27日
火曜日
ライディーンのことを言うと鬼が笑う
特に、“超者”。朝、7時半起床。よくまあ、毎日こう、目覚しもかけずに同じ時間に目が覚めるものだと感心する。朝食、昨日と同じナッツとコーンスープ。スープは生コーンを茹でて増量。春めいた感じに窓からの日ざしがなってきた。こういうときはたいてい、かえって体調悪し。春を感じるたびに、何かフッと死にたいような絶望感がわいてくるのが人間というもんではあるまいか。
午前中はずっと『彷書月刊』の原稿。テーマが“SFマンガ”。たかだか六枚程度の原稿に苦心するのは、若いころのSFマニアの残滓がまだカラダに残っていると見えて、どんなアホなSFマンガのことを書いても、真面目なSF論に筆がすべってしまう。洗って落ちぬ虎の縞というか、私はこの青臭い真面目さがイヤでイヤで、SFから逃げ出したというのに。これは、扱うマンガがまだまっとうすぎるからであろうと思い、もっとバカなものに取り替えて書き出すが、まだ真面目になる。ではさらにバカなものに、と、書庫と仕事場を何回か往復し、取り上げる作品の質をどんどん、下げていく。結局、ナカムラマンガシリーズのC級ヒーロー列伝で、なんとか予定のものに近いバカさに原稿の質を下げることが出来た。
急に天丼が食いたくなり、タクシーを飛ばして新宿へ行き、小田急レストラン街のてんぶら屋『天はな』で天丼を食べる。エビ一本とアナゴ一本、それにシシトウとナス。揚げ立てでおいしいが、やはり風邪あげくの胃袋に油がキツく、後でえらくもたれて苦しむ。なぜ、胃の具合が十全でないときに天丼を食いたくなるのか。本能というものがコワれているのか。
渋谷にとって返し、時間割で海拓舎Fくん。原稿明日だします、と言うと、ホントですか、と笑われる。期待されていない、とわかるととたんにホッとするのは悪いクセである。雑談少し。朝日新聞で、小田嶋隆氏が『キッチュの花園』を褒めてくれていたそうである。
家に帰って、少し横になる。『挿絵画家英朋』読む。面白いが、やはりアッサリした感じ。もっと、山(上野の山で展覧会が開催されることから、展覧会派をこう呼んだ)派と挿絵派の差別構造や、画壇での待遇の差などを描き込んでほしかったが、著者が弥生美術館勤めでは、そうそう敵を作るわけにもいくまい。著者は挿絵画家が自らを展覧会画家と差別して“あいつらは本画をやっているからうまいんだ”というような劣等感を持っていたことを指摘し、これでは挿絵画家の地位向上など期待できるはずがない、と言い、加太こうじの“芸術史上主義と決別し、挿絵は九千万の大衆のためにあるのだ”という言葉をひき、こう自覚して、はじめて挿絵は独立したジャンルを形成することができるのだ、と結論している。これには心底から同意する。もっとも、肝心の英朋が、清方と自分の晩年の差をどう感じていたか、の調査がないのが弱い。
4時、また時間割。世界文化社Dさん。会うたびに若いなあ、と感心する。資料など、あちらで調べてくれたものをくれる。昨日、昇太の受賞記念パーティに行ったんだそうだ。ナマで柳昇のトロンボーンを聞いたそうで、これはウラヤマシイ。帰るとFくんから小田嶋隆の評がFAXされてきていた。文章を褒めてくれているのはうれしい。ただし氏は、キッチュの増加は社会の消化不良の現れだ、と結論している。私は、それを健康、とまではいかないが、社会の活気の現れと見ているんだが。
風邪は完全に治っているのだが、体力は回復せず、いつも通りのペースの仕事に戻りかけているので、かなりバテている。新宿に行き、マッサージ受ける。内臓が疲れている、と、揉みながら言われる。強く揉まれるのがかなりキモチいい。8時、K子に電話。井上デザインに仕事の件で行っているので、そっちでメシか、と思ったら、今日は井上くん、風邪でダウンとか。やはり流行っているな。寿司屋で待ち合わせ、握りとツマミ。ホウボウ、コハダ、甘エビなど。酒をロックで。マッサージ後だったので、回る々々。