裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

木曜日

シェー住宅

 イヤミの住居。札幌にいたとき毎日通学で乗っていた市営バスの運転手さんにイヤミそっくりな人がいて、これが本当のシェーバスとか思っていた。あ、関係ないけどビアズ・アンソニイの『魔法の国ザンス』シリーズも、見るたびに笑ってしまうザンス。朝7時20分起床。夢で仕事していたのは関心というか、夢でせずに起きてしろというか。朝食、オートミールとジャガイモのスープ。オートミールはやはり買いたての方が柔らかくておいしい気がする。ふるっているうち、細かい繊維分が箱の底の方にたまるからではないか。

 毎朝、他の人のサイトの日記を回るのが楽しみのひとつである。また神田森莉の日記だが、“ピジャマ”という単語に違和感を持つ話が出てきて笑う。これには私も思い出があって、福島正実という人がパジャマを必ず“ピジャマ”と書くクセがあり、中学生の頃、どうもそれが読んでいて気になって仕方なかった。著者略歴で明治大学仏文科という文字を発見したときにアア、と納得したものである。

 午前中、まず週刊現代に載る『怪網倶楽部』の宣伝に添える著者からの推薦文句というのを書いてメール。それからアスペクトの社会派くんがゆく対談のゲラチェックをやって同じくメール。今回は大ノリだったのでほとんど手を加えず。それから海拓舎原稿、三本メール。そこらで12時。東芝の人が来て、エアコンの室外機の基盤を交換。ベランダに出るには乱雑の極地の第2書庫から行かねばならず、人に見られるのがちと恥ずかしい。20分ほどいじったらちゃんと直る。まあ直ってあたりまえなのだろうが、やあ直ったと喜んだ方が、なんで故障を、とブツブツ言うより精神上はいいように思う。昼は冷蔵庫の中の余っている焼き豆腐、ネギ、エリンギなどを冷凍の牛コマと煮て、すきやき風どんぶりにして食べる。K子が一緒に昼を食べよう、と帰宅するが、もう食べた後だった。

 海拓舎続き。資料にいつぞやこの日記に引用したこともある、荻昌弘『映画批評真剣勝負』(近代映画社)をまた書庫から引っぱり出してくる。改めて気がついたが、雑誌『スクリーン』の昭和31年に寄せた原稿が前書き代わり(この本は著者の死後に追悼本として刊行された)に巻頭に載せられている。大正14年生まれの荻氏は、その文章の中で、“いま満三十一歳になりかけています。過ぎてきた半生(もう半分経っちゃったのです)を振り返ってみると”と書いている。まさに荻氏はそのとき、その寿命(昭和63年、62歳で没)の半分のところにいたわけだ。偶然とはいえ、なんたる予言的文章か。

 3時、時間割にて扶桑社Oくん、及び文庫の新担当Nくん、文庫部長I氏と会談。扶桑社文庫にて旧イーハトーヴ社の出版物を文庫化する件。他のものもいくつかプッシュしておく。あと、と学会本の写真撮影のモデルさんの件など。終えてその足で新宿に出て、Web現代の資料を探すがナシ。歩き回ってくたびれただけだった。やはり神保町の方に行かねばならぬ、となると原稿アガリは土曜日になるか。

 帰宅、メールでアスペクトと講談社から新刊をロフトのオタクアミーゴス(4月1日、2日)で先行販売するという件、アスペクトは5月にサイン会も予定。書店の担当者がK子のファンなので、K子が一緒というのが条件だったそうな。おまけでくっついていく予定であります。トークライブもやってほしいとのこと。やはり新学期以降は忙しくなる。夕刊が早めに届いたので読んでみたらダドリー・ムーア死去の報があり、驚く。66歳は早いような、最近の衰えぶりを見ると予感できていたような。『ファール・プレイ』で主役のチェビー・チェイスを完全に食ってしまう怪演技を見せ(映画を観た知人たちが全員彼のことしか話さなかった)て、コメディアン好きのこちらに“こんな凄いのがいたのか!“と仰天させたのは78年。ピーター・クックと組んで、モンティ・パイソン以前のイギリスでのコメディ番組の王者だった彼がこれ以降ハリウッドに行き、『ミスター・アーサー』などのヒットも飛ばしたが結局先細り。彼に捨てられた相棒のクックは『スーパーガール』などで私好みの喜劇的演技を見せていたがモンティのメンバーの影に隠れて不本意な境遇に甘んじたまま亡くなり、いま相方のムーアも消えるように世を去った。かつてはサンダーバードのシルビア・アンダーソンが“ムーア&クックの『ビヨンド・ザ・フリンジ』で自分たちの番組がパロディされたとき、初めて『サンダーバード』が人気番組になったんだ、と実感した”と言ったほどの寵児だった二人にしては、あまりに寂しい退場である。以前NHK教育でやった、彼のコントで相対性理論を解説するアイザック・アシモフ監修(テレビ欄で“イサク・アシモフ”などと表記されていた)の番組、再放送しねえかなア。

 海拓舎原稿、さらに書いてメール。背中が急に焼け火箸を突っ込まれたような痛みに襲われる。凝りの固まりみたいなものである。今日二度目になるが新宿に行き、整体。乗ったタクシーの運転手さんが女性、今日ついてくれた整体師さんがまた女性。運転手さんの方は田嶋陽子と顔もしゃべり方も瓜二つ。整体師さんの方はちょっと不思議な揉み方をする人で、こっちにいろいろ深呼吸させたり口を開けさせたりする。深呼吸したら“うまいですねえ、100点満点の深呼吸です。言われませんか?”と言う。自分が深呼吸名人であることを生まれて初めて知った。

 終わって8時半、すぐ渋谷にとって返し、新楽飯店でK子と夕食。えらい混み方であったが運良く席が取れる。外回り帰りらしいサラリーマンの一団がはしゃいで、なかなかやかましい。“おい、ザラメ頼めザラメ。ザラメ入れないで中国酒は飲めないぞ”などと無知をさらけだしている。とはいえ、この不景気の時代、こういう元気な会社員たちを見ると何かホッとする。いかに無知だろうと下品だろうと、サラリーマンは有用の職、モノカキは無用の職。これを忘れて詩を作る者が田を作るものを下に見るような意識を持つことは、国のためにはならない。・・・・・・さはさりながらやはり“あのねえ、紹興酒にザラメなんか入れるのはねえ”と、席まで行って説教したい気にはなるのだが。

 料理。今日は水餃子が絶品。あと鶏と銀杏の炒め物、イカとセロリの炒め物、五目焼きそばなど。ここのご主人は黒のスーツに白のチョッキ、いかにも台湾のレストランの経営者、というたたずまいで実に絵になる。初めて気がついたが、入り口の上の方にサイン色紙が並んでいる。いずれも年代もので、三國連太郎のがあったが、『無法松の一生』と、人力車の絵が描いてある。昭和37年の村山新治作品のときのだろう。K子に“お、三國連太郎のサインだ”と言ったらご主人が“三國サンはウチによく来たヨ。でも変わった人でネ、鶏の炒め物、鶏の揚げ物、鶏の煮物、モウ鶏しか食べない人だったネエ”と、うれしそうに話してくれた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa