裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

火曜日

黒面鬼

 ホテルの枕は柔らかすぎて、とか何とか文句言いながら、やはり〆切催促の電話がかからないであろうという精神の解放感には偉大なものがあり(ゆうべNHKから明後日出演可能かどうかという電話が携帯にあった。15日は夜までこちら故、不可能と答える)8時過ぎまでぐっすり。旅はいいものである。肩凝りもほとんどなし。要するにいろんな体調不良もストレスのせいだったんですなあ。便も軟便ながら通常に戻り、心臓のバクバクもおさまっている。ただ、右目だけが変に濁ったように充血しているのがちと不気味である。

 今回の旅のテーマは“一食たりとマズいものを食わない”である。朝食は宿のハス向かいのホテル日航大阪のバイキング。昼に心斎橋吉兆でランチの予定なので、あっさりと、それでもオレンジとトマトのジュース、半熟卵、パンケーキにバタとメイプルシロップたっぷり、ボイルドソーセージとパイナップル。半熟卵がホテルのものとしては上々出来。K子はコーンフレークに牛乳も砂糖もかけずにボリボリ齧るという気味の悪いことをする。1人前なんと2500円也。リキ入れてメシを食ってるわれわれ以外に朝からこんな値段でみんなメシを食うのか、と思って回りを見るが、案外たてこんでいる。

 11時、ホテルカリフォルニアをチェックアウト。荷物だけフロントに預けて、梅田阪急のかっぱ古書街。十軒ほどの古書店が並んでいる小体な古書街で、さほど特色のある書店はないのだが、来ると何故か必ずちょっとしたものが見つかる。前回は南洋一郎の“人食いシロナガスクジラ退治”ものの脳天気少年小説を掘り出したし、今回も『ジキル博士とハイド氏』のアイデアをそっくりいただいた探偵小説『黒面鬼』というやつ(昭和三年、大阪・近代文芸社刊)を見つける。この本、著者名の記載がない。『現代探偵名著叢書』などと大仰に銘打っていながら、著者は“近代文芸社編集部”なのである。

 それから心斎橋にとって返し、心斎橋OPAの日本料理“吉兆”。石焼き懐石というのを頼む。エビ、イカ、ホタテの石焼きが最初に出て、あとは今日が赤穂浪士討ち入りの日だというのでウズラのつくねが入った沢煮そば。関西から上京した連中もそばを食ったのだろうか。川柳に“そば切りが二十うどんが二十七(四十七士のうち関西勢が二十七人だったから)というのがあるが。池波正太郎によると、討ち入り前に浪士たちが食べたのは、鴨の肉を甘辛く煮たものを溶き卵に混ぜ、熱い飯にかけたもの、だったそうで、池波センセイはうまそうだうまそうだと繰り返しているが、どうもあまりゾッとしない食い物である。本所松川町のソバ屋の二階で四十七人が揃ってソバ食って、討ち入りに出ていった、食って出てった、つまり赤穂浪士こそ食う出たあ(クーデター)の元祖、というのは先代桂文治の感動的なまでにバカバカしいギャグだが。・・・・・・と、いうようなウンチクはともかく、このソバのダシがまことに結構であった。あとは松花堂になり、刺身、天麩羅、焼き物煮物と並んでいたが、いずれもまあ、吉兆ならこの程度だろうと想像できるような味。ともかく、飽きさせないで最後まで食べさせるのは偉い。この吉兆の、OPAビル地下の広告の文句がスゴく、「世界之名物日本料理」である。

 そこから荷物受け取ってまた梅田まで地下鉄で行き、阪神神戸線で神戸三宮。ポートアイランドホテルに投宿。ロビーのグレ電で、昨日の日記を送る。女房は井上デザインと電話で打ち合わせ。来春刊行のトンデモレディース本のページ割り付けの打ち合わせ。やはり、完全に仕事から解放はされないようである。

 ポートアイランドホテル、神戸市内を海の方から一望する部屋。少し昼寝。このごろ、ぐっすりと寝て目が覚めると、腕がちょっとシビれたような感覚なのは何のせいか。しかし、腹具合は完全に回復。何か“うまいもので腹を治した”という感じである。ポートライナーで三宮に出て、高架下商店街をブラつく。やはり震災後はキレイになってしまっているようで、いささか残念。十数年前に、なをきと一緒に歩いた頃は、モダンヤミ市といった雰囲気だったものだが。

 金成由美さんと待ち合わせ、三宮のレストラン『エスカルゴ』。以前入っていたビルが震災で倒壊し、今は震災記念センターとやらになってしまったので、ひとつ脇の通りに引っ越していた。ここで食事。ここはエスカルゴが唐沢評価で日本一、うまい店。ただし、その他の料理はフランス料理というよりは洋食屋。チキンエスカロップとビーフブルギニヨン頼んだが、いずれもおいしいというよりは“懐かしい”味。サフランライス付きとあるがどうみてもただのチキンライスである。まあ、そこがいかにも神戸。

 そこから、K子の写真撮影のためにルミナリエをちょっとのぞく。すさまじい人出と聞いてビビっていたが、それほどのことなし。アーチ状のライティングは見事で、そこをずっとくぐっていく間じゅう、荘厳なオルガン曲が流れる。が、ぞれに重なって交通整理の警官の“立ち止まらないでください! 立ち止まっての写真撮影は危険です!”というアナウンスが響き、台なし。ヨーロッパのイメージで町を統一したいのだろうが、やはりこういうオマツリには露店が出て、アンズアメだの鯛焼きだのを売っており(さすがに路傍には並べさせていないが)、日本には合わないなあ、という感じである。震災後の神戸のイメージアップのために始まった祭であり、まだフェスティバルとして成熟していないのであろう。それにしても、浅草サンバカーニバルならぶ、モノマネ祭りとしてまた世界に恥をさらすかと思うとイヤになる。

 ポートライナーでホテルに戻り、そのままバーにもいかず、冷蔵庫のビール飲んで寝る。夜さり、右目がイガつき、気になって仕方がない。サカマツゲらしい。寝付けないまま、買った『黒面鬼』読み切ってしまう。ルパンのストーリーの翻案にジキルハイドを合わせたものだった。珍物。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa