裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

水曜日

フィクション大魔王

 今のは作り話でごじゃる。朝9時起き。さすがに眠い。朝食、エビカツの残りと固いモモ。薬局新聞一本。久美さんへのお礼状含めたメール、十本近く。官能倶楽部パティオに、ひえだオンまゆらさんの恐山体験記がUPされていて、そのイタコの口調が実に傑作で、“心残りだが帰ることかなわん”“姿見せたいけれども見せることかなわん”“姿はみえねども、いつも見守っている”“×子(呼び出したおばさんの名前)さ、おばさと呼んでくれて今日ここに呼んでくれることのうれしさよ。ありがたいありがたい”“なにから話していいのやら、何を話していいのやら、帰りたいけど帰れねえ””体に気を付けて仲良く暮らしてけろ、心に願う事あればきっとこのおばさが叶えてやるで・・・・・・”“夫婦仲良く、一つのものを二つに分けて、二月には風邪に気をつけて子供が出来たら風邪をひかさんように、それにしてもよう会いに来てくれた・・・・・・”ひえださんも言っていたが、要するに伝統芸。『田園に死す』を思い出 すなあ。

 日記つけ、風呂入り、雑用ちょこまかすますうちにもう1時になる。東中野に用事があったので行こうと思っていたのだが、時間がない。東武ホテルで中華ランチ(麻婆春雨)食べて、曙橋の井上デザイン。メディアワークスTくんと、キッチュグッズ本装丁デザイン打ち合わせ。私の本の想定読者層はどういうところか、という話になる。Tくんに次の次の次あたりの企画ひとつ、売り込む。井上デザイン事務所は引っ越し(と、言っても路地のひとつ先のビル)後に行くのは初めて。ひろびろとなっていい感じであるが、すぐモノに埋め尽くされるであろう。マルヤ関係のヤバ話など聞いて笑う。

 一旦家に帰って雑用整理(本当に、雑用が多くていけねえ)。5時、家を出て上野に向かう。お江戸広小路亭で『笑志の今夜はちょっとQ』。知らせをバラまいたというだけあって、すでに満員、立錐の余地なし。なんとか座布団席を開田あや、鶴岡と三人分、確保。楽屋の笑志に義捐金つつむ。

 客層がどうかな、と見ると、ファンらしい若い女性と、落語会の常連らしい人、それに加えてオバさん連。これはどういう人たちか、と思っていたら、どうもゲストの志の輔の名前で来ているらしいことが後でわかる。今回、ゲストは談之助、左談次、そして志の輔。会の主旨が主旨だけに、談之助はもとより、笑志までトバすトバす。ラストの大喜利で司会をやった左談次の目には実にイイ感じの狂気さえあった。志の輔だけが、談志のエピソードを披露しながらも、きちんと中間層の客を相手にして、しっかりとネタをやる。いわゆるカルトとは無縁。

 この人の落語、聞くたびに“ああ、これは売れるわ”と、納得し、達者だねえ、と感心し、しかるのち、何故か腹が立ってくる。清水義範の『バールのようなもの』を落語に仕立て直すという現代マスコミ受けするジャーナリスティック感覚も、小癪に思えてくる。談之助のストレートな悪口芸は笑いが客席の中で極地分布をし、わかる人とわからない人、さらに拒否反応を示す人(あやさんに聞いたら、前の席の婆さん連が「ああいうことを言ってはいけないわねえ」「仮にも師匠ですもんねえ」とささやきあっていたそうな)と別れるが、志の輔のソレは客席全体がまんべんなく笑う。最初小さなギャグでさざなみをたたせてテンションの平均値を上げ、そのあとで大きいギャグをつるべうちにする、というテクニックも見事である。それだけに、聞いた後で私のような(私に限らず)ちょっとモノのわかったようなつもりで来ているひねくれた客には“俺をそこらの客と一緒に扱いやがった”という不満が残るのである。いわゆる“悪平等”な芸なのである。

 ここらへん、いわゆる平等主義の善き常識人たちには極めてわかりにくい点だろうが、落語というものは本来、極めて閉鎖的な仲間意識の上になりたち、粋だのオツだのといった些末な美意識を尊び、田舎ものや野暮をからかい、馬鹿にすることで成り立っている。その差別意識は、武士階級のような上の方ばかりか、下の方、社会的弱者にまで及ぶ。“仲間以外、上も下もみんな馬鹿”なのである。談志がよく、政治家の悪口などを言ったあとで、
「言っとくけど、ここで聞いてるあなた方もみんな同罪だからな!」
 とにくまれ口をかましていたが、とにかく、通例の社会規範を限定で解除されることに、ライブ芸の楽しみはある。敷居を設けて、その外にいるものを排除し、その会場にいるものだけの、その場だけの倫理を共有することで、演者と聴衆の間にレポールがかかる。これは、ライブにおけるトーク芸、歌手のコンサートからナチスの演説会、トンデモ本大賞受賞式からオタクアミーゴスに至るまでの、全てナマのしゃべりの基本なのである。ライブ芸のファンは、“ここだけ”“行ったものだけ”が味わえる特権を求めて足を運ぶ。もちろん、その特権が放送禁止用語だけでは情けないけれど、しかし、そういうそういう場で、志の輔は電波に乗せてもなんら支障のない芸を演じるのである。客もそういうもので満足する人が多かったのは事実だが(「なんで風呂の水というのは最初見に行ったときには少ししかたまってないで、二回目に行ったときにはあふれているんですかね?」「そりゃお前、一回目と二回目の間にもう一回見にいかないからだ」というギャグに、おばさん連が「そうよねえ!」と声を出して大感心していた)、基本として、この人はテレビの人で高座の人ではないな、と確認した。

 大喜利には笑志の他に、今回の騒動で立川流をやめた談々と国士館が上る。ここらが立川流のシャレのキツいところだ。この二人、日暮里寄席などで今まで数回、顔を見ただけだが、15日に廃業して一週間ちょっとで、もう、すっかり落語家的雰囲気を捨て去っているのに驚いた。若手のコントの連中か? と思ったくらいである。例によって酔っ払って出てきた左談次、センベイの缶のアルミ蓋みたいなもので、彼らを思い切りひっぱたく。首を締める。蹴飛ばす。開田あやや鶴岡は顔をひきつらせながら大爆笑、他の年寄り客、引く引く(笑)。

 楽屋に挨拶して、あやさんと二人、新宿に出て、K子と待合せ。談話室滝沢の並びでメシの喰えるところを探して歩く。ちら、と見たカンバンの、『中華料理紅房子』という店名にピクン、とくるものがあり、飛び込んでみたが、ここがアタリだった。顧(クー)さんというコックのオリジナル料理が、どれも抜群。チンゲンサイのピリ辛炒め、豚足のゼリー寄せ、栗と鶏肉のじっくり煮など、紹興酒に実に合う。中でも鹹水鴨(アヒルの塩漬け)が素朴にして滋味、これだけで酒が進む。マスターが妙にノリの軽いおじさんで、60年代の東宝映画の脇役みたいな感じのキャラクターだった。十一時ころ、名古屋でのサイン会を終えた開田さんも合流。閉店まで。

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