裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

水曜日

カレー屋開業?

 朝、ナンとキーマカレー、リンゴサラダ。メモ等整理。母親から電話で、2000年問題があるから正月の帰省はずらしたらどうか、という電話。もう飛行機のキップ取ってますがな(大体、2000年前に帰るのである)。説明にかなり苦心す。病人抱えているとこういう心配もリアルなものなのかも知れないが。

 また鶴岡から電話。来年2月までに2冊、書き下ろししなければならないから大変だそうだ。ならすぐ書け今書け電話している間に書け。貧乏脱出には書きまくるしかない。猿は木から落ちても猿だが、仕事のないライターはただのプータローである。早稲田講師ということで他のメンツには話題性で差をつけている筈なのだから、それをどんどん利用すべきである。とにかく書け。才能は一枚を書くことではない。百枚千枚を書き、インク壷を空にすることを言うのである(確かビクトル・ユゴー)。

 この日記、意外とたくさんの人が読んでくれているようで、いろいろ感想などもいただく。ある人から、先日の遊戯空間のルール問題の記述に関して、私が例にあげた掲示板はもともと牛女をいじるための掲示板であったり、管理者が荒れることを黙認している場所であって、そこで騒ぎを起こさせているのはルール無視もしくは違反とは必ずしも言えないのでは、という指摘を受けた。別に私は“だからそこの掲示板がけしからん”と言ったつもりはないんだが。場が荒れるのは場の設置者の自由でありまた荒れるからこそ野次馬的にはオモシロい。ただ、偏執狂的にエキサイトしやすい性格の者が、お互いの職場を暴露しあったり、これは別の人物だが相手の職場の上司に何らかの処置を取るようにと迫ったり、という、ネット以外の場に争いが及ぶ泥仕合的な自体にまで発展している、そしてさらに外に向かって暴走する可能性を管理者が黙認している、ということが、ホイジンガの言う“遊戯の完結性”に反する(要するにシャレにならない)と指摘したまでである。プロレスで、リング外での乱闘がいかに盛り上がっていても、レフェリーはカウントアウト前にリング内に戻るように指示しなくてはならない。試合はリング内で行われるべきものなのである。私が裏モノを一時閉鎖したのは議長から鳥の放置指示がなされたにも関わらず、メールなどで彼女とやりとりしていた不心得者が出たためである。主催者ルールが遵守されない遊戯は遊戯の埒を成立させない。裏モノを閉鎖させたのは彼女ではなく、あそこの参加メンバーなのだ。

 3時、喫茶店でM社打ち合わせ。3冊連続の出版スケジュール。安請け合いはしないように、と思いつつ、つい“ああ、それなら春には”などと口走ってしまう自分が情けない。もっとも、出来合い原稿のものと、共著のものである。資料データ化のバイトをつけてくれるよう、依頼する。M社から今度出た爆笑問題の新刊は、同時発売の『トンデモ本 女の世界』の10倍の部数である。内容の差ではない。ひとえに、著者の顔がいかに売れているか、なのだ。いや、と学会本だって、一応出版業界では名が通っているということで、他のサブカル系の著者の本の初版部数の5倍は刷っている。て、ことはサブカル系で一応名をなしている著者でも、本の部数(世間における価値度数)から言えばマンザイシの50分の1。どんな内容の濃い本を出しても、著者の知名度がその本以外の場所で高くなければ売れない御時世、と腹をくくるしかないだろう。

 昨日申請したパスポート書き換え、昨日の今日でもう、出来たから取りに来いとの連絡。メチャ早である。

 先日の産経新聞インタビュー記事の載った号が届く。何かやたらホメあげられていて、照れるほどである。ただし、書評コーナーなのに、私の顔写真はあっても本(B級トンデモ探偵団)の書影がない(笑)。

 内田春菊の話、続き。春菊事務所のHPを見たら“このホームページはまことに勝手ながら1999年11月30日をもって閉店致します。6年間ありがとうございました。内田春菊事務所は廃業しカレーのお店をオープン致しました。お近くにおいでの節はお立ち寄りください。今後ともよろしくお願いいたします。内田春菊事務所代表取締役 大久保忠淳”という挨拶が。惜しいなあ、春菊のオトコがベンガルで、前の亭主がカレー屋、ならばベンガル・カレーで見事に平仄があったのだが。

 8時半、柳川どぜうでK子と夕食。Dヤモンド社のNガイ編集長(表記はK子の指示による)から連絡で、K子の入院雑学本、抱合せで刊行予定の別の本の著者が遅筆でまだ完成しないため、発売が延びると連絡があったとか。まことにもってケシカラン話である。これでは他の著者たちも、ここの本の原稿を早くアゲるのが馬鹿々々しくなってしまうではないか(などと原稿アゲるのが極めて遅い私が言うのもおこがましいが)。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa