裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

火曜日

コビウリ新聞

 時の権力者にゴマすってばかり(シャレ元の新聞のことを指しているのではありません!)。朝、7時起き。昨日とはうって変わった晴天。母は店に出かけるところなのでトーストと目玉焼きを自分で作って朝飯。二日酔い気味で食欲なし。半前にもう星さん来てくれるのに驚く。自分の家族が倒れてもこうはなかなかしてくれないだろ う。

 10時、ホテルへ行き、入浴。それから地下鉄で大通まで出て、買い物。三越、東急ハンズなど回って電気スタンド、卓上塩瓶などを見るが、買うには至らず。札幌三越は完全なオバチャンデパートであり、しゃれたものがなく、東急ハンズの場合は本日大売り出しでレジ前長蛇の列でオソレをなす。狸小路あたりの小さなラーメン屋で昼食。K子は池内(札幌の古い地方デパート)で和服用品の売り出しをのぞくというので、別れて私だけ北大前の古書店を回る。薫風書林はまだシャッターを下ろしているので、南陽堂、弘南堂などを回る。南陽堂で寺山修司対談集『言葉が眠るときかの世界が目ざめる』、岩波日本思想大系60『近世色道論』など四、五冊。

 まだ買い足りず、地下鉄で北18条駅まで行って、北天堂書店で小菅桂子『グルマン福沢諭吉の食卓』、小泉武夫『味覚人飛行物体』など、また数冊。この書店は食文化関係の棚を作ってくれているところがありがたい。足が棒のようになったので一旦帰宅、到来もののモモ食べて、少し休む。『グルマン福沢諭吉の・・・・・・』寝転がって読了してしまう。博捜が魅力ではあるがやや、もの足りず。食と諭吉との関係にも少し絞って書いてほしかった。もっとも、諭吉の禁酒禁煙など、面白いエピソードはいろいろと仕入れられる本。K子帰ってくる。池内はやはり完全なババデパで、ほとんどやる気のない店みたいだったとか。

 6時半、またまた家を出て、すすきのへ。タクシーの運転手さんと、地方新聞の横暴という話をする。石川書店で古書須雅屋と待ち合わせ。待ち合わせている間にまた足立巻一『大衆文学の伏流』(1967年、理論社)など数冊。本買い過ぎ。K子、須雅屋夫妻と近くの蓑屋という北海道料理屋でカンパイ。薫風書林さんも加わって、にぎやかになる。須賀さんの奥さんからアトラス皮膚病図鑑がK子にプレゼントされる。こういうのにまったく免疫のない須賀さんがヘキエキするのを見て、K子うれしがるうれしがる。この五人、年代も同じなら、K子を除いてはいずれも古本の大マニア、話がいちいち盛り上がる。すすきのの古書店の老舗、成美堂がいよいよ閉店だという話など。もちろん古書店の閉店はいい話じゃないが、この店、私が中学生くらいからずっと通っていて、いわゆる掘り出し物を見つけた経験が一度しかない。こないだそこで須賀さんと待ち合わせていたときである。一番若い薫風さんは一番奇人の風があり、昔父親にセクハラされた話(三歳くらいのとき、夜中に目をさましたら父親が彼のパンツ脱がしてチンチンをいじっていた)などを平然とする。

 彼らの店舗に私が足しげく通っていたのは十数年前、祖母の看病で札幌の実家にハリつけられていた頃の鬱屈ばらしであった。須賀さんの店『須雅屋』に初めて足を踏み入れたとき、店員かと失礼ながら思ったほど若い(貫禄のない)主人が、何も言わずにインスタントコーヒーを出してくれた。驚く私に彼は“こないだの東急古書市にいらっしゃいましたよね”と言った。彼が狙っていた本をことごとくかっさらった客がおり、何物ならんとその顔を記憶していたところ、それが私だったのである。須賀さん昭和三二年生まれ、私三三年生まれ。共に二十代末だった。さらに須賀さんに薫風さんを紹介され、そうか、いよいよ私の同年代が自分の店を持つ時代がきたか、という喜びようと、その棚の充実ぶりに(なにしろ探書ノートに数年にわたって書き付けられた本が一度に十冊近く、彼らの店で見いだせたのである)心躍ったことが昨日のように思い出される。その後、私の収集分野は彼らのそれとは異なってしまったけれども、この時期に彼らに出会ったことが、いかにその後の私の古本修行、いや、人生においてプラスになったか。

 谷沢永一曰く“独立独歩は時に人生の誇りであろうが、古書蒐集の難行苦行においてだけは、孤独の気概に百害あって一利なしと心得べし。典籍の探求は、徹頭徹尾、古書肆という司祭の限られた一群のみが独占的に運営する秘儀なのだ。古書店の誇り高き主たちから謙虚に教えを乞う熱誠を持たぬ者に古書蒐集は不可能である”(『紙つぶて二個目)。私はその狷介固陋の性格ゆえに、すでにその時点で十年近くの古書店めぐりのキャリアを持っていたにもかかわらず、ほとんど店主と口をきいた経験がなかった。それは谷沢氏の言う“限られた一群の司祭”たちに対するヤッカミ、かつその当時の古書業界に対するまだ明確な形をとっていない不満からくる疑念ゆえの警戒心によるものだったと思う。無理にツッパる必要のない彼らに出会って初めて、私は胸郭を開いて虚心に古書の世界の奥深さを訊き、かつ自分が漠然と抱いていた不満の正体をも見極められたのである。げに同世代同趣味の友人は持つべきかな。

 今夜もまた、談論風発でアルコールもビールから日本酒、焼酎とフルコース。気分が大きくなってみんなにおごる(もっともそう高い店でもない)。K子も大ごきげんで、須賀夫婦と明日、一緒にジンギスカン食べに行く約束をしている。タクシーでホテルクレストと言ったが、ちょっと迷われる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa