30日
木曜日
クリエイデブ・シーン
太ったオタ系創作者たちの群。朝7時半目が覚め、しかしまた寝る。春眠暁を覚えずというやつか。9時朝食、アボカド、イチゴ3粒、トマトのスープ。口唇炎いまだ残り、アリナミンとビオフェルミンをのむ。
11時半、家を出て神保町。白山通り裏のがらん堂へ行く。ちょうど開店準備しているところであり、店主の女性に挨拶し、今日いきなりで失礼だが『東京人』の取材をお願いできないか、と依頼して快諾を得、ホッとする。
この『東京人』取材、骨董・古道具がテーマの号で、カラサワさん行きつけの店を、との要望が編集部からあったのだが、私の行きつけの古道具店というのが、いくはしからこのところ消失しまくりで、ホトホト困っていたのだ。がらん堂さんなら、開店したばかりだから宣伝にもなるし、と思い目星をつけたのだが、アタリ。今日は幸先がいいぞ、と思いつつ、タクシーで平河町へ。
平河町、文藝春秋社の近くの料亭『ひさご』。森永卓郎さんとコレクション談義。昼なのでもちろんウーロン茶が飲み物なのだが、仲居さんがコースターの上にグラスを置くより先に森永先生、スッとそのコースターを指で引いて脇にどけ、ウーロン茶を直にテーブルに置く。
「あ、センセイ、コースターもコレクションしていますね!」
と指摘するとエヘヘと笑って、
「これはこないだ始めたばかりのコレクションなんです」
と。ティッシュの袋から缶ジュースの空き缶からテレカから、いや、そのコレクションの幅の広さに驚嘆する。
子供と一緒に休日に車で近所のスーパーを回ってはペプシのおまけを集めるのだが、
「息子は袋の上から触って中に何が入っているかを100%当てられるんです。私も昔は100%の精度を誇っていたが最近は寄る年波で神経が敏感で無くなってきて、まるで当たらない」
と嘆く。重さで中の食玩を当てられないよう『王立科学博物館』でビー玉を入れた話をしたら、
「いや、それは、箱を手で持って、回転させるんです。すると慣性で回しやすさが微妙に違う。それで当てる」
と。東大出の経済学者と話をしているとは思えない。そのどオタクぶりに感心、感服。
料理はお作り(桜鯛)から竹の子の煮物(美味し)、アナゴのてんぷら、最後は天茶で。お相伴のオノが熱心にメモをとっていた。森永先生、
「カラサワさんはこういう風にマネージャーさんがつきそってくれていいなあ。私のマネージャーなんか海外出張のときとかしかついてきてくれない」
とぼやく。
いや、ウチのも今日ついてきたのは有名人に会えるというのとひさごの料理が食べられるというだけですから。
名刺にサインを求められ、携帯で写真とって、と編集者に頼む。当然、写真ではVサイン。ある意味凄いよ、この人。紙袋下げたアキバオタク姿だし。
森永先生を見送って、それからタクシーで編集さんと神保町。編集のS女史は松葉杖を持っているが使わずに歩いている。足を怪我したのでついていたそうで、ほとんど治ったのだが松葉杖を持っていると人が道をあけてくれたりするので、ついているのだとか。左卜全みたいだ。
がらん堂で撮影、インタビュー。ここは愛知に本店があり、東京進出がついこのあいだ。
「東京というのは愛知に比べてどうですか」
「……お客さんがみんな、ヘンですねえ!」
に笑う。さすが東京人で、写真をかなり丁寧に撮る。2時間は費やしたろうか。お騒がせしました、と辞去。そこでSさんたちに別れ、オノと地下鉄で青山まで。そこからタクシー。
事務所でちょっと休んで、資料用読書など。東急本店の紀伊国屋で買い物し、7時にマッサージ。足がさすがに疲れたので揉みこんでもらう。揉まれながら何回かつった。そう言えば、今日の先生ではないが、2月15日、相模大野行きの日の前にここに来て、『八起』の話をした。その先生、すぐそれから八起に夫婦で行ってその肉に感動、ちょうど金曜日だったので『ブジオ!』聞きつつ、TBSのブログに書き込んだそうだ。あの書き込み、知人からだったか。
帰宅、ちょこちょこと酒のつまみなど作る。油揚炒め、豆もやしと豚肉の蒸し物など。ビデオでいくつか映画のメイキングを見つつ、ホッピーと日本酒。あることで気分が非常にウキウキするが、何かは恥ずかしいので書かない。
本日をもってニフティのパソコン通信サービスが終了。ホントウにわれわれの世代は何かが最初に立ち上がり市民権を得ていく勃興期と、それが次第に過去のものになり役割を終え消えていく終末期の二つを生きながらにたくさん見るものである。
最初はと学会の連絡用ツールとして入ったにすぎないパソ通だったが、すぐにその世界の魅力に引き込まれてヘビーユーザーになってしまった。パソ通初期のバトルの語りぐさとなった細田均と若桜木虔の争いもリアルタイムで見られたし、またFCOMEDYでは自らが三枝貴代という(おそらくパソ通史上最大最凶の)怪物とバトルをするハメになった。
なによりも、そのエフコメにおいて“あなたの一行知識募集”という企画をやらなかったら、たぶん『トンデモ一行知識の世界』も生まれず、したがって『トリビアの泉』にも関わらなかった(そもそも、この番組が生まれたかどうか)だろうことを思うと、ニフティの方に足を向けては寝られないかもしれない。今、重度のmixi中毒であるのも、システムがパソ通に似ている、ということが大きな魅力だからである。お世話になりました、という言葉が別れには一番ふさわしいだろう。