裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

火曜日

深山なめこ

キノコアクティヴィスト。

※幻冬舎原稿、『落語2.0』前説、新宿で飲み

朝8時起床、暖冬だと油断していたら寒いこと。6時ころ一度起きて、腹が痛むのでトイレに行ったらすさまじい下痢。これはノロか、と思うがそれきりで別段なんともなし。

入浴、9時朝食。コーンスープ、洋梨、リンゴ。母、胸が張って痛むらしい。ちょっと気になる。『トムとジェリー』の作者の片割れ、ジョゼフ・バーベラ死去。95歳。5年前に亡くなったコンビのウィリアム・ハンナが90歳、早死にだったディズニーに比べ、長寿を保ったことも彼らの幸運だったと思う。建築技師だったハンナと銀行員だったバーベラが、世界大恐慌で職を失って、仕方なくアニメ業界に転職したのも結果的幸運、たまたま同時期(一週間差)で同じMGMに入社したことも幸運、そしてやがてテレビに押されてMGMがアニメ部門を閉鎖したとき、プロデューサーだったハンナが独立の相棒としてバーベラを選んだのも幸運、同じプロデューサー/アニメーターのコンビであっても、エゴイスト的天才のディズニーに栄誉を独り占めされたアブ・アイワークスの轍は踏まず、ハンナが人と功績を分かちあえる常識人であったことは大幸運、テレビアニメへの転身も、結果的に時代を先取りしたことになってこれまた結果的幸運。そして、その幸運を支えたのは、共に90代になっても毎日スタジオに出社して仕事をしていたという、その勤勉さであろう。『Bの墓碑銘(上)』にウィリアム・ハンナの訃報を載せたときに書いたことであるが、日本のアニメーションは実はディズニーに学んだのではなく、ハンナ・バーベラのアニメに学んだのである。

原稿書き、だだだと。幻冬舎新書である。遅れに遅れたのはやはり今年の自分の運気のせいだと思う。こと仕事に関しては、年末にかけてやっと調子を取り戻せた感あり。昼はキャベツ牛丼。3時までそれにかかりきり。

3時、出社。オノから、ちょっとトラブルがあったと報告。まあ、オノの方で処理してことなきを得たようで、ひと安心。半、時間割。トテカワのYさん。原稿渡して、今後のスケジュール打ち合わせ。このあいだもそうだったが、最近急に可愛さが倍加したというか、トテカワがチョーカワにアップ。しかも
「どうして人って愛しあって結婚するのに別れたりするんでしょうか?」
などと訊いてくる。どうした、何かあったか。
「人は年月で変わるもの。人に対する愛情は、その人が変わることで冷めるし変容する。せっかくこんな業界にいるんだから、人そのものじゃなくて、その人の持つ才能に惚れなさい。そうすれば、どんなにその人が変わっても、愛を持ち続けることが出来るから」
とアドバイス。

などと長話している間に、講談社のゲラチェックで向うがかなり険悪な状況になっていたらしい。慌てて、赤入れて返す。あと、金沢の21世紀美術館から、2月3月のトーク内容のメモを早く、と青くなって連絡アリ。これも急いで書いて送る。担当Oさんから電話あり、ちょっと細かいところ手直しなど。

それからJ−POPカフェに行く。岡田さんの落語会『落語2.0』の前説に出て、恵比寿の猫三味線の告知をするため。満席立ち見の状況。やはり岡田斗司夫って凄いなあ、と改めて感服。受付けをやっている鯉朝くんと、二回目の『トンデモ映画会』のことなど話す。最初に出させてもらい、
「えー、開口一番ということでございまして、勉強させていただきます、わたくし、吉祥亭満月の弟子で、吉祥亭月賦、と申します、よろしくお願いします!」
と前座口調でやる。岡田さんが後ろで
「うまいなあ、憎い!」
と言っていたそうだが、逆に言うと、高座に上がるとどうしても噺家口調になってしまうのが私の限界。落語や話芸に対する愛着がありすぎるのだな。

終わったところで橋沢さんから電話、今日、このあと9時まで続くという河崎組の撮影現場に行くはずだったのだが、さすがというべきか河崎監督らしいというか、サクサク進みすぎて7時半の段階でもう終わってしまったという。しょうがない、新宿で待ち合わせて飲むことに。東口で待合わせ、三丁目まで地下街歩いて(かなり寒いので)末広亭近くの居酒屋で飲み。牡蛎鍋、メヒカリ唐揚げ、いかぬたなどでビールと水割り。いろいろと話す。共演しているアイドルたちも、最近のアイドル過当競争時代で悩んだりしているとか。
「だからみんな意識高いですよ。低い連中に仕事与えたら逆にカラサワさんの評価が落ちますよ」
と。いろいろ考えるところあり。12時くらいにタクシー相乗りで帰宅。橋沢さんとの飲みで午前様にならず。珍しいこともあるもの。

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