16日
火曜日
けんじ物語
飯野、大槻、宮沢、潮、内海、W、新沼、森田、他、あまたさぶらひける中に。朝6時起床。原稿書き。明日から三日間の小旅行である。今日じゅうに片づけねばならぬ原稿多々。とはいえ、昨日はクレしん見てしまったので日記も長くなる。とりあえず日記からやっつけた。筆ならし、である。8時、朝食。スープスパを作るもあまりうまくなし。具にうまみを出すようなものがなかった。昨日にうって変わって雲厚く風強く、なにやら不穏な天候である。
それからメールチェックなど。幻冬舎からチェック用原稿届く。ここの文庫刊行は6月で、ちくまの一ヶ月先であった。そりゃそうだよな。昨日の日記で幻冬舎に速かろう悪かろうのイメージを与えてしまった。ごめんごめん。その6月に、立川流トークの第二弾をやってくれとロフト斎藤さんから電話。これも昨日メールで来ていたことなので、再確認をしたら、現在までのところブラック、談生、キウイはOK。後は志加吾のスケジュール次第。談生さんに、キウイをそれまでにしっかり鍛えておいてくれと言っとかないとな。日記をアップしたらすぐ、読んでくれたらしく畸人研究の今さんから電話。中川彩子の件、協力を約してくれる。有り難し。私は知人に恵まれている。すぐに河出のAさんにその旨FAX。鶴岡も日記読んだらしく電話、中川彩 子の次にもし、秋吉巒やるようなことがあるときには書かせてくれとのこと。彼は秋吉未亡人に昔、インタビューに行ったほどのマニアなのである。
講談社Web現代。一気に片づけてしまえ、とダガダガ書き出すが、さすがに9枚強あると、2時間はかかる。ツカミから本論に持っていくそのやり方がいささかアクロバット式で、ムリがあるかな、という感じだったが、たまたまテーマが“曲芸”であったから、これでいいか、と2時にアゲて、YくんとK子にメール。
新宿に出て、いろいろ雑用。昼はてらだ屋のびんとろ丼。紀伊国屋へ寄って資料をあつらえ、さらに伊勢丹で買い物。なんだかんだどたばたしていたら4時になってしまう。一日ってこんなに簡単に夕方になったか? 学校だの会社だのにいたときは、長くて長くて仕方なかったものだが。ゲラチェック、図版送付などの編集部との連絡を数件、電話とFAXでする。こういうアタフタした忙しさを嫌がらず、仕事がある証拠、と思うことにしよう、と何度も思うのだが、それでも神経はスリ減らされることである。編集の人から個人的に“ボクも悩んでます”などというメールを貰うと、オレだけではなかった、とちょっと気が休まったりする。品田冬樹さんから電話、例の『くもとちゅうりっぷ』のフィギュアの件、宣伝に一肌脱ぐことにする。やはりこういうことになるとだまっていられない。アニドウの縞は洗っても落ちない。
さて、佐々木うどん氏から“明日朝までに届かないとオチます”とオドカシの電話の入ったアニメージュ魂原稿、書き出してみると思ったよりサクサクすすむ。こうなるとナマケ心が出てきて、今夜はK子に勝手にメシを喰え、ワシは仕事だ、と言い渡したのだが、外でも食えるじゃないか、と思い直し、ちょうど火曜でK子がフィン語教室なこともあり、夕方6時に一本(全4本)送ったあと、別件で電話したついでに夜は一緒に食べようと言っておく。で、次の一本を9時にアゲてメール。あとの二本は体力を回復させた朝に、と決め(もちろん、大体のところはまとめてある)、タクシーで四谷へ。ひさしぶりにおでんの『den』に行き、明日の旅行の話などしながら、バクダン、大根、サトイモなど、お気に入りの自家製豆腐などで、こづる梅割を三バイスゴしてしまう。これだからオレは、とも思うし、しかしこれがオレのやり方(決してムリをしないのが長続きの秘訣)である、と満足でもある。
明日から19日まで、開田夫妻、談之助夫妻、植木不等式氏らと能登旅行。その間日記更新は休み。ただし、明日の朝、原稿がアガらなかった場合はその限りではないので、日記が更新されなかったら、無事原稿はアガったと思っていただきたい。では また日曜日に。