裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

金曜日

π変わらず

 円の大きさが変わっても円周率は変わらない、ということ。朝8時起き。朝食、スモークトサーモンにクリームチーズ。それとスイカ。早めに風呂入り、原稿。札幌の医薬品問屋さんの出している業界誌で、原稿料は安かったが、北海道では大変に有名な老舗で、ここで名前が出ているというだけで、札幌の医療業界ではそれなりの扱いを受けるという冊子だった。事実、私のことを家もつがないドラ息子と思っていたフシのある実家の薬局の従業員の人たちが、これに書くようになったあたりで態度が変わった。親父もひそかに読んでは喜んでいたという。実家のヒキもあったのだろう、まだ私が無名のライターだった時分から原稿を依頼してくれて、長いつきあいをしていたところである。今回でその冊子そのものが廃刊になる。時代の流れかなあ、と感慨にふけった。

 12時にエンターブレイン関係待ち合せだが、いっかな来ない。二十五分遅れで鶴岡が来て、さらに早稲田のYくんがテープ起こし手伝ってくれている友人を連れてくる。肝心の編集者のNくんが来ない。昨日は道に迷い、今日はなんだ、と、雑談しながら三十分以上待つが来ない。鶴岡が携帯にかけたが通じず、PHSの方にかけて、やっと通じる。どうもコミケバテ(この会社は今回の夏コミに企業ブース出し、三日間、社員はそれに駆り出されてコキ使われた)が極限に達しているらしい。やっと到着、すぐメシ食いに出るが、Nくん、カウンターについたとたんにグーと眠りこけてしまう。こんなに疲れ切った人間を見るのも久しぶりである。神山町のH亭という、ちょっと有名な店。味でも有名だが、店主が少しオモシロイ(ヘンな)おっさんであることでも有名なんだな。

 対談のときにはやや、回復したようで、彼を交えて約一時間半、しゃべる。現在のオタクから未来のオタクが学ぶべきところ、注意すべきところなどを指摘し、この対談本の結論(の、ようなもの)にする。私はこういう録音のときには極力録音モード(あとで文章にオコしやすいようなしゃべり口)にするのだが、それが鶴岡には奇妙に聞こえるらしい。聞きながら、そのリズムに合わせて踊るように体を動かす。

 4時、歯医者。本来は今日は左下奥歯の噛み合わせを治療する予定だったが、右上の奥歯と奥歯の間にスキ間が出来、食べたものがはさまってうっとうしいので、そこの治療をしてもらう。一時間ほど。帰りにパルコブックセンターに寄る。先月出た、某評論家の文庫がさして話題にもならぬまま、平台から早々と完全に姿を消しているのを確認して、大いに満足する。私がいつもの毒舌癖から悪口を言うのでなく、人格的に心底許せないと思っている、数少ない一人がこの男なのである。

 志加吾のHPに、昨日の日記の私の志加吾評のことが載っている。それで気がついたのだが、昨日の当該の部分が、途中の文章が抜けて掲載されている。文脈的に不自 然ではないので気がつかなかった。正しくは
「“かつて、落語がうまい落語家によってブームが起きた例はない。三平のときも円楽のときもしかり。談志だって落語ではなく、笑点の司会やバラエティーへの出演で認められた。ブームとは、落語をよく知らない、鑑賞能力に劣る人たちまでを巻き込むことで起きるのである”と、持論を述べる」
 である。これは私の独創ではなく、名人中の名人・先代桂文楽の主張でもあったのですよ。
「三平結構です! 歌笑(戦後すぐ爆笑王と呼ばれて絶大な人気を博した身体障害者の落語家)が出なくちゃいけません!」
 という黒門町の言葉をもう一度、落語評論家たちは考えろ。マニアとかオタクは一般人をバカにし、排除することで自分たちの城を築こうとする。彼らの厳しい目に鍛えられ磨かれて芸は向上する。それは自分もまた、オタク(落語オタク)の一人として十分に認める。しかし、そのジャンルが勃興し、元気づき、隆盛するためには、なんにも知らない一般人に目を向けさせるための、芸を超越した人気者が必要である。“芸と人気のどちらを選ぶと言われたら私は迷わず人気の方を選ぶ。また、選ばない者は芸人ではない”というのは談志の有名な言でもある。江戸の話芸であった落語を明治の世に会うものに改造し、定着させたのは、実は名人・圓朝ではなく、その弟子で、ステテコ踊りで一世を風靡した、鼻の圓遊であった。この人なくしてその後の落語人気があったかどうか。これを全く評価していないということで、私は小島政二郎という人(小説『圓朝』の作者)を少し見損なった気がしたものである。・・・・・・ところで、文楽がもうひとつ、よく若手に言っていたという言葉が“飛び道具を使いなさい!”。志加吾にはマンガという飛び道具があるんだから。

 落語で思い出した。立川流前座救済イベントの一環で、8月23日水曜日、お江戸上野広小路亭で笑志の会が開かれる。『笑志の今夜はかなりQ〜愛は気球を救う〜』6時半開場。談之助、佐談次、志の輔等豪華ゲストだそうな。問い合わせはオフィスぷくぷく(3705−3622)。口コミを頼まれたので掲載しておきますです。

 9時、夕食。鶏の香味揚げ、冬瓜蒸し、鯛飯。ビデオで鈴木清順『東京流れ者』。一気に記憶が名画座に通いつめていた昔にタイムスリップして、しばしメシを食うのを忘れる。主人公の渡哲也が主題歌を歌いながらやってくると、敵のギャングたちがそれを聞いて“哲だ!”とパニックする、という場面に文芸座地下は大拍手に包まれたっけ。主人公が自分の主題歌を歌う、などというナンセンスは映画のお約束でドラマとは切り放されたショー的部分、という、日活映画おなじみのパターンの自己パロディとしても大秀逸であった。さらにこの後、二谷英明がやはり歌いながら登場するシーンで、チンピラが“畜生、歌なんか歌いやがって”と吐き捨てるというダメ押し まである。

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