裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

木曜日

だから行くのだド貧乏マン

 なにしろ制作費が出ない番組で……。朝6時半目覚める。またしても夢の中で新しいことわざを作成させられる。何か予知夢か。なんだか苦労した末に“人参煮”という文句をひねり出し、人参は“人が参る”、煮るは字を分解すると“火”と“者”となって沸き立っている者のことで、騒然となった群集がやってくること、とかいうように解していたようだが、わが頭脳からひねり出されたものながら何のこっちゃら。

 寝床で田野辺富蔵『医者見立て好色絵巻』(河出書房新社)など読む。7時起床、ゆうべ猫があまりに腹が減ったと泣くので、牛肉缶でなくまぐろと牛こま切れというのを開けてやったら、以外や大喜びで食べていた。生まれてすぐ拾った猫なので、食い物はねだれば出ると心得てあまりきれいに食べない。猫が舐めた皿のよう、などと言う言い回しがあるが、どんな好物の皿でもそんなにきれいに食べたことはほとんどない。この猫の前に、仕事場の庭先に来てエサをやっていたノラの親子は、北京ダックの残りの骨をやったらバリバリと噛み砕いて、きれいに食ってケロリとしていたものだが。人間のエサの方は今朝はコンソメスープで煮た野菜。

 鶴岡から明日の撮影について電話。今日は弟子モードではなく、OTCの放送作家モードである。高橋敏弘のことも話す。彼はそのことよりも、QJが私に直に電話かけてきた方のことを面白がり、“風通しよくなりましたねえ”と言う。確かに最近、私の仕事範疇にあまり困ったちゃんがいなくなった。

 春先特有の鬱々とした気分で仕事も進まず、他のことも出来ず。講談社Yくんから電話、原稿の出来具合い問合せ。内蒙古飯店、どうももう料理が何も残っていないらしい。暗澹たる気持になる。天気だけはいいので、外出して、青山へ行き、夕食用の買物をする。昼飯はアテがなく、家で食おうと、帰宅してからコロッケ、梅干し、塩昆布で軽く一杯。食休みに細川護貞『細川日記』(下)を拾い読む。山本有三が著者に言った言葉“見たもの、耳にしたもの、すべてを記録しておけ”はまさに日記の原点。ただし、やはり旧大名の若様の日記で、政治軍事の大事は記録あるものの、日常の食事等の細々したことに関する記述はなし。やはり、そこらまでに到るメモを残すのは庶民の感覚なのであろう。華族の出ながら食い物の記録にこだわったロッパはやはり凄い。

 それから少し仕事して、また外出。東急ハンズ5階でDVDデッキの配線コードを買う。こないだビデマで買ったやつは通常配線にして、前からあるやつはD端子でつなごうというわけ。休日でもう、人だらけ。渋谷の至便さは捨て難いが、この人ごみの質は東京、いや日本、いや世界でも最悪の地域ではないかと思う。帰宅して配線にかかったら、今デッキを置いてある場所からはコードの長さがちょっとだけ足りないことが判明。全部投出したくなる。

 書庫でトンデモ本を物色しているうちに、ちょっといいのを発見。ネタ的に『愛のトンデモ本』向きなのだが、問題は出版元が“愛の〜”の出版元である扶桑社であることである。これは担当のOくんにちょっと判断してもらわねばならない。もっとも彼は今休暇とっているので、来週のことになる。ふと窓外を見ると、夕暮れ間近の日光が街を覆い、全体がピンク色に靄がかっている(中国大陸で猛威をふるっているという黄砂の影響もあるか?)。受験で上京した当時、このような光の中をやはり軽い鬱々状態でこの辺りを歩いた頃のことを思い出す。

 8時、食事の用意。春らしくタケノコと桜鯛の蒸し物、京菜と豚肉のチリ、それにありあわせのもの(ダイコンの葉っぱ、フレークホタテの缶詰)でわっぱ飯。K子、ひさびさに私の調理の腕を絶賛。DVDで、モンティパイソンのドイツ版。ドイツ語のランバージャックソングは少し間延びしている。あと、こないだビデマで買った、香港モノいくつか。香港映画の中のミュージカルシーンを集めてカラオケ用に字幕を入れたた『邵氏電影珍蔵金曲』は珍品揃い。あと、これは英語吹き替え版だが、『ドラゴン水滸伝』(原題“CHINESE GODS”。水滸伝という放題だが封神演義である。キャラクター中にブルース・リーの似顔のドラゴンという奴が出てくる)を途中まで見る。ビデオも何本か見るが、やはりDVDの画質を見た後で見るとちょ いとつらい。

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