙り屋で打ち上げ。岡田さんがまた食うわ食うわ。私も昨日の反省から、使用済みのテンション下げるには食うこと、と思い、クシカツを食い、寿司を食い、あんかけ焼きそばを食う。斎藤さんは昨日見せた『ジャンボーグA対ジャイアント』の映像が凄まじいインパクトだったらしい。夢に見そうだ、という。岡田さんは躁状態で、次のオタアミはバンド組んでコンサートだ、などと息巻く。体力尽きたと12時あたりで岡田さん退場、眠田さんも終電で帰ろう、と帰宅。われわれはさらにダベり、2時近く、引き上げる。疲れたことは疲れたが非常に心地いい。帰宅したらFAXいろいろ。

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