4日
月曜日
雀荘を知らない子供たち
うちの子供たちはもう、賭け事はさっぱり。ところで昔池袋に『マージャンハウス朝間』という店があった。あさま雀荘である。朝7時起床。ゆうべ寝る前に風邪薬、肩凝り用の消炎剤などをいろいろのんだので、目が覚めたときには鼻も口も乾ききっていて往生した。朝食、味付け卵にタモギタケのスープ。果物はイチゴ。ゆうべからニフティの調子がおかしく、メールを出したりパソ通のパティオに入ろうとしたりすると、“セキュリティが確立できていません”と警告が出る。あえて無視して続ければちゃんとメールも出せるしパティオや会議室も読めるが、いちいち警告が出てうるさくて仕方ない。初期設定のセキュリティのところをいろいろいじくったが直らず。平塚くんにメール出して相談したが、彼もセキュリティ設定のところを確認するくらいしか手がない。K子も愛用していたシグマリオンが昨日、突如として御陀仏になったとか。IT革命とかネット時代とか言うが、いずれも極めて不安定な土台の上に築かれているものなのだと、もう一度ココロしないとひどいめにあいそうな気がする。
ちくま文庫M氏から、文庫に入れる植木不等式氏の解説がファックスされ、読んでうなる。下手に著者のどうでもいい紹介に流れず、かといって自分のことばかり好き勝手を並べている(有名人によくある形の)独尊的解説とも違った、ちゃんと読物として笑わせどころを押さえて成立しつつ、忘れずに著書をヨイショしてくれている傑作コラムである。うーむ、文庫版後書きはこれに負けぬものにしなければならないと思うと大変である。海拓舎Hさんから電話、出版時期につき明日打ち合わせ。
まず、Web現代。今日は調子よくサクサク行き、昨日書きかけだったやつを全部破棄して一から始めたにも関わらず、2時前までに9枚、片付けられる。上の部屋で改装をしているらしく、朝からずっとガリガリゴキゴキと大工仕事の音が響く。幼児期を高度経済成長期の、町と言えばどこかここかでビル工事の音がしていた時代の真ん中で過ごした恩恵で、この程度の雑音は何ら仕事のさまたげにならないのがありがたい。昼飯はパックの麦飯を温め、ヤマイモをすってトロロ飯にして流し込む。それとアブラゲの味噌汁。
3時、家を出て西永福佐々木歯科。このあいだ調整した右奥の冠をかぶせる。例によってオモシロイ器具いろいろ。考えてみれば子供の頃から好きだったよなあ、歯医者のこういう器具類。1時間半かけて最後の調整、噛み合わせ等を調べてアガリ、お値段5万8千円。ただし治療はほぼ、これでおしまい。あとは4ケ月にいっぺん、歯石などを取ったり、入れた歯の調子を見たりするのに通うだけ。7月になったらお電話くださいと言われるが、果して覚えていられるか?
帰りの車中、渋谷の路上で100円で買った林望『知性の磨き方』(PHP新書)読む。1996年初版、2001年10月で21刷。うらやましい。それにしても凄いタイトルである。何か気恥ずかしい。読んでみるとカルチャーセンターの悪口が並べてあって、あんなもんは学問ではない、などと書いてある。学問というのは大学でしか学べない、しかも大学生の中でもホンのひと握りの学生しか本当には学べない、学問なんて所詮、その程度の歩留まりのもので、それで一向に構わない、そんなに学者ばかり増えても困る、とある。おっしゃるところまことに御尤もだが、どうも表題である『知性の磨き方』という方向にこの本は進んでいかないのではないか、と思っていたら、本当に進んでいかない。読書なんてしなきゃいけないものじゃないとか、現に私は子供の頃まったく本を読まなかった、『ドリトル先生航海記』くらいは読んだが“なんだこりゃ”としか思わなかった、などと書いてある。読書なんぞで知性が磨かれるものではないことは私自身、身に染みて知っているが、じゃあどうすればいいのか、林センセイ、何も言わない。自分が大学のとき、いかにいい先生につくことが出来たかという思い出話をしているが、それは単に著者の僥倖だったわけで、この本を読んだからといって今の大学生たちがいい先生に鞍替えできるわけのものでもない。面白いことは面白いが、知性を磨く方法を知りたいと思ってこの本を手にとった読者はキツネにつままれたような心持ちになるだろう。
時間的に余裕があったので試写会に行こうかと思ったが、そうするといくつか仕事のスケジュールをやりくりしなくてはならぬことになる。来週に回すことにして帰宅する。読売の夕刊を読んだら昨日行ったクレープ料理店『ル・ブルターニュ』の記事が載っていてびっくり。ただし神楽坂店でなく表参道店。西手新九郎カスったか。同紙文化欄に、石田汗太記者による文春漫画賞廃止の記事あり。同賞が“最も権威ある漫画賞”であり、これがなくなるのは“漫画大国と胸を張るには寒すぎる状況”と嘆いている。本気だろうか。そもそもこの賞が漫画界での知名度、影響力をぐんと落とした背景には、長いことこの賞の審査委員をつとめてきた加藤芳郎、サトウサンペイらの不勉強があることは夙に指摘されてきた。しかも、一時期この賞がほとんど日本漫画協会によるお手盛りとなり、協会員であるという理由だけで一般的知名度のほとんどない作家の作品に与えられ続け、その結果社会から乖離してきたのはまぎれもない事実である。石田記者は“いしいひさいち、けらえいこといった俊才を確実に拾い上げ”、などと書いているが、いしいひさいち自身が受賞の言葉で述べているように彼はこの賞の受賞を何度も逸しているのだ。彼が『がんばれ! タブチくん』で低迷を続けていた四コマ漫画界に新風を吹込んだのが1979年、受賞はそれから6年もたった1985年に“一連のナンセンス漫画”に与えられている。“拾い上げた”どころか、“岸に泳ぎついた男に投げ与えられた救命具(バーナード・ショー)”以外の何物でもない。ちなみに、79年の受賞作にはマンガ作品ですらない、島添昭義の『動くイラスト・木造玩具』が入っている。マンガ業界にこの作品を見たことのある人が何人いるだろうか。ではこのあいだのタクシー運転手が言ったように(2日の日記参照)、この賞は真に価値ある作品を描いたベテランに与えられる性格のものであるのかと思えば、92年に江口寿史が『爆発ディナーショー』で受賞したとき、加藤芳郎審査委員長が“すごい新人が出てきた”とスピーチして失笑をかった(江口のデビューは77年!)のも記憶に新しい。私が出席したときには、サトウサンペイが審査報告で受賞者のやくみつるの名前を忘れて立ち往生したという場面まであった。さすがにこのあたりで問題となり(しつこく審査員連の資格のなさを言い立てていたいしかわじゅんの功績は大である)、その後審査員を入れ替えたようだが、そんな賞がこれまで継続してきたことの方がむしろ驚きではないか。それを、この記事では“賞にふさわしい候補作が少なくなり”と、あたかもマンガ家側にその責任があるかのような書き方をしている。このあいだの小谷・山形裁判の記事もそうだったが、石田汗太氏、最近どうもおかしい。向後、この署名がある記事には、眉にツバをつけて読むことをお勧めする。
8時、神山町『華暦』。今日はあまり酒を飲まないでおこう、と思っていたのだがアジ刺身などがうまく、ついつい過ごしてしまう。帰宅、ネットニュースで半村良氏死去の報。確かこの人、一時原稿執筆量ひと月1370枚という記録を持っていたはず。怪物というイメージのあった作家さんだったが、近年の作を読んで、そのパワーの衰えに“身体の調子がよくないのではないか”と思っていた。『黄金伝説』を読んで興奮のあまり寝られなかった中学生のころ、『亜空間要塞』を読んでSF作家の仲良しグループ的お遊びにいささかヤッカミを感じた高校生のころ、『うわさ帖』を読んでいつか自分もこういう名人芸的エッセイを書いてやる、と思った大学生のころ、を思い出す。その他、落ち込むメールがあったりうれしいメールがあったり。肩凝り用にイブをのんで寝る。