21日
火曜日
ああっ毛ガニさま!
夕食で毛ガニを見て口走った駄洒落。朝8時45分起床。うわっと飛び起き、雑用して、入浴せずに朝食。大豆のスープ、ブドウ、伊予柑。
文化人類学者米山俊直氏9日に死去、75歳。小松左京・石毛直道両氏との鼎談本『人間博物館〜性と食との民俗学』』(光文社、1978)は私の若き日のバイブル(知識と見識と豊かな想像力さえあれば、酒の席でのバカ話がこうまで知的楽しみに満ちたものになる、という)であった。アフリカでのフィールドワークから人類文化の起源を研究する、という文化人類学の王道を歩みつつ、学を修めた地である京都を愛し、洗練された京都文化を世界に発信するということをライフワークとしたという、かなりユニークな学問的足跡を残した人だった。
その振幅の間にあるのは、思想や政治などという付帯物を取り払ったところに見えてくる“人間性”の本質を愛する心だったのではないか。最近の学者には、この人間性への愛情が欠けているような気がしてならないのである。
それにしても、上記著作では夏目漱石の『猫』の登場人物のうち、一番若い寒月くんになぞらえられて涼斎海月という名前で登場していたが(ちなみに小松、石毛両氏は臥猪庵斜栗、大食軒酩酊)、生年を見ると小松氏31年生まれ、石毛氏37年生まれ、米山氏30年生まれと一番の年配なのであった。これはちょっと驚く。してみると、あの鼎談のとき、米山氏は今の私と同じ年齢だったわけか。
日記つけ、今日の打ち合せ用の企画書を仕上げ、しばし読書。12時半に弁当。シャケ、タラコ、卵焼き。〆切危急を告げるもの多々あるも、今日は休日ゆえ、電話も静か。それでもやらねばならぬものあり、2時に出社。
『週刊現代』マンガ評やる。これも〆切ギリギリで、ゲラチェックできないため、文字数キッチリでアゲねばならない。一気に一文字も余らせずに書き上げる。頭の中で残り文字数がカチャカチャとカウントダウンしていったのだろうな。
書き上げてちょっと(5分ほど)時間オーバーながらオノと連れ立って時間割。『ブジオ!』のI垣P、I井D、放送作家のイニャハラさん。スタジオの外でこのメンツはちょっと奇妙な感じ。4月8日からの新番組『唐沢俊一のポケット』打ち合せ。
小林麻耶はスケジュールの関係で参加できないことになったのでじゃあ完全に一人で番組をやろう(ラストにショートスケッチを入れて、そこでおぐりなどを使おう)とこないだI垣Pと話し、それに従って内容を考えたのだが、なんと、小林麻耶の代わりに、海保千里アナが使えることになったという。アナウンス部の部長が金曜ブジオのファンで、融通してくれたらしい。そう言えば海保さんは以前、奇跡特番でご一緒したときに“金曜日、楽しいですよねー”と言ってくれていた。それにしてもTBSという局はぜいたくをさせてくれるところであることよ。
じゃア番組本体はそれでやり、ラストのスケッチは基本、海保&唐沢でやって、ということになる。さすがにこのスタッフ全員、モンティパイソンファンなので(なにしろエンディングテーマが『ライフ・オブ・ブライアン』からである)ラストスケッチをどうナンセンスなものにするか、で盛り上がる。新たな楽しみになりそうである。
海保さん入りバージョンを次回金曜までに用意しておくことになるが、さて、と考える。『ポケット』もブログを作り、ポッドキャスティングをやや長め(10分〜15分)にして収録する、ということになった。I垣Pは“本編中にこぼれたネタで”と言っていたが、しかし考えてみれば、ポッドキャスティングは全国(どころか全世界)で聞けるが、本放送は関東地方だけ。そこで番組の落ち穂拾いをやっても地方のリスナーには隔靴掻痒だろう。ここは、コンセプトは同じでもまったく違うポッドキャスト専用番組をひとつ立ち上げてしまおうと考え、『ポケットの穴』というのを考える。そうすれば、ここでおぐりを使えるし。よしよし、と一人自分のアイデアにほくそ笑む。
仕事場で雑用少し、テレビ見たら日本がWPCで優勝の大騒ぎ。巨人戦視聴率が10パー切る時代に50パー近い視聴率を取るという謎。これは街頭インタビューのサラリーマンの「感動しました。国旗背負っていると燃えますねえ」という台詞が全てを物語っている。要するに、サッカーだろうが野球だろうが、憎いアメリカと韓国を下してくれれば、ナカミはどうでもいいのである(実際、試合内容は野球に疎い私の目から見ても、褒められたようなものじゃなかった)。キューバはアメリカと敵対しているから本当は仲間だろうに。で、国技でボロ負けしたアメリカがさぞカッカしているだろうと溜飲下げている人も多いかもしれないが、新聞によればアメリカのスポーツ紙でも、このWBC、報道していないところが多いとか。すでにアメリカの国技はバスケットなのだ。
出て、マッサージ。ついたのがまた例の若乃花。いや、殺されるかというくらいの凄まじい揉み方をされる。実際、この先生の体格と力なら私のような者の一人や二人、ねじりつぶすのはわけないだろう。首を右に左にねじられたときは筒井康隆の『走る取的』のラストを思い浮かべた。しかし、これで揉み返しが全くこないのが、やはり凄い腕なのだろう。
タクシーでそこからすぐに新中野、地下鉄駅前のベローチェで猫三味線製作委員会のSくんと、パイデザ、マドと打ち合せ。猫三味線サイトと私のサイトのリンク、共同運営などについて。全員がほぼ、サイト作りのプロなので、話が早いのに感心。製作委員会の許諾とって、すぐ作成にかかりましょうというところまで、1時間かからずにまとまる。
Sくんと別れて、オノ・マド、パイデザの二組四人引き連れて母の部屋で食事会。可愛がっている夫婦二組が来たというので母は大ご機嫌である。中華メインで、例のウェスティン豚、ピータンなどの皿と自家製北京ダック風、それから毛ガニとハマグリの紹興酒蒸しの大皿のあと、おこげ。毛ガニとハマグリ、ほとんど味ついていないが自身の塩分でいい具合に蒸し上がっている。
さまざまな話が出て、人物月旦等、大笑い。酒はビール、日本酒(景虎)の後、マオタイをロックでクイクイ。『人間博物館』で米山氏がマオタイ大瓶を下げて小松家を訪れる場面があり、それを思って追悼酒。
11時15分、みな帰宅。私は自室に戻り、テレビやネット。斎藤環氏が『視点・論点』で、ホリエモンなどIT産業を“虚業”と切り捨てていたが、精神分析医という職業こそ虚業の代表みたいなもンじゃないのか、と、雑文書きというこれまた虚業の身として想う。
宮川泰氏死去の報。一日に二人も尊敬していた人の訃報があるとさすがにめげる。子供時代は『シャボン玉ホリデー』で、オタクとなってからは『宇宙戦艦ヤマト』で、本当に私の人生に大きな影響を与えてくれた人。
子供時代にクレージーキャッツの『スーダラ節』(氏の編曲)をわけもよくわからず歌い、続いて物心ついて、植木等の『シビレ節』(氏の作曲)にまさにシビレた。高度経済成長期のあの当時の日本あげての狂乱の雰囲気を、これほど端的に表していた唄もなかった。あれは、うーんと記憶が定かでないのだが梶原一騎/永島慎二の『挑戦者AAA』だったか、それとも川崎のぼるの『スカイヤーズ5』だったか、敵の秘密基地に主人公が忍び込むと、人影がなく、がらんとした基地内に、酔っ払いの歌う“♪しーびれちゃったしーびれちゃった……”というダミ声だけが聞こえている。そこで次週に続く、となり、ハシラに“ひとけの絶えた基地内に不気味に響く“しびれ節”! 果たして主人公の運命は……”というような文句があり、緊迫した文章と『しびれ節』という字面のアンバランスに爆笑してしまったものである。それだから後年、『宇宙戦艦ヤマト』の初期オープニングの、静から動へのあざやかな切り替わりに文字通り“しびれた”時には、まさにやられたーッ、という感じだった。
『恋のバカンス』『ウナセラディ東京』などのジャズ調のバタ臭い魅力から『交響曲宇宙戦艦ヤマト』の堂々たるクラシックぶりに至る幅の広さは、その腕をクラブ演奏やテレビという実践の現場で磨いてきたたまものだろう(大阪学芸大学音楽科に学んではいるが、バイトバイトでほとんど授業に出ず、6年在籍して中退した)。破天荒とも言えるその作曲センスはその経歴がつちかったものなのだが、エリート揃いの音楽業界にあってそれにコンプレックスを抱いていたのか、東京芸大作曲科を首席で卒業した息子の彬良のことになると親ばか丸出しのベタ褒めになっていたのが微笑ましかった。まだまだ活躍出来る年齢だったのに。黙祷。
K子は今日はI矢、しら〜などと食事してきた模様。ご機嫌で帰ってきた。1時、就寝。