5日
土曜日
ボスにはヘルツェゴビな
何か説教をしているらしい。朝7時半起き。グッスリ寝られた。ホテルのレストランで朝食。相模大野の小じゃれたシティホテルで、どれくらいの客が泊まっているんだろうと思っていたが、日本アルコール学会とかいうものが開催されており、その出席者が宿泊している。朝からネクタイしめ、朝食取りながらもコピー資料に目を通 しているのは講演予定者だろう。隣のテーブルの老先生たちの会話。
「もう少し全国会議らしい、交通の便のいい場所で開催してもらいたいですな」
「この学会は金がありませんからなあ」
朝食は日本食セットにする。ミニチュアみたいなシャケにシイタケとアブラゲ、ミツバの煮物の小鉢、味付けノリ、味噌汁。納豆が欲しいところだ。部屋に帰ってシャワー浴びてから荷物まとめ、小田急線で海老名乗り換え、横浜まで。タクシーでSF大会開場のパシフィコ横浜。九二年に、同じ開場で開催されたHAMACONのときは、まだ“と学会”もなく(このとき企画で行われた日本トンデモ本大賞受賞式の大当たりで、その夜、中華街でメシを食いながら発作的に発足の運びとなった)、私は潮健児のトークショーや、内田春菊との対談などをやったSF寄席の企画で飛び回っていた。潮さんはライダーショーや京本政樹との対談などと元気満々であり、春菊のマネージャーには大久保さんがちゃんとついてきており、私はと言えば企画をこなしながらも、伯父が勝手に引退してしまった後のオノプロの経営に頭を痛めていた。あ れから八年、私自身は変わったのか相変わらずなのか。
ゲスト受付をしようとするが、場所がオープニングの開始前と後で移動する、ちょうどその切り替わり時にあたり、混乱。会場を行ったり来たりさせられ、K子、受付とちょっとモメる。長山靖生さんに会った。パナマにスーツ(わざわざ洋服屋に“少しダブダブに仕立てて”と注文して、外国製のものを有り難がって着用している明治の文人をイメージ)姿。今日は横田順彌さんと対談だが、近くで村井弦斎(明治のベトセラー作家。『食道楽』など)展があるので、それにも行かねば、と言っていた。他に、タニグチリウイチ氏とも名刺交換。
最初の企画はと学会のSさんに頼まれた、チェコアニメの部屋。チェコのトルンカスタジオでアニメを製作している幸重善爾氏(初対面)との対談。開幕草々の企画であるし、チェコアニメという地味な題材でもあるし、大丈夫かと心配していたが、小会議室がいっぱいになるほど。幸重氏の製作した、世界の宗教の開祖の伝記をアニメで紹介するイギリスの子供向けTV番組の中の一本、シーク教の開祖グル・ナナクの一生と、ホタルの一家を主人公にした連続TV人形劇の第一話を見て、それから対談に入る。“ナナクSOS”というギャグを思いついたがこの場でウケるかどうか、ココロもとなかったので口にしなかった。私のチェコアニメに関する知識と言えばアニドウ時代どまりで、果たして大丈夫かとビクビクものだったが、幸重氏も案外語る方で、いろいろと話題を展開させることができた。一番私が訊ねたかったのは、トルンカ在世中、川本喜八郎氏が単身チェコに渡ってその技法を学んだのは、社会主義政府が文化事業としてアニメ製作に金を出していた黄金時代(チェコそのものの歴史としてはともかくも)であった。その後、社会主義政権が崩壊し、一時はアニドウなどでも、もう東欧のアニメは全滅だろうと言われた時期に、あえてかの国にわたった幸重氏の真意だったが、“いや、今ならライバルがいないだろうと思いまして”という答えは、ホントウなのか韜晦か。ちょっとカルチャー・ショックだったのは、氏のセリフの中に頻繁に出てくる“革命前”というのが、社会主義時代のことだったこと。アタリマエのことなのだが、われわれの世代は“革命”というと社会主義革命、がまずアタマに浮かんでしまうのである。90分、あっという間に過ぎる。トークそのものは成功だったと自己採点するが、なにしろトルンカの『真夏の夜の夢』でさえ、五十人ほどの観客中、見た人が三人という状態で、話が通じたかどうか。
その後、K子が弁当(あなご寿司と鯵寿司)買ってきてくれたので、ゲスト控室に行き、志水さんと食事する。小谷真理さんなどと挨拶。小柄で温和そうな白髪の老人がいたので、誰かと一瞬思ったが、小松左京氏だった。いささか愕然とする。とり・みき氏と挨拶。すぐとって返して、大ホールにて第9回日本トンデモ本大賞授賞式。壇上に山本・永瀬・皆神・唐沢・鶴岡・志水・眠田各人。山本会長が毎年凝りに凝って自作してくるオープニングタイトル、今年は『ウルトラマンレオ』の音楽に合わせた地球壊滅シーン特集。進行は例の如し。トークではギャグを連発させるが、それが的確に受けるのは観客の質の高さだろう。トンデモ本大賞は山下弘道・著『大地からの最終警告』。古代ムー帝国からのテレパシーによるメッセージで書き上げた“痛快小説”が傑作。冒頭が“それは一万四○○○年前のクリスマス・イブの日・・・・・・”で 始まるのである。
トンデモ本大賞の選考規定はとにかく、“その選考会でいかに受けたか”である。内容とか質では(決して)ない。言わば演芸大賞なのだ。ここらへんを誤解してはいけない。全てはシャレなのである。シャレと言えば、こないだどどいつ文庫から買った本の中に『ワイルド・ウーマン』という雑誌があった。B級映画の中に出てきた女吸血鬼や女ターザンの特集本だが、これを持ってきて人に見せていたら山本会長が後ろからのぞきこんで、“あ、いいなー、いいなー、それ!”と声をあげた。“あ、これは会長に差し上げようと思って持ってきたんですが”と進呈すると、“わー、うれしいなあ!”と大喜び。皆神龍太郎氏が、“喜ぶ会長も会長だが、そういうヒトが喜ぶような雑誌が出版されているという事実もすごい”と評した。出版の世界というのはホント、あなどれない。その“あなどれなさ”に敬意を表する会が、すなわちと学会だ、と言えるかもしれない。
会場各所でサイン多々。例の唐沢総受け本を持ってきた人もいた。ただし、これは以前のコミケでサインした物件で、私は冬コミでこの本を持ってこられると“受けも責めもOKよ!”とサインしていたのだが(大森望さんの会議室でもこれもらった、と自慢している人がいた)、“カラサワさん、間違ってます。(責め)ではなく(攻め)です”と、訂正させられる。用語にウルサイのはオタクの基本か。次の企画まで時間が空いたので(カルト寄席を前夜にやってしまったためである。こういうことも珍しい)星雲賞受賞式をちょっとのぞいてつぶす。
6時半、悪趣味の部屋。睦月さん、安達さん、私、K子。最初睦月さんの持参してきたビデオ(県多さんの母乳を開田あやさんと吸っているところ、K子出演のフジリコ、それから卯月妙子のウンゲロミミズビデオ)を見せ、変態談義、さらに私のビデオで1950年代のレトロエロ、スチュワーデス阿波踊り。阿波踊りは奥平広康くんにもらったもので、スチュワーデスのコスプレした女が五○分間、ひたすら“ちんこまんこちんこまんこ・・・・・・”と歌いながら部屋をぐるぐる踊って回るというもの。観客爆笑。最後に恒例の整形手術ビデオで悲鳴をあげさせて終わり。
四人でタクシーに乗り、中華街で食事。夏休みの土曜で大変な人出だったが、なんとかあいている店を見つけて飛び込む。香港飯店という店で、角煮、鶏と銀杏のうま煮、青菜炒め、揚げ魚の甘酢がけなどをとる。最近、中華街の凋落ひどく、ロクな店がないと嘆く声しきりだが、ここは案外アタリで、どれも古くさく懐かしい、“こっくり”とした中華の味。お値段もちょっとよかったが。
そこからまたタクシーで桜木町のホテル『開洋亭』。開田さんたちの怪獣酒場に顔を出すため。ここは非常に懐かしい場所で、と言っても一回も入ったことはないのだが、今から六〜七年前までは、このホテルの立つ紅葉坂をも少し上がったところにある社会教育会館で、年数回、寄席をプロデュースしていたので、毎度横目で眺めていたし、出演の芸人さんに道を教えるときに“開洋亭というホテルが左手に見えますので・・・・・・”と目印にしていた、おなじみの場所なのである。円楽さんもよんだし、亡くなった早野凡平師匠にもよく出てもらったものだ。志ん朝師匠は出のとき、袖のところで必ず掌に“人”と三度書いてから、それを飲んで高座に上がっていった。談志家元は弟子に“おい、出番まで風呂に入っていたいから、銭湯を探してこい”と言いつけていた。ここらへんに銭湯なんてあるんだろうか。そうそう、談之助さんに初めて仕事を頼んだのもあの紅葉坂寄席であった。
怪獣酒場で、桜井さん、開田さんたちに挨拶。小林晋一郎さんに紹介していただいた。ビオランテの原案者にして、うちのK子の歯の主治医。今日は長山靖生さんにしろ小林さんにしろ、よく歯医者さんに出会う日であった。泡盛の梅酒というのをすすめられ、これがべらぼうにうまかった。K子は冬コミにと学会グッズ係のS氏とH氏のやおいを作ると言って、いろいろ本人たちに取材。本人たちもまんざらでなさそうだった(本当か?)。一時間ほど雑談して、なごり惜しかったが終電あるので帰宅。やはり宿泊しないとSF大会は盛り上がらないね。