13日
月曜日
落ち葉散る デスモスチルス 秋の風
小学生のとき作った俳句。もう一句、「リトラ鳴く デスモスチルス 青い鳥」
朝7時、K子が起きるのと同時に起床。とはいえ眠いので、入浴後またベッドに入りギリギリまで寝ている。朝食、9時。スープ、リンゴ、伊予柑、イチゴ。いずれもちょっとづつ。
〆切の件その他の件、どうなるかと思っていたもの数件がなんとなくうまくいく(ドガジャガも含め)。急に気が楽になった。雑用雑原稿片づけ、12時にカフェミヤマ会議室。タクシーの中年の運転手さんが気がきかないタイプで、混む方混む方へと車を進める。わざとしているみたいである。また、大山近辺が工事で一車線になっており、イラつく。途中、二度ほどオノから電話。10分遅れ。
ミヤマに水道橋博士さんとその一行、待っていた。博士の新刊『博士の異常な健康』(アスペクト)の宣伝用対談である(アスペクトのHPに掲載予定)。水道橋さんは以前から私の日記のファンで、日記に出てくる店などに通ってくれているということは知っていたが、会話するのは実は初めて。自分でも言っていたが、お笑いの人間には珍しくバランス感覚にあふれた人という感じ。
お笑い(に限らず芸能人)でバランス感覚にあふれるというのは決して褒め言葉ではないのがこの業界の特長(困った特長だが)なのだが、彼の場合はそこを活用して、こういう本(トンデモ系に走っても困るし、あまり真面目でも面白くない)に結実させている。私の方はと言えば準備不足でロクなコメントできず、胎盤の話が出たときに、加賀の昆元丹の名前がどうしても出てこなかった。これは歳のせいか?ちと反省。
本の中の健康法のいくつかは本当に試してみたくなった。オノは浅草キッドの大ファンなので、いちいち大喜びしていた。なんにせよ、これまで会いたくて会えなかった人と会えたのは(ブジオ!でも呼ぼうと思っているうちに古田新太に先に呼ばれてしまった)嬉しい。
その後、同じミヤマの喫茶部に席を移し、アスペクトK田くんと、先日某社でトラブった件の移譲を算段。なんとか乗ってくれてホッと。その後、販促企画のアイデアをちょっと出したら、そっちの方に
「ア、それはいいなあ!」
と大乗気になっていた。最初からコッチで攻めたらよかったか。なにはともあれ、善後策が功を奏してまず安心、オノとパルコ裏の『カレー研究所』で遅い(2時)昼食。
事務所戻り、雑用。明日の快楽亭との対談、場所がなんと深大寺の温泉宿というのに驚く。深大寺はもう30年近く前に一度行ったきりである。高校時代よく聞いていたコミックソングで
「♪ここは武蔵野深大寺、ナンジャモンジャの木の枝に、ナンジャモンジャの花が咲く……」
というのがあったので、ここがそうか、とちょっと(ほんのちょっと)感激した記憶がある。
NHK『アニメ夜話』からメール、“唐沢さんはこの番組になくてはならない人材”とか言っているが、まだ次シーズン正式出演申込みはナシ。ゴネないように、とのメールだろう。まあ、こういう内容でも連絡くれるだけマシ。状況がどうなっているのか、なしのつぶて、というところが多すぎる。
4時、時間割にて週プレ対談。ねがっちはこんど編集プロダクションを作ってそこの社長になるそうで、おぐりに“社長!”とさっそくからかわれていた。終わったあと、おぐりと『ただいま!』ポスターをマスターに頼んで貼ってもらう。
事務所に帰り、ミリオン出版『猟奇の社怪学』ゲラチェック。昼間出てこなかった昆元丹の名称がそこにあったのは西手新九郎。音楽雑誌『プレザンテ』からインタビュー依頼。ホラー映画の音楽について。ふむ、渡辺宙明とバーナード・ハーマンの話でもするか?
古書店からネット古書店で注文した本が届く。うーん、この本の題名を最初に探書ノートに書き込んだのはまだ19のとき。それから47の今日まで28年間、ずっと探してきたのだった。
それほどの奇書でも珍書でもないのだが、部数のあまり出ていない本だったのか、同じ著者の他の本はみつかっても、この本のみは目録にも滅多にあがらなかった。まだ出久根達郎さんが直木賞作家になる前、古本屋の親父だった頃、ちょうど下宿のすぐ近くだった芳賀堂書店でこの本を探している旨を告げると、出久根さんは
「なんだ、そんな本探しているのか」
といいたいような口調で、
「あ、それならうちの書庫にありますよ。次にいらっしゃるときまでに出しておきましょう」
と笑って、それきりだった(出久根さんにはその他の本も何冊か探書をお願いし、同じように安請け合いしてくれたが、結局一冊も探し出してくれたことはなかった)。それからまた十数年、ネット古書店の時代になっても出るのはこの著者がある程度メジャーになってからの著書ばかり(部数が多かったのだろう)。
半ばあきらめかけていたら、つい一年ほど前、この著者の著書での探書順位ナンバー2の本が、なんのきなしにネット古書店を周遊していたときに見つかった。それで、“ひょっとすると……”という気になった。そして、今回も、別件でひさしぶりにネットの古書検索エンジンにつなぎ、その検索が終わったところで、ひょいと思い出して、著者名で検索をかけてみたのだった。そしたら、28年間探しに探していたその本が、まさに、あった。
まあ、当然だが劇的な出会いでも運命的なドラマもなく、非常に簡単に見つかり、また何の支障もなく購入できて(しかもたった1000円)今日、無事に私の手に落ちた。人生ってそういうものだ。
変な話、私のモノカキのスタンスとは180度違うといっていい著者なのだが、しかし何故か、私のモノカキのスタイルは、この著者によって決定されたと言っていい。人間ってそういうものだ。