裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

月曜日

どんぶり鉢ゃ浮いた々々、スワスティカシャンシャン

 ナチスがUFOを作っていたという真実がこの俗謡の中に(ここまでくるとシャレなのかどうか自分でも)。朝7時半起き。朝食、いつものようにもどってK子には卵のココット、私はピタパン。果物はイチゴ。日記アップしたら、その感想が安達Oさんから官能倶楽部パティオにアップ。昨日のキウイの記事の話、“ちょっといい話”と受けとられたよう。かなり意地悪に書き込んだつもりだったんだが……。いや、いい話として受け取ってもいいです。

 月曜朝はいつでも各編集部からFAX類多々。『ダカーポ』Iくんから、こないだの原稿の文字数がオーバーだった、とあわてた電話(後で調べたら、l数は合っていたがw数を間違えていた)。すぐゲラを送ってもらってナオシを入れようとするが、見ると、切れたところでおさまりよく終わっており、あとの段落は付記のようなものなので、そこだけまるまるカットしてもらうだけでおさまる。ライターの仕事は日々雑用だとはこの日記でよく書いていることだが、この字数調整をきちんと素早く出来るというのも、必要技術のひとつだろう。行数を増やさずにゲラのチェックで間違いを直し、文章を入れ替えるという、パズルのようなアクロバットのような作業の、その繰り返しなのである。私は、こういうの好きなのだが、あんまりうまくはない。

 K子に弁当、リクエストでこないだのサケワカメチャーハン。私は一時ころ、ミソ卵を作ってぶっかけ飯。このところの昼飯の単純極まることよ。いいニュースがひとつ。現在パルコシネクイントで上映中の『ギャラクシー・クエスト』、毎回立見のスマッシュ・ヒットだとか。エヴァ以降の日本で、こういうオタクの現状肯定映画はいかがなものか、と案じていただけにうれしい。ネバー・ギブアップ、ネバー・サレンダー。先日原稿書いた『スタジオ・ボイス』送られてきたので読む。私の原稿が特集のトップに置かれていたのに驚いた。映画評のコーナーの文章の、賢そうなのにまた驚嘆。『どつアン』など、私の書いたものなどとは雲泥の差でキチンと論じられている。そこまで読み込まないといけない映画か、あれは、という気もする。まあ、もちろんスタ・ボイと週ポスでは読者層の好むところが違うけれど。

 2時、時間割にてメディアワークスTくんと打ち合わせ。仕事しすぎでやつれましたね、と言われるかと思ったら逆に“少し太られましたね”などと言われてクサる。『キッチュの花園』好調のようで結構。Tくん、とにかく井上デザインの功績をベタ褒め。あの予算であそこまでスゴイものを作ってくれるとは、と感動していた。各誌書評欄への送付などだが、Tくんのデスクに六○册ほど積んであった送付用本が、他の編集部のスタッフが来るたびに持っていってしまい、半分ほどになってしまったので、少し遅れるところも出てくるとか。困ったもんであるが、おいしいものに蟻というか、それだけ人がオモシロイと思ってくれたものであれば、成功だと思う。あと、芝崎くんとの日記本、それからオタクカルチャー本。この出版順序のアトサキがなかなか会社との兼ね合いで難しい。三○分ほどで終わらせる予定が一時間半になる。

 4時、また取って返して時間割。海拓舎Fくん。原稿遅れてスイマセンとまず平謝り。もっとも、社長はじめ営業その他、この原稿の翔びっぷりには感嘆してくれているというので、少し心強くなる。Fくん、Web現代のM編集長には以前会って、私の話なども聞いているとか。今後のモノカキとしての人生設計のことなど訊かれて、いささか面映い。

 帰ってまた仕事続き。G4になってもまた、さっきまで見ていたフロッピーがいきなり“このフロッピーは形式が違います。初期化しますか?”となって読めなくなる事態が起きる。何が悪いのか。憂鬱になる。6時半、外出。東急プラザでK子と待ち合わせ、ユーロスペースのヤン・シュバンクマイエル特集に行く。ロビーはほぼいっぱいの人で、そんなにチェコアニメは人気なのか、と驚いたら、これはユーロスペース1での、例の日活ロマンポルノリバイバル『花と蛇』の客であった。2でのシュバンクマイエルの客は二十人ほど。始まる前に、“この会場での上映はシュバンクマイエル祭です。『S/M』『花と蛇』をご覧の方は……”と何度もアナウンスで注意される。このすぐ後にトイレなどに立ったらゴカイされそうだ、とK子と笑う。

 今回見たのは短編集である。『フード』『石のゲーム』『ワイズマンとのピクニック』『肉片の恋』『フローラ』『アナザー・カインド・オブ・ラブ』『スターリン主義の死』の七本に、シュバンクマイエルのインタビュー『プラハからの物語』が添えられる。『フード』はいかにもシュバンクマイエル、という作品だが、『石の』『ワイズマンとの』は石や家具をコマ撮りで動かす、ノーマン・マクラレンを思わせる作風のもので、シュバンク先生にしてこういう作品があるか、とちょっと意外であった(『ワイズマン』はラストでちょっとシュバンク調が出る)。『肉片の恋』は、切った肉をアニメートする、というアホらしいアイデアの一発勝負で、飽きられないうちに、という感じですぐオチがつく(一分)。『フローラ』は花の精が腐敗していく、というグロなものだが、たった二四秒の作品で、未完成か? と思わせるもの。『アナザー〜』はアニメというより、本当にプラハの坂道を転がして撮った大小の麺棒の駆けっこ(?)が面白い。と、いうか、それしか覚えてない。

 もっとも異質な印象を受けたのは『スターリン主義の死』で、共産主義体制時代に対する露骨な嫌悪と怒りが、ほとんど風諭の皮をかぶせられずにダイレクトに露出されていて、(アート)作品としての質を落としている。しかし、これもまた、われわれ日本人のあまり知らない、シュバンクマイエルの一面なのだろう。私が十数年前、旧日仏文化センターで初めて観て驚喜した彼の『対話の可能性』は、当時のチェコスロヴァキア共産党中央委員会において“敬遠すべきものの見本”として扱われた、極めて政治色の強い作品であるということだが、当時のわれわれ、いや、今ビデオで観ている日本のファンも、これをそう受け取っていた人はいないだろう。単なるシュールリアリズムのナンセンスと思っていたはずだ。果たして、純粋芸術としてこの作品を評価するのが正しいのか、あくまで作者の本来のテーマである、政治風刺作品として見るのが正しいのか。

 去年のSF大会で、チェコでアニメ制作をしている幸重善爾さんが、さんざチェコの貧乏を嘆いていたが(だから〜、貧乏々々と言っていたのはワタシじゃないって)『プラハからの〜』で見ることができたシュバンク先生のスタジオも、スタッフのほとんどは老人で、若い人材がみな、英米の方へ流れていっていることを思わせた。トルンカ以来の伝統あるチェコアニメも、黄昏を迎えているらしい。

 外へ出て、道玄坂近辺でメシを食おうと思ったがなかなか適当な店に当たらず、結局LOFTの方まで戻り、“とひ屋”で酒。こういう居酒屋にしてはここは素材が地方からの直送物なのでまあ食べられる。イカのつくね、まぐろ刺身、あげ餅のあんかけなど。黒米ビールという地ビール、名前は凄いがクセがなくて結構。それと地酒熱燗。飲みながらK子に誰某は少しものを書くには善人すぎる、と言ったら、あの人はそれだけの才能なのよ、言っても無理なのよ、治らないのよ、と断言される。善人という病、というところか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa