裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

チャイナ・コンジローム

中国で遊びすぎるからこんな病気をもらってくるんだ。
朝8時起床。寝床でキネ旬ムック『カリオストロの城』読む。テープ起こしの人が言葉癖までそのまま起こしているので私のセリフはちょっと精神上気の毒なところがある人みたいになっている。後ろの放映後インタビューはゲラに手を入れたのでまあまあだが。

雨が降っているのに驚く。いや、驚かなくてもいいが、かなり強い雨。入浴、洗顔、歯磨、服薬。

メール、昨日うちのオノ、談笑さんのところのフワリさんと“第一回酒豪女子の会”を開催したとてもとても可愛いYさんから、無事帰還の報告。一応終電で帰れたが2駅乗り過ごし、朝の5時まで帰ったまんまの格好でソファで寝ていたそうである。あの二人にとってくわれるかと心配していたがまず無事で慶賀なこと。それにしても奇妙なとりあわせで、世の中はめぐる糸車、とつくづく感ずる。

別件で長文メールやりとりあり、04年秋以来の長期プロジェクト、私的にはほぼ断念の他なくなる。去年の暮あたりからたぶんこうなるだろうという予想はあったがなかなか吹っ切れずに現場サイドでぐちゃぐちゃ引き延ばしていた(現場というのはつい、“ここまでやったのに”という経過が目に出来るので中止の踏ん切りがつきにくい)。一歩距離をおいた企画レベルに意識が戻ったところで、プロジェクト自体の先行きと私の方の実損がデータとして見えるようになりまた相手方との思惑や方法論の食い違いも如実になり、相手方がこちらに対し投げた言葉にも許容できぬものがあり、これは手を引くしかない、と結論。

ドラマなどでは現場で汗を流している者が上の身勝手な決定でプロジェクトを中断されていきどおる、といった描写が圧倒的に多いが、実際には現場が計画継続に固執するあまり出銭と損害がどんどん大きくなっていく、というパターンの方が多いのではないか(太平洋戦争の日本軍が典型)。まあ、私の今回の場合は現場、企画部門両方をやっていたわけで、言わば自分内闘争だったわけだが。

弁当使い(熱海みやげのカサゴの干物がお菜)、出社2時。すでに雨、あがっている。いろいろオノに経過しらせ、お疲れさまの言葉もらってすぐ、揃ってタクシーで新宿京王プラザ。某ハウジング系企業の成績優秀営業マン表彰会の特別講演。実はこの仕事、おとついくらいまですっかり忘れていた。前準備ほとんど出来ず、要望のテーマに合わせた話でまとめる(それくらいは亀の甲よりなんとやら)ところはまあうまくいったが、肝心のネタ仕込みがグダグダ。大いに反省。責任者(こんとうじさんそっくりの部長)は喜んでくれていたようだったが。

55分の短時間講演だったのであっという間に終わり、また渋谷へ戻る。次回向けのネタ補充をオノと算段。バーバラ来るので温泉まんじゅうあげて、トークとかの話を。
6時15分、オノと出て新宿、山手線で池袋。佐藤祐一さん、開田夫妻などと北口のモンゴル料理店『故郷(ノタガ)』で会食。今日『ギャルサー』のロケのはずだった橋沢進一さんも、延期になったというので駆けつける。

生ビールで乾杯のあと、牛乳酒に変えて、羊料理を満喫。オノが牛乳酒を世にもうまそうな顔で飲んでいたが、開田夫妻、佐藤さんもおいしいおいしいと大喜び、乳製品が一切ダメな橋沢さんも“これなら飲める!”とクイクイやっていた。口当たりはいいがアルコール度数は30何度と高い。大丈夫かと思うがみんな陽気に飲む飲む。
「この香りは何かに似ている」
「そうだ、森永マミーだ!」
と。まあ、確かに乳糖の発酵した風味だからな。乳酒の杯は金属杯だが、店のママさんに聞いたら、モンゴルの宴会はお互い、毒など酒に入れていないことを示すために銀の杯を使ったそうな(銀は砒素で黒変する)。銀杯ではないが、いちおう銀色の金属を使った杯なのはその伝統だそうである。結局、度数を変えて3本、ボトルをあけてママさんに
「ヨク飲ムネエ」
と感心された(呆れられたとも言う)。

私事に関する某件、報告するとみんな大喜びで、おめでとうおめでとうと祝杯をあげてくれる。そんなにみんな期待していましたか。料理、羊の行宮焼(ホルホグ)から始まって蒸し肉を帆立貝型の花巻にはさんでその蒸し汁にひたして食べる清蒸肉、蒸し餃子(ホウズ)、肉餅(シャルピン)、揚げ餃子(ホウショウル)など、全てうまい。メンツ全員おしゃべりで話題豊富、料理と酒がうまいとなれば盛り上がったことはここしばらくの飲み会の中でも一、二を争う。初顔合わせ(佐藤さんと開田夫妻、橋沢さんとオノ)が多かったことを考えると凄い。

もっと皿をとろうと思ったがママさんの
「大丈夫、鍋でもうみんなお腹いっぱいになるから」
という一言であきらめる。で、その鍋(ハロントゴ)、羊の骨とクコ、棗などからとったコクのあるスープに羊肉、白菜、春雨、しいたけ、豆腐などを入れて食べたあと、モンゴルうどんを投入する。これが、練った小麦粉のドゥーを平たくして切った、ほうとうみたいなものなのだが、それを手で持ってにゅーっと延ばして千切って入れる。イベント性もあり、みんな大はしゃぎ。開田裕治さんは千切らずに延ばしたものをそのまま鍋に投入していた。

最後の塩味ヨーグルト(アイラグ)、バタ茶までおいしく満足々々。会計の席でママさんとちょっと話す。もともとはモンゴルでホテルのスタッフをやっていたが、旦那さんがモンゴル大学の教授で、日本の大学に移り、それに従って日本に来たが、なにか商売がやりたくてそのころ日本に増えてきていたモンゴル料理店を回り、
「これならもっとおいしいのが出来る」
と確信して、それから日本語を習い、ここに店を出したそうだ。日本の健康食ブームも見越していたというから凄い。朝青竜じゃないが、モンゴルの人のハングリー精神は日本人に数倍する。

佐藤さんは実は“前世はモンゴル人”と占われたことがあったとかで、店に飾ってあったモンゴル衣装を着て記念撮影するが、なるほど、確かに似合う。ひげをつければそのままチンギス・ハーンの伝記映画に出られそうだ。

お会計、ちょうど紙入れの中の札で支払える金額。厄落としの意味を込めて今日は全員におごる。そのまま駅に向かい歩くが、
「まだ飲み足りないねえ」
となり(飲み足りないどころかボトル三本あけているのだが)駅前の居酒屋。浅草屋でいいだろうと入るが、注文を取りにきたお姉ちゃんの可愛いのに全員ビックリ。いきなり橋沢さんが
「結婚しよう!」
とやって驚かす。いや、あやさんやオノも驚いていたが本当に、美人というのではなく、表情や反応が可愛く、店の制服は着ているがお化粧や染髪のセンスもよく、劇団とか芸能プロダクションとかやっていたらすぐ連絡先聞きたくなるくらいな、そんな子。当然、劇団持っていたり(橋沢さん)プロダクション持っていたり(私)する人間がいるんでいろいろ話をする。いいようにあしらわれたが(情けない)、アンナちゃんと言ってこの店のアイドルらしい。変な客、とか思ったのだろう、奥へ引っ込んだがすぐ戻ってきて、私を指さし
「『学校で受けられない授業』とかに出てますよね!」
と言い、佐藤さん指さし
「ハロースイスのCMに出てますよね!」
と言う。二人大喜び。唯一言われなかった橋沢さんが
「ちょっとキミ、向こう向いてて」
と後ろを向かせ、その耳に
「アメリカからやってきたこのアブトロニクスは……」
とアメリカンホームダイレクトのナレーションやったらアンナちゃん
「わーっ、知ってる。本物だーっ!」
とひっくり返って喜ぶ。どういうのかな、今夜のノリは。

つまみのカニミソ豆腐やサメ軟骨の梅和えもおいしく、またここでもワイワイ、いろんな話。店を出たのが1時半過ぎであった。タクシーで開田さん夫妻と乗り合わせて帰宅。運転手さんに正体しられているかもしれないのであまりヤバ話はせず。帰宅したらK子も帰ったところで、雑談しながら就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa