19日
日曜日
ピンボケは陰謀である
朝7時半起き。朝食、チキンサラダ、リンゴ、カフェオレ。左目、まだ赤いがそれほど腫れてない。せっせと目薬(ピトスとパニマイシン)さす。外出時にはアタッチメント式のサングラスを着用することにする。私の顔と言うのはサングラスかけるとトタンに怪しげな殺し屋かマッドサイエンティストになる。以前、このサングラスと口ヒゲ姿で映画に出演したときはスポーツ新聞の映画評欄で、“大泉滉とサルバドール・ダリを足して2で割ったような”と言われたものであった。
先日、ササキバラゴウ氏に“この(カメラの)業界で屈指のトンデモ本”と言われて貰った本の内容をまとめたレポートを、と学会パティオにUPする。『プロ並みに撮る写真術III』(日沖宗弘)という本で、自分が所有しているアンティーク・カメラで撮影した写真に、なぜかピンボケが多発する、という疑問から、ついには何者かが陰謀をはかり、日本中のカメラ愛好者にピンボケ写真を撮らせようとしている、いやそればかりか、著者の命までをもねらっている、と信じ込むまでの経過を書いた本である。
この著者の性格を一言で言うと思い込みの激しい粘着気質である。
「『写真術I』刊行以来、外食をするとどうもあとで目まいがする。そしてその頃から私の腹部には赤い斑点が出はじめたのである」
そう思い込むと、著者は自分に毒を盛ったそのラーメン屋、喫茶店、洋食屋などに出むき、慎重に毒味をして食べてみる。すると果たせるかな、やはりこれらの食品には毒が入っていたことが判明する(なぜわかった?)。
「どうだまいったか極悪非道の食堂・ラーメン屋・喫茶店よ! このくらいのことで私は死なぬ。手を下した者は不幸だ。生まれなかった方がその者のためによかった」
すさまじい表現である。この本のダイゴミは、著者がそれらの陰謀に果敢に立ち向かっていく姿勢を見せるところにある。
「普段から外食で毒を盛られている、良心的なジャーナリスト・芸術家・ビジネスマン・政・財界人は内蔵が弱っているため少量の添加物が致命的になる場合がある。あの社会のダニどもは食品の流通を握っていて、あなたが定期的に摂取する食品の添加物を増やしてくるのだ。志あるならば慎重でなければ成就しない。定期的に同じ食品を摂らぬこと。できれば好物もつくらぬ方がいい」
“志あるならば”という部分が味わい深い。
そして著者は、執拗に自分をつけ回す尾行者についても克明な分析を試みる。
「最近日本には素人のスパイが増え過ぎた。そしてそれは青少年を侵食する勢いである」
青少年をスパイが侵食するのである。味わい深い国語だ。
「尾行されているのに気がついたら。まず自分の人生を反省してみることだ」
著者は反省してみた形跡がないのだが。
「次に尾行の規模・人数、それにかかるであろう費用を考えてみる。少なくとも善良なるスパイなのか、そうではないのか」
“善良なるスパイ”って何?
「その男ないしは女の目を見よ。そこに人格が表れているはずだ」
尾行者の目を見るのは難しいのではないかと思うがどうか。
「同じ尾行者が度々現れたなら多少追いかけてもいいが、深追いせぬこと。私のように駅のホームで、もちろん大勢の人の前で理由を問い正してもいい」
ああ、やっぱりやっていたのだな、こういうこと。
「次に尾行が始まってから接近してくる艶っぽい女性に注意。一味である可能性がある。私のように可愛がってさしあげてもいいが、飲食には気をつけること」
色っぽい女まで登場。まるで007映画である。可愛がってあげたのか、このおっさん。
「なお、無実の善良な人を悪意や欲で尾行・盗聴して仕事の邪魔をした者は、悲惨な病気や事故に遇うことになるだろう。思い当たったらすぐ止めて反省した方がいい」
あんたの方がコワいぞ、すでに。
「尾行者は電車一車輛に二十人に達することもある」
それはもはや尾行ではないと思う。ああ、この尾行者に関するくだりは全編、これ引用したいケッサク文の固まりだ。
なぜ著者がかくのごとき妄想にとらわれるようになったか、読んでいくうちに薄ぼんやりと見えてくる。
「私も研究者・教育者の卵として長く大学院(唐沢注・東大の大学院)に在籍していた。私は成績も業績も能力も同僚たちに比べて明らかに大きく劣るというわけでもなかったと思うのだが、五年契約という不思議な講師の仕事のあとどういうわけかいまだに就職口もなければ非常勤講師など仕事の依頼も全くない。どんな“四流大学”にでも教えに行くつもりであったにもかかわらず、だ」
わざわざ“”でくくって四流大学、と書くあたりに、この著者の屈折が表れているように思うのは私だけか。要するに、自分の高い学歴と、自認する能力に対し、世間の評価は何故か低い。そうこうするうち、著者の心の中に、“コレハ何物カガ俺ヲネタンデ陥レヨウトシテイルノデハナイカ”という疑問が芽生えるのである。
なぜ、そんな高い学歴を誇っていながら著者は仕事につけないのか。その理由が、彼の性格にあることは読んでいればすぐ、わかる。“名の通った”さる出版社が出版契約書を著者に送ったとき、彼はその契約書の、出版関係者なら通常目にしているであろう文言すべてを、自分に不利な契約を相手が無理に結ばせようとしているのだと思い込む。
「この出版社は、前述のおかしな点について電話で指摘したところ訳のわからぬ弁解をした挙句、とうとう尻っぽを出して怒鳴り出した」
何か、例の東芝糾弾サイトのAKKY氏を思い出す。
「そんなことだろうと思って渡しておいたカメラやレンズの評価や章立ては全てでたらめだから念のため」
そういうことをするから仕事がなくなるのではないか?
「社名と契約書の好評は控えてつかわすが、他の善良な作家にも同様な行為を続ければそのときは覚悟するように」
“控えてつかわす”って、水戸黄門かアンタは。つくづく陰謀論は便利だと思う。どんなに現在の自分が劣等感に苛まれるような立場にいても、一旦自分を陰謀の被害者という位置に置けば、思うさま陰謀者と、それに気付こうともせぬ世間を罵倒できるのである。
著者はあとがきで、“何年も続いたいやがらせの中で、私とねこ達を支えてくれた妻有利に”心からの感謝を述べている。
「彼女のユーモアと正義感、そして彼女が幼い頃からのねこたちとの深い絆なくして本書は成らなかったであろう。悪人どものお陰であれだけ生活が苦しくなれば、並の女性ではそう長くはもたぬ」
・・・・・・たぶん、著者の奥様はここに書かれている通り、ユーモアと正義感と、猫たちへの愛情を合わせもった、すばらしい女性なのだと私も思う。しかしながら、それらの美点に加えてあとひとつ、亭主の言動を常識に照らして正常かどうか判断し、早めにブレーキをかける実行力を彼女が持っていさえしたら、生活もあまり苦しくはならなかったのではないかと思うのである。
結膜炎、よくならぬが進行もしない。六本木へ出かけ、資料本探すがなし。最近出版ラッシュの新書新刊のうち何冊か買って帰る。帰るとき乗ったタクシーの運転手に“三度目ですね”と言われる。二度目はよくあるが、三度同じ人にあたるというのも珍しい。説明しなくてもちゃんといつも止まる場所につけてくれたから、確かに三度目なのであろう。
夕食、9時。豚バラ煮込み、炊き込みご飯。炊き込みご飯はカニ釜飯風にするが、作ってから官能倶楽部のパティオ読んだら、開田あやさんがカニ弁当食ってあたってひどい目にあった、と書き込んでいた。アニ15、16話。偶然と因果にからめられている登場人物たちを見ていると、“これは現代の黙阿弥芝居なのかも知れぬ”と思う。黙阿弥は名優の存在に助けられて入り組み切ったストーリィの中に微妙なるアヤを描き込むことが出来たが、この声優陣ではな。島本須美のサン・ジュストさま、さすがに自分でも下手と思ったかいろいろ一話ごとにしゃべり方に工夫して変えているが、やはり下手。それとビデオ『獅子丸一平』。天皇の子を宿した女と、その女を守って旅する武士(月形龍之介)の間に恋がめばえ、というオトナの話と、山の中で謎の老人(高堂国典)から不死身の体を授かる怪童(中村錦之助)、というコドモの話がアンバランスで奇妙な感じ。日本酒2合、焼酎2ハイ。コンドロイチン分だから目にいいかと思い、豚足ツマミにする。