30日
水曜日
イチモツ模様
黒白ちんちん柄。朝7時半起き。寝床で、昨日母の書棚から抜いてきた池波正太郎初期作品集『江戸の暗黒街』(新潮文庫)読了する。後期の梅安もの、鬼平ものに成熟度完成度でははるかに及ばないが、ハードボイルド小説としてはこちらのキレのよさの方が好み。先にシャワー浴び、地下食堂でK子と朝食バイキング。連続して二日酔いで食欲ないので、ご飯に生卵かけてかきこみ、町村牛乳の濃いのがあったのでそれでコーヒーをカフェオレにしてたっぷり飲む。貧乏臭いといえば貧乏臭いがなかなか充実した朝食である。
外は空が高く、涼やかな風がわたり、なんともいい気候。東京の夏に比べれば天国だが、これで、北海道人たちはまだ暑い、湿気がひどいと文句を言う。9時チェックアウトして薬局まで散歩。豪貴、母と雑談。またクスリ調合してもらう。家に戻り、親父の看病を手伝う(星さんがやっているのをながめて声をかけるだけ)。荷造りをし、昨日買った本などを段ボールに詰める。仕事先から何本か携帯入る。日記つけ、 雑誌類読む。
11時ころ、早めの昼飯。塩ウニがあり、これがうまくてうまくて、二杯それだけで食べる。この塩ウニちょっとと、昨日のモモなどもらって帰ることにする。K子は爺さんの形見の浴衣までもらっていた。雑談、雑用。
『SFマガジン』10月号、の香山リカのエッセイが社会不適応型オタク必読。プロレス(それも今の全日)、ボディビルなどの信奉者などが口にする“私はこれに救われた”という言葉をキーに、人間における真の救いには必ず“毒”がある、と指摘する。“そこには恐ろしい毒が隠れています。つまり、真に「救われる」ためには仕事や収入、家族や友人あるいは健康といった一般的には善とみなされるあらゆる価値観を否定する必要があるのです”そして、一旦その救いを受け入れてしまえば、社会的価値観における否定的要素全てが肯定的に評価されるようになる(古書マニアは生活を破綻させている者ほど尊敬されるが、これもその例か)。香山氏が文中で挙げているボディビルダー達のインタビュー本の中には、周囲の“気持ち悪い”という声が褒め言葉に聞こえる、という証言もあるという。
「恋人も逃げていくかもしれません。おしゃれに気を使うこともなくなり、不規則な食生活に体型も崩れてくるでしょう」
耳が痛いだろう。しかし、“そうやってあらゆる肯定的な価値を手放したその後にしか、「救い」はやってこないのです”と筆者は言う。“それだけの毒性を持たない「救い」はニセモノだと思います”とまで断言する。こういう視点に立つと、オタクたちというのが現代のヨブに思えてくる。世間の目に負けてオタクになり損ねた者に神は冷たい。
・・・・・・まあ、もっとも大仰に救いのなんのという言葉を持ち出さなくとも、“やるなら周囲の声を気にせず、徹底してやれ”という、昔からある一言で済んでしまうかも、と思わないでもない。お医者さんという職業の人達は、無意識に特定の方向性を持った集団をひっくるめて症候群に分類したがるヘキがある。精神分析学による社会評論は(民俗学もそうなのだが)トランプのジョーカーであり、明晰には聞こえるのだが、明晰すぎてどうもウサンくさいところがつきまとうのが難点。今日びココロの病など、虫歯と同じで程度の差こそあれ、持っていない方が異常と言えよう。
5時半、タクシーでサッポロビール園。須賀屋夫妻とジンギスカン。古書業界の話題いろいろ。山口昌男氏は札幌大学の学長となり、自由な学校運営を楽しんでいるのだそうで、いろいろ世間に縛られた東大の蓮見重彦氏をカワイソウだと言っているという。で、あちこちの知人友人に電話して、札大の先生にならないかと誘っているのだとか。須賀夫婦は現在、夫婦それぞれが独立して目録を発行し、家計簿を分けている。二人から個別に本を買う。
別れて7時に新千歳空港。夏休み最後の旅行から帰る客で満席の状態で、席もバラバラにしかとれない。しかも、8時半出発のはずが、使用機到着が遅れて三○分ほど遅れ、さらにサイフをなくしたと騒ぎ出した客がいて、これがキャンセルしたため、その手続きでさらに三○分ほど遅れる。まあ、われわれは別に困らないが、イラつく客も多かろう。機内アナウンスが、こういう事態の説明に慣れていないため、“お客様がサイフをなくした。・・・・・・そのために搭乗をキャンセルなさって”などと、ギコチない調子。11時過ぎになんとか渋谷着。FAX数通、メール数本、留守録数本、トラブル関係はなし。善哉々々。