裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

土曜日

スジ食いねえ

ちくわとはんぺんとつみれは俺が食うから、お前はスジ食いねえ。朝9時起き。あ、そろそろ電話が、と習い性で思うが、今日は母は朝から出かけているので朝食呼び出しはないのであった。もう30分、ぐっすり寝る。

母の部屋に朝食が用意されているのを持ってきて、パソコンの前で食べる。ミカン、バナナ、ホーレンソーのスープ。

松本竜介死去。49歳。週刊新潮に相方の紳助と比べての転落の人生のことが書いてあって、読んで切なくなってくるが、しかし、何かこっちの方が“芸人の正しい死に方”という気になるのは何故か。われわれ一般人が(私が一般人かどうかはさておいて)芸人に求める、一種残酷な破滅への期待を全て体現した、という人物だったからだろう。

かつて芸人は一般社会人が背負う社会的責任からの逸脱をその社会的権利を代償にして許され、金に酒に女性にいかにいやしくとも、それを“芸の肥やし”という名目で黙認され、自由で華やかな(ただし、限られた世界での自由と華やかさではあるが)生き方が出来る存在だった。それだけに、その人気が亡くなったときが芸人の死ぬ時で、残りの人生が悲惨であっても、それは覚悟の前、一般人がとても出来ない、花火を打ち上げた時のような一瞬の栄華を満喫することこそが芸人の矜恃であった。そのような、破格の人生を前提にした連中の芸であったからこそ、まっとうな社会人はその生き方に羨望と優越感をないまぜにして、しばしの間、社会を忘れ、制約を忘れてストレスを発散できたのである。

芸人が一般社会のヒエラルキーの中に組み入れられ、また一般人が次第にその社会的制約の枷を嫌うようになり、芸人と社会人の差が無くなってきてから、笑いは社会のストレスのガス抜きの用をなさなくなり、お笑い芸は、同じく社会的制約などあまり感じていない若い世代を相手のナアナア芸に成り下がっていった。

紳助は若い頃から芸人の地位向上を叫び、バラエティなどでのいじられ役からの脱却を唱え、自らそれを実行していった(そのくせ、若手をいじりまくってはいるが)。一方の竜介は昔ながらの芸人らしく、そのような問題意識を全く持たず、向上心のない芸にとどまり、社会的常識のないままに事業に手を出して失敗し、負債を抱えて沈没していった。人間として愚かではあるが、それはまた芸人としては愛すべき特質なのではなかったかと思うのである。黙祷。

FRIDAY原稿書く。ネタ出しに1時間、執筆は20分くらいか? この連載、いま講談社の別雑誌に移行を検討中なのだが、仕事量としてはこれはかなり能率のいい方に属する。

1時、講談社『ベストカー』編集部から電話取材。自動車に関する雑学を、とのこと。編集長が『ラジオライフ』の私の連載のファンだそうで、それでお声がかかったのだとか。専門誌だから、ヘタな知識を披露したらバカにされるのではないかと思いつつ、まあ、最初はごく初歩的な雑学を二つ三つ述べるが、むこうはごくストレートに“へえ!”と感心してくれて、「さすがです。いや、面白い。これでもう十分です」と電話切れる。雑学とかに対する価値観が雑誌で全く異なるのだろう。まあ、そこで雑学に値段がつくわけである。何か経済学の勉強のようでもあり、『落語家の夢』という落語のようにも思えてくる。

2時、家を出て参宮橋。『道楽』でノリミソラーメン。今日は人に会う用事がないので、おろしニンニクと豆板醤をたっぷり入れる。女の子の店員が入った。食べて渋谷までバス。お婆さんたち、それから養護学校の生徒いっぱい。

事務所で阿部能丸くんから電話、原稿のFAXをチェックしてくれとの用事で、簡単にチェック、いくつか訂正。『猫三味線』のおぐりゆかの演技を讚え、しかし最初から最後まで顔がメイクされて出ていないことを指して
「目指せ平成の中島春男」
と言っている。……目指してはいかんと思うが。

日記付けなどをそれから事務所でシコシコと。電話数本。うーむ、というものあり。しかし、これは私にそろそろ、本格的に力の入った企画と本の執筆をしろというお告げだな、と思う。新たな段階に入ってきた、ということだ。

思えば今日はエイプリル・フール。私のこれまでの人生を顧みると、自分にも周囲にも、とにかくウソをつきまくってきた人生だったなと思う。ただ幸運なのは、そのウソが不思議に後から実現してしまったりしてきたことである。ウソも100回言うと……という説があるが、あれには幾分の真実が含まれているかもしれない。
最近はネットなどで、カラサワシュンイチに関する、奇妙な伝説(ウソ)が語られているような気がする。こないだネットを徘徊していたら、「ちなみに唐沢さんは初期の(SF)ファンダムで勇名を馳せ、その後ブランクがあり、私などには伝説のビッグネームであらせられました。『と学会』がらみでファンダムに復帰した時(ご存知かと思われるが、と学会大賞は、日本SF大会で発表されるのが恒例)、先輩ファンからくれぐれも粗相のないように、と申し付かったものでした」などと書かれていたのを発見して驚いた。

私はオタク活動初期からSF系ファンダムとは意識して距離を置くようにしていたし(当時はハードSFマニアが幅を利かせていて、怪獣だのアニメだのが好きと主張すると露骨に排除されていた)、そもそも私がSF大会で企画を多出するようになったのは、何度もこの日記に書いているが、最初に参加したSF大会での扱いがあまりに軽かったのに腹を立てて、じゃあSF大会をある部分乗っ取ってやろうと決意したからである。“くれぐれも粗相のないように”などという扱いを私はそれからも、一回でもされたことがあっただろうか?

夜10時、東北沢『一貫』でK子と待ち合わせ、寿司。ヒラメエンガワ、〆アジ、サヨリ、ネギトロなど。テレビで廃校になる羽咋の小学校の卒業生たちが、自分たちがかつて埋めて行方不明になっている卒業記念タイムカプセルをダウジング名人に発見してもらうという企画をやっていた。見事見つかったのだが、しかし卒業生たちも学校も、そんな記念のものを埋めた記録を何も遺していなかった(誰一人覚えてすらいない)というのはマヌケな話ではないか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa