裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

土曜日

後楽園遊園地で僕と搾取!

 資本家戦隊ブルジョア5ショー開催中! 朝7時20分起床。昨夜はかなりの雨であったらしいが、そのおかげで空気中のホコリがはらわれ、キラキラ春の日差しがすべてのものを包んで輝く、人の心をうわずらせるような好天気である。朝食、チーズとサーモンのサンドイッチ、モンキーバナナ。食った後で、ちょっと胸焼け。胃酸過多っぽい酸っぱいげっぷが出る。

 じゃんくまうすさんから宅配で買った古本が届く。春先は古書目録がいろいろ届く季節である。最近はあまり目録買いはしないのだが、一応目は通す。某書店の目録に週刊プレイボーイ昭和43年9月24日号、黒柳徹子ヌードというのがあり、買おうかどうしようか、わが心の内の悪趣味の神様と自問。鶴岡から電話、親父ギャグみたいなエロばなしが止まらなくなる。悪趣味の神様、スイッチが入ってしまったみたいである。郵便で入金通知が何軒かあるが、連絡をしたのにまだ唐沢の個人名義に振り込まれているのがある。

 12時、神保町教育会館に出かけて毎度おなじみ古書即売会。愛書会なので、かなり黒っぽい通好みの本が並んでいる。もっとも、あまりこちらの趣味に合ったものはなし。1時間ばかりいて6〜7冊、数千円のみ。ただ、昭和20年代末〜30年代初期の週刊誌類が積み上げられており、パラパラ立ち読みしたら『サンデー毎日』昭和31(1956)年6月10日号に面白い記事があったので200円出して買ってしまった。『来るか科学小説ブーム』という記事。
「いまを盛りの探偵小説ブームを横目に“もう探偵小説なんて古いですヨ、今度は科学小説時代だ”と、大々的に宣伝している出版社がある」
 という書き出しで、元々社の『最新科学小説全集』のことを取り上げている。で、室町書房や誠文堂新光社などのシリーズの挫折のことにも触れ、西部劇小説と科学小説は手を出すと失敗する、というジンクスが出版界にはあるが、“しかし、今や日の出の探偵小説のほうも、昭和のはじめから二、三年まえまでは、出版界に失敗のジンクスをばらまいていたものだ”と、今後の可能性に目を向けている。

 そして記事はアメリカでの科学小説ブームのことなどを紹介した後、最後の段をこう結んでいる。
「果たして科学小説はどこまでのびるだろうか? ロケット博士の糸川英夫教授は科学小説大もてのアメリカ読書界を分析して“テレビ、電気洗濯機、自動ゴミステ機などが相ついで家庭にとり入れられたことにより、技術への親近感が生まれたことと、一方原子力や人工衛星の出現によって、知らず知らずのうちに大衆に空想科学小説への親しみをもたせたのではないだろうか”といっている。博士の意見が正しければ、科学小説ブームが日本にくるのは、まだまだ先のことになるだろう。なにしろ日本では自動ゴミステ機など見たこともない人がほとんどなのだから。火元のアメリカですら、科学小説の読者層は、探偵小説のそれより高級だと言われている。だが悪口はいうものの、探偵小説一本槍の早川書房をのぞいては、各版元とも、ひそかに科学小説翻訳の瀬ぶみをはじめたという噂がしきりである。そこで読者としては、まずはこれにしたしむために、ゴミステ機までとはいかないまでも、せめて電気洗濯機が一家に一台もてるようにしてもらいたいものだ。さもなければ、いかほど普及したところで日本の文化の逆立ち現象に、また一つの新種が加わるだけに終ろう」

 ・・・・・・出版状況紹介がいつのまにか生活レベルのグチになってしまうあたり、天下のサンデー毎日の理解力もこの程度か、というのが笑える。洗濯機が持てるか持てないかは政府にいうべきことで出版界に言ったって仕方ない(コメンテーターの糸川博士がはるか後年、トンデモ科学者としてと学会に取り上げられるようになるというのも、時代というもののわからなさ)。しかし実際、この元々社のシリーズは、親会社の倒産で挫折するとはいえそこそこの成績を残し、こういった科学小説勃興の空気を肌で感じていた一人の青年〜名前を福島正実という〜が、この年早川書房に入社し、翌年のハヤカワ・ファンタジー(後のハヤカワSFシリーズ)の刊行、59年のSFマガジンの創刊と、その地歩を固めていくことになる。それにしても、この、福島正実入社の年にはまだ“早川書房をのぞいては”と、早川は最も科学小説に遠い出版社と思われていたのか、というのが何とも意外。改めて、現在のSFシーンというのは福島正実が一人でレールに乗せたんだなあ、という感慨を強くしたことであった。この記事から46年、日本のSFは今後どうなるのか。自動ゴミステ機はまだ私も見たことがないが。

 出て、白山通りいもやで天丼。腹の空き具合がちょうどのところで、いつもに増してうまい。ただ、シシトウをかじったらこれがアタリで、ヒー、と悲鳴をあげる。隣に楚々たる美人がいて、ガツガツかきこんだりせず、上品に箸で小鳥のエサくらいづつとっては、ひらり、ひらりと口に運んで食べている。全部食べきれるのかと心配になったが、途中優雅にお茶をすすって中休みをとったりしながら、ついにきれいに食べ終わったのに感心。私も妙なものに感心する男である。こちらはやや油にあたった か、朝からの胸焼けがいっそうひどくなった。

 それから目的の書店に行き、資料を探す。ここにならあるだろうとつけた目算が見事ドンピシャに当たり、何の苦もなく購入できた。ここらへん、やはり使いこなすことさえできれば神保町は凄いなあ、と思うのである。青山に寄って買い物しようかと思うが、今日は料理している時間などないと思ったので、そのまま帰宅。横になって買った資料を眺めているうちにグーと寝てしまい、植物人間になった祖母がネズミのような目で私を見つめるという実にいやな夢を見た。胸焼けのせいだろう。

 ゲップしながら仕事ちょこちょこして、8時、新宿。三笠会館でK子と食事。食前酒にビールを飲むと、胸焼けがスーッと下降していく感じがして快い。四方山の話をしながら、生野菜もりあわせ、蛤とタケノコのポッシェ。ポッシェてなんです、と訊いたら、クールブイヨンで茹でたものだそうな。蛤の風味をいかした薄塩味で、ブイヨンには青海苔が浮かしてあり、とんと潮汁という感じで面白い。あの、蛤を食べる際にいつも思うのだが、身は箸やフォークではずせるが、後で殻に残る貝柱が何とももったいなく気が残る。家だと指でちぎって食べてしまうのだが、レストランではまさかそうも出来ぬ。あそこにナイフを入れて、貝柱も食べさせてくれる店があったらうれしいだろうと思うのだが。あとはパスタに、メインが鯛のラビオリ包み。これはさほどの味ではなし。食べ終わってもまだ雑談がはずんでいたので、チーズを食後に頼んで、安ブランデーでつなぐ。ド忘れで単語が出てこず、ボーイさんに“ホラ、あの、パテを四角い型に入れて焼いたの、なんて言ったっけ”と訊いたら“テリーヌですか”と即答してくれたのでK子大喜び。これからこのボーイ氏はずっと“テリーヌのヒト”になるだろう。

 帰宅して、じゃんくまうすから届いた本を二人でチェック。『こけし』等の貸本少女誌、今回はいつものに増して脳天気度が高く、私もK子も酔いも手伝ってゲラゲラとバカ笑い。一緒に買った松島トモ子ちゃんの写真マンガと共に、UA!の新刊のネタがいくつも拾え、得した気分である。いい年した夫婦が二人で貸本マンガをのぞき込みながら転げ回って大はしゃぎする春の夜。やはり春は人をうわずらせる季節のようだ。

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