10日
木曜日
生ける赤羽
タイトルに意味はない。朝7時半起き。朝食、昨日と同じカジキマグロサンド。缶詰のシーチキンの十倍はうまい。光文社からFAX、文庫本プロフィールチェック。二タ月連続で出るのでせわしない。元出版社での原稿紛失分のコピーも含めて、バイク便で出す。
マンガ家、たかもちげんの死去を知る。『代打屋トーゴー』など、手堅く読ませる作品を描く人ではあったが、やはりこの人を語るならばあの大宗教マンガ『祝福王』を無視してはいけないだろう。呉智英がたぶんただ一人絶賛していたこの作品、当時私が講談社で仕事していて担当編集者から聞いた話では、読者アンケート最下位 どころか、つまらぬわけがわからぬ早くやめろのお便りの嵐で、唯一掲載誌の編集長がドはまりし、“僕が編集長でいる限りいつまでも続けてください”と、まさに信仰告白してしまったという、異色中の異色の作品であった。オウム事件以降、日本ではあのようなマンガはもう描けなくなってしまったのではないか。
打ち合わせ予約例によって頻繁に入るが、みんなお盆過ぎである。あと、“コミケ前なんで”という言い訳がどこにも即、通じるのが笑えると言えば笑える。書庫から引っ張り出した三島の『美しい星』、再読。最後に読んだのは結婚前だったが、かなり細部まで覚えていることに驚く。世間的な無能者である主人公・大杉重一郎とその一家が、UFOを目撃する(したと信じ込む)ことによって、周囲の人々に対する心理的優越を維持することが出来、その優越に対する執着からどんどん世間と乖離していき、逆に乖離することそのものが彼らにとってのイニシエーションである(汚れたものから身体が清められていく)という、その過程の描写のリアリズムを今回の再読では強く感じた。寄り掛かるものが円盤でこそなけれ似たような精神状態にある人物が周囲にいくらもいるからかもしれない。ついでに関連でCBA関係資料もいくつか拾い読む。
昼は天丼。上を頼んだのだが、そのエビの小さいこと(コロモの三分の一)に仰天した。全量の八割はウドン粉と飯である。モノマガジンとSFマガジン、原稿並べて書き進める。枚数少ない分、モノマガの方を先にアップ。ギャグがきちんとハマっているかを確認して、メールする。ここの単行本の件もそろそろ作業入らねばならぬ 。編集さんがコピーしてまとめてくれたのが既に昨年暮れというテイタラクである。CDで『DRUMS OF THE WORLD』など聞く。
6時半ごろ、待合せ前に渋谷の街でもブラついてみようと外へ出たら、K子とバッタリ出会う。着付け教室の同級生と浴衣姿でランチを食べに行ったら、“今日は花火大会でしたっけ?”と訊かれたそうな。西武でTシャツなど買い、喫茶店でしばらく涼み、7時半、赤坂見附、ウィーン料理パブ『わいん屋』。空きにヨーロッパ旅行をするにあたっての予習(?)である。安達Oさん、談之助夫妻一緒。Bさんも来る予定がパソコンのアクシデントで仕事が遅れ、来られず。丸源ビルの中の、レストランというよりクラブみたいな店。オーストリアの大使館の人もときどき故郷の味を懐かしんで訪れる、という店らしいが、しかしフォークやナイフでなく、おてもとでつまむところがオカシイ。ウィナーシュニッツェル、ハンガリアングラーシュなどの定番料理。ワインの名前がシューベルトにモーツァルトにブラームスと、さすが芸術の都ウィーンといった感じ。ドイツ語ぺらぺらのアメリカ人客に、K子のドイツ語が褒められて(面白がられて?)いた。出て、赤坂なので例のバンビの店。話はいろいろはずんだが、水割りをジャバジャバつがれてまいった。一人四千円は高いよ。