裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

日曜日

アムンゼンの小僧習わぬ 経を読む

 僕も南極へ行くんだ。朝7時半起床。子供になかなか恵まれぬ某高貴な御夫婦にようやく赤ん坊が出来たら、その子の目がひとつしかなかった、という凄い夢を見て目がさめる。あまりインパクトがあったのでもう一回眠ったとき、その夢のことを他人に話している夢を見た。さらに談之助師匠がその子と記念写真を撮ってる夢も見た。朝食、ハムトースト。果物はバナナ。読売新聞書評欄で松元品子『挿絵画家英朋』という本が出ているのを見つけ、鰭崎英朋のファンとして大喜び。即、紀伊国屋ブックWebで注文。こういうときはWeb書店がまだるっこしくなくていい。

 その英朋と挿絵の世界で並び称されていた鏑木清方が日本の画壇の代表的人物となり、英朋が忘れられたのは、この本によると(って、まだ読んでないから書評をしている山本博文のまとめによると)清方は展覧会画家に“出世”して、英朋は子だくさんの生活ゆえに挿絵画家であり続けたことが理由だそうだ。この本は、日本画壇が挿絵画家を一段低く見てきた事実に反駁し、挿絵画家と展覧会画家の両者にあるのは、“役割の違い”のみで、上下関係は一切ないと言い切っているらしい。これは私も常日頃思っていることなので、拍手を送りたい。……ただ、と、まだ読まないうちだからこそ言っておくけれど、以前、金沢の泉鏡花博物館で、清方と英朋の絵を並べて展示してあったのを見たことがあるが、そのとき、英朋の絵には、清方に比べ、あきらかな画品の低さが感じられた。こういう印象を受けたのは、単に私の観賞眼のつたなさのみによるものなのだろうか。この本に、その印象を拭うだけの力があることを願いたいが、私は逆に、その品の低さをポジティブなものとして認めないと、英朋(に限らず大衆芸術)はわからないと考えている。これがどうも、私の大衆芸術論が評判の悪い理由らしい(笑)。

 それにしても、最近、こういう視点(大衆派・量産派)の業績をきちんと追って、まとめた本がいろいろ出ているのは頼もしい限りである。オタク人種がアカデミズムの世界に浸透し、大量生産商品をコンプリートに集め目を通す、という基本行為をき ちんと行う研究者が増えたためだろう。古書市にシコシコ通い、目録に目を通し、抽 選の品が当たった当たらないで時にはケンカもする、こういうオタク的地道なカッコ悪さこそ、知の根源となる作業なのだ。カッコ悪いことをきちんとできるからこそ、オタクは強いのである。オタクをリスペクトするなどという甘言にまどわされてはいけない。まあ、『広告』などの最新号を見ても、カルチャー風なオシャレとしてオタクもしくはオタク物件を扱うことは諦めたらしい。いい気味、と言いつべし。

 K子に弁当(鳥スキ風煮物)作り、フーゾク魂原稿準備。ああでもないこうでもないと、ネタをひねくりまわしてはかどらず。どうも風邪気味らしい。鶴岡にうつされたのだろう。まったく、ロクな弟子がいない。しばらくフトンにもぐりこむが、熱の出はじめで神経が浮かれ、眠ることも出来ぬ。昼はレトルトのカレー。これが油っこくて、なおさら腹ぐあいに響く。

『サウスパークコンプリートガイド』読む。読みすすむうちに、サウスパーク自体の差別・不謹慎ギャグ自体は幼児的レベルだということがわかってくる。パターンが見えてくるのである。ただ、そういうギャグ番組を、CSだからといって放映させてしまう、アメリカという国の底なし沼的な無気味さがシンシンと感じ取れる。

 なすこともせず、夜になる。7時、家を出て幡ヶ谷へ。談之助夫妻、植木不等式夫妻とチャイナハウスで夕食。植木さんの奥様(カウンセラー)から、スプリットという精神医学用語を教わる。自分を受け入れてくれる良い対象と拒否する悪い対象との距離をうまく取れず、相手が自分を受け入れてくれないと知ったとたん、ガラリと態度が豹変するのだそうな。そういうのが最近、多い々々とうなづいた後で、ハテこれは俺にも大分ある傾向だぞ、と気がつく。考えてみれば評論家などというのは、その症状自体をメシのタネにしている稼業かもしれぬ、と苦笑。チャイナ、日曜でえらい混み様。スッポンの煮物、シイタケとナマコの炒め物がスープ濃厚で美味。体の調子のせいか、老酒の酔いがヘンテコな方へ行く。

 帰宅。酔いを修正するために、アクアビットを少しばかり飲む。ツマミはクサヤ。ビデオでジャック・クストーの『沈黙の世界』を見る。珊瑚礁に住む魚の全種標本を作るためにダイナマイトで一帯の魚を全部殺戮したり、観察するためクジラの群れに近付きすぎて、スクリューでケガさせた子クジラを“慈悲で”撃ち殺したり、この頃のナチュラリストはやることがスゴいですな。で、その撃ち殺したクジラに群がるサメに怒りを覚えて大量虐殺、というのは身勝手だよなあ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa