裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

火曜日

めぐみの喧嘩

 まあまあ、麻丘さんも、奥菜さんも、落ち着いて。朝6時半起床。パソコンを起動させ、昨日のモノマガ原稿をチェックして送ろうとしたが、読み返してみてどうもオモシロくない。全部破棄して、もう一回、アタマから書き直す。一段落したところで朝食。花粉症も一段落したか、くしゃみ全く出ず。サラダスパゲッティ一皿。果物が切れている。食い終わってすぐ、モノマガ続きにかかり、8時45分ころ完成させてメール。担当のAさんのメアドがどっかへ行ってしまったので、ちょうどタイムボカン原稿のお礼がヌカダ編集長から来たところだったので、そっちへ送って転送を頼んでおく。

 それから椅子を立たずに次、Web現代。1時半までかけて完成、メール。いつもよりペースは早い。今日は実質3時間で15枚書いている勘定。やたらに宅急便が来る。NHKのYくんがトマト送ってくれたりなんだり。とりあえず家を出る。陽射しが非常に明るく、桜のつぼみはほころびかけ、道はホコリっぽく、そのホコリが光を反射してキラキラしている。春や春、である。青山で用事をちょっと足し、西麻布をブラついて六本木まで歩く。道で高橋昌也を見かけた。『GMK』に出ていたときとほとんど同じ格好、同じ顔だった。この人の場合、途中を飛ばしているからだが、久しぶりにGMKで観たとき、その老け様に驚いたものである。オーストラリアに移住 とか女性週刊誌で読んだ記憶があるが、あれはどうなったのか?

 こまごまと雑用をすませ、日産ビル地下でトツゲキラーメン。本当は今日の腹具合にここのトツゲキは重いのだが、すでにこのビル地下の三分の二は閉店、ここもいつまでもつか、と思うと一回でも、と足を向けてしまう。ネットで検索してみても、この店の評判はあまりよろしくない。私も最初は変なラーメンだ、と思っていた。ウドンのように太い麺で、ダシは塩味が効いている、などという表現よりは露骨にしょっぱいと言った方が適当している。上に乗っている揚げ肉(ニンニクダレに一晩、漬け込んで揚げる)が絶品と言えば言えるが、上品な味とは言い難く、シナチクはよく塩出しをしていないのかガリガリしているし、器も年期が入り、底が変色しかけたりしている。水は大コップで出るが、水道の水をただついだだけで、氷も入っていないから夏などなまぬるい。出すときに、主人の指がスープにつかっていることなどしょっちゅうである。今の癇症な若者なら耐えられまい。

 それが、何回か連続して食べるうちに、忘れられない味になるのである。最初はここにはオノプロのマネージャーだったMさんに連れてこられ、御馳走になった。名物かなにか知らないが変てこな食い物だ、と思った。二度目は若いコメディアンに何か昼をおごることになり、ボリュームのあるものがいいだろうと思って一緒に行った。それでもう、中毒になってしまったのである。三十代はじめ、オノプロ事務所が六本木に戻って(最初はテレ朝の向かいだった)、毎日そこに通うようになると、ほぼ毎度、昼はここのトツゲキだった。腹がさらに空いたときには上の肉をダブルにしてもらい、これが気にいると、毎度、ニクダブニクダブと注文して食い続けた。奥歯の親知らずを二時間かかって抜いて、今日は一切固形物を口に入れるな、と言われたときも、これだけ血を流したのだから補充しなきゃ、と言ってこれを食い、ビールで流し込んだ。夏など、食い終わって出ると全身から汗が吹き出てきた。店主も、“風邪のときなんか、下手なドリンクよりうちのスープの方がよく効くよ”と自慢していた。何人も人を連れてきたが、六本木に事務所があったり、仕事場があったりする人は不思議に残らずファンになり、そうでない人は一回食ってもう御免、だった。六本木人の食い物だったのか。プロダクション末期の、第三国人や右翼やらまでからまってきた状態を何とか乗り切って、きれいに事務所をたたむことが出来たのは、このトツゲキラーメンで活力をつけていたからかもしれない。まさしくヤケクソ的な食い物だった。私にとっての三十代は、この店でトツゲキラーメンを毎日食っていた時期、と総括できるかも知れぬ。あの当時の気迫は、もはや今の自分にはない。ここには、当時の自分の残像を見に立ち寄るようなものである。今日もニクダブを頼んだが、肉は全 部平らげられたものの、麺は少々持て余した。

 ABCで本を物色、猟奇関係のものをまとめ買いする。帰宅して、と学会の会誌用原稿をまとめるが、三分の一まで書いてぴたりと筆が止まった。Web現代担当Yくんから原稿受領のメール、追記で、こないだまた例の内蒙古飯店に行ってみたが、今月26日で閉店、との報。急いで植木不等式氏にメールして、なくなる前にもう一度行きましょう、と誘う。その他、いろいろ電話。鶴岡からはこないだの情報元の女性ライターの話。しかし面白い状況になるものである。さらにQJ編集のM氏から、高橋敏弘情報。教えた住所に行ってみたがもう引っ越した後だったとか。それでも、近所の人に訊ねて、だいぶ彼のエピソードは仕入れてきた模様。聞けば聞くほど、謎の人物であるなあ。

 8時、船山でK子と食事。今日はK子がここの料理を写真に撮るためにわざわざ予約した。Yくんにもらった高知のトマト、ペティであるが甘くて美味だったので、少しここのマスターにおすそわけ。刺身、てんぷら、蒸し物、いずれも上品で、こういうものになづんでしまった口にはトツゲキラーメンはもはや合わないか、と思うと少しさみしい。帰宅、メールをチェックすると、植木氏から内蒙古飯店の閉店について“(慟哭)”とメールあり。

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