裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

俺にさわるとアミラーゼ

 デンプンのお嬢さん、溶けちまうぜ。朝8時起き。朝食、ピタパンにシューマイをはさんで、ソースかけて。町のパン屋の味。ニュースショーで、こないだのロシア原潜沈没説明会のときの、死んだ乗組員の母親が注射されるシーンが繰返し映る。これは単なる心臓病の注射だ、と本人の釈明が昨日報道されたが、果たしてどうかね。また、その注射器持った女医の顔が、スパイもの映画にスカウトしたいくらい、冷酷きわまりない、という細面の悪役顔で、実にいい。

 SFマガジン原稿、早めだが旅行前に出しておくために書き出す。資料探しがいつものことながら楽しい。今回は覚醒剤について。戦前、覚醒剤は疲労回復、気力充実に効果があり、この製造は国策に沿うものである、という説が主流だったのが、戦後一八○度方向転換し、ヒロポンの害を説く論文がどんどん発表されるようになる。科学の世界もちゃんと時流を見ているのは結構だが、その研究の中に、ヒロポン常用患者の喜劇役者について臨床報告したものがある。この役者は自作の喜劇台本執筆のときヒロポンを打って書くのだが、その方が出来がいいものになる、と主張するのを否定して、
「聯想は論理的關連性のない皮相な外連合の形をとっているが、低級な観客を相手とする喜劇役者にとってはこれが一種の魅力であるらしく、能力増進と錯覚されるので あろう」
 と結論づけている。ヒロポン糾弾はいいが、ずいぶんと喜劇を蔑視している書き方であるような気がしてムッとするのは私だけかな。

 昼は外に出るのももったいなく、かといって明日から帰省なので冷蔵庫にも買い置きの食料がない。パックの御飯をあたため、塩辛でお茶漬けを掻き込む。たかが茶漬け腹でも消化のために血が胃にいくと見えて、しばらくモノが考えられなくなり、仕事中断。寝転がって川柳川柳のエロばなしのテープなど聞く。活動弁士調のエロばなしというのがあって、
「ここはハメリカ、ハラヘソ州。下の方に見えます黒き密林に囲まれたるはオーマン公園。その中に一人淋しくたたずむピンクのサーネー嬢。ひそやかに恋人マーラー青 年を待っております・・・・・・」
 というバカバカしさが最高。いや、私ゃこういうのを後世に伝えて残すことが文化 である、とそう認識しております。

 原稿書き続く。上の部屋でガキがバタバタと走り回ってうるさいが、気にせずどんどん書く。このマンション、隣の部屋では娘が夕方になると下手糞なピアノを練習しはじめ(引っ越してきて四年になるがその間少しも上達しない。あきらめろ、いいかげんに)、下の階のベランダでは、税理士事務所のお茶組みの女どもが低能な会話をえんえん話し続ける。普通のモノカキならやってられない環境だろうが、私は生まれた家が札幌のまん真ん中の十字路の角で、夜中まで交通量が多く、ブーブーガーガー騒がしい環境で育ったもので、こういう雑音の中の方が落ち着くのである。物音が気になって眠れない、という経験は生まれてから一回だけ、結婚した当初、K子と二人で鬼怒川温泉の奥の方の旅館に泊まって、サザサザサザという川のせせらぎがヨルヨナカまでえんえんと聞こえ続けていたときであった。あのときは耳をふさいで“いい加減スイッチ切ってくれ!”と叫びたくなったものである。

 6時までかかって十一枚、脱稿。即、メール。明日の札幌行きの用意などする。それから毎日屋に行って明日の朝のサンドイッチなどを買い込み、渋谷ブックファースト前でK子と待合せ、近くの小さなイタリア料理店に行く。K子はこのへんのレストランをくまなくランチで回って、味の品評をしている(『ランチ妻・真昼の食欲』という外題をつけた本を出したいくらいだ)。今日のところは、そのときの評価で、最近とみにレベルを上げたところだという。イタリア・ビールと赤ワインで、タコのマリネ、フォアグラのパテのトースト、白身魚、子牛のロースト、それと鴨とキノコのスパゲッティ。ちと物足りなかったので、ズワイガニのピッツァ。これがなかなかの味で、満足。九時に帰り、明日の帰省の飛行機がバカ早なので、日記つけて十時には 寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa