裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

木曜日

もみもみの塔

わが宗派は輸血できない代わりにおっぱいは揉み放題。朝7時半起床。久しぶりに昨日は“昨日中に寝られた”からか。入浴洗顔、歯磨。9時朝食。スープに伊予柑半個、イチゴ2粒。

3時まで自室で原稿書き。もっとも、進まず。昼はここで弁当を使う。シャケ粕漬け。冷めたコンニャク飯はわびしいがダイエットのため。しじみのカップ味噌汁。
食べながら『食の政治学』(産経新聞外信部編)読むが、腹が鳴ってくる。バイタリティある仕事をする人間はやはりよく食う。

2時半、家を出るが携帯を忘れて出る。現代の人間が携帯を忘れると、本当に手足をもがれたかのように不便で、かつ不安になる。事務所にちょいとだけ顔を出し、時間割に。

幻冬舎トテカワさん。最初から、ちょっと風向きの悪い話なのではないかと思ったが、予感的中。企画自体は素晴らしいと編集部内でも絶賛だったのだが、社長の一声でダメになったと。雑誌などにいま、力を入れているので単行本部がワリをくっているらしい。今日初めて聞いたら腹を立てて、幻冬舎でいま進めている企画全部引き上げるところだったが、予感あったのでアアソウデスカという感じ。頭の中はすでに善後策カチャカチャ検索。

すぐに打ち合せ切り上げて事務所に戻り、某社某君にメール、とにかく引き継ぎを頼む。某君から、ではこの次打ち合せを、という返答受け、まず息をつく。このところ、善後策ばかり立てているな、私は。

オノとスケジュール確認。『東京人』から原稿依頼。お気に入りの古道具屋さんを紹介してくれとのこと。最近、ニースの件といい骨董づいている?開田さんから『ガメラを創った男』表紙デザイン画届く。本人は“全然似てない”と謙遜するが、湯浅監督の笑顔が大変にいい。

5時、TBS『がっちりマンデー』からコメントインタビュー。キンカンについて語れ、と。テレビには珍しく遅刻してきたが、途中でカメラの調子がおかしくなり、撮影できるかどうかわからないという。いろいろいじっているうち、なんとか動いたようである。構成台本を見ると、私がいろいろ傍若無人なしゃべり方をしている。スタッフが私を知らなかったらしい。なんか、逆にホッとする。

「雑学に詳しいけどクスリにもお詳しいでしょうか」
とおそるおそる言うので、ちょうど棚にあった増刷分の『薬局通』を一冊差し上げる。

キンカンに関する雑学で最もスゴいのは
「金冠堂創設者の山崎二郎は、最初、路上販売で、自分の腕に熱湯をかけ、その上にキンカンを塗ってみせるというパフォーマンスで販売していた」
というもの。蝦蟇の油とかの危険芸と変わらない。

1時間、なんやかやでかかる。オノ曰く、
「30分ということで出演料伝えましたが、増して請求しますか?」
と。

三才ブックスSさんから電話、頼んでおいた『魂食』のおぐりゆかサイン会、新宿マイシティの有隣堂書店さんがOKしてくれたとのこと。素早い対応に感謝。明日、その件も打ち合せすることに。

『ブジオ』のみみんあい紹介文、書いてメール。しかしニフティのココログはただいまメンテナンスが長引いていてブログを更新できない。今日の眞鍋かをりの『ココだけの話』はブログなしでやったそうである。ブログの女王だけにこれはキツかったろう。ニフティには長いことお世話になっているので縁を切るつもりはないが、トラブルが多すぎる。

電話、今日打ち合せたトテカワYさんから。別件で幻冬舎のお仕事を二件、もらう。おわびのしるしか?一件は来年の仕事。今年初めて入った来年の仕事である。先の仕事の話が入ると、いまだに、“これでそこまでは失業せずにすむ”とホッとするのである。これに耐えられなくて、モノカキが大学の講師だとか、きちんと保証された身分になりたがるのもわかるが、しかし、それはフリーの職業を選択したものにとって敗北宣言のような気がしないでもない。

古書店の目録で買った中岡俊哉『東西夜話百選』(宮川書房1967年刊)読む。新書サイズで、三部構成になっており、一部が『眠られぬ夜のために』と題されたピンクコント集、二部が『奇人・奇習の物語』という世界奇譚集、そして第三部が『呪われた恐怖の中で』という心霊実話怪談集。

中岡氏は第三部だけで一冊にしたかったようだが、出版社が売れ行きを考えて第一部を付け加えさせたのだろう。買ってみたら、中に“中岡俊哉専用箋”と印刷されたペラの原稿用紙がはさまっており、誰に宛てたものかわからないが、同業者への寄贈のためだろう、こう書いてあった。

「前略 よい季節となり、ご活躍のことと思います。同封の拙著が出ましたのでお送りします。10冊目ですが最低のもののようです。ご笑読の上ご批判ください。ご健筆を祈ります」
著者略歴には
「現在、外電通信社の編集・翻訳を担当の他、雑誌に怪奇物などのノンフィクションを執筆」
などとある。

……中岡氏このとき42歳。後に心霊ブームで大ブレイクするわけだが、このときはまだ大変だったんだねえ。内容は欲求不満で牛と交わってくだんみたいな牛人間を生んだ話とか、例によっての駄ボラだが。

8時、幡ヶ谷チャイナハウス。と学会のトンデモ本大賞実行委員会メンバーの寄り合い。植木不等式、IPPAN、S山(しら〜)、談之助、K川、S井、私、遅れてK子。告知宣伝、前月祭、それから会場で売る同人誌、ゲストなどいろいろ詰める。

大阪支社に単身赴任になる皆神龍太郎さんの送別会の件も植木さんと打ち合せ。植木さん、前歯を欠いていて、イメージが変わっている。前歯を欠いた教養人、というと『吾輩は猫である』の水島寒月くんをどうしても思い出す。『首くくりの力学』のような酔狂な研究はいかにも植木さんが好みそうだ。植木さんダジャレ連発、私の今日の日記タイトルもそこで出たもの。

京子さん(みみんさん)と電話で明日のこと打ち合せ。料理はいつものように。炙り鶏、貝柱と青菜の炒め物、アスパラと平貝の炒め物、メダイの炒め物、黄ニラなど。

最後にリーメン。紹興酒が焼酎の業務用巨大ペットボトルで出てきてみんな驚く。肩凝り用の竹の花酒を一杯。11時に帰宅、メールいくつか打って寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa