裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

土曜日

空腹の科学

 お腹がヘルメス・愛は風の如く。朝6時起床、寝床読書。7時半入浴、8時朝食。バナナとリンゴ、ブロッコリスープ。母に、アリス衣装の洗濯を頼む。日記などつけて10時半出勤、新宿小田急で北海弁当を買う。仕事場でゆうべ製作した大賞チラシ をIPPANさんが受け取ったこと確認。

 雑用、表サイトへの日記移行など。12時に弁当を食うが、食べたら急に眠くなってきて少し横になりアビラ・ヒロン『日本王国記』パラパラ読むうちにグーと寝てし まう。決して心地よい眠りでなく、だるさの極みのような惰眠であったが。

 1時間して起きだし、原稿メモなど作成。3時半、出て時間割。村崎さん、アスペクトK田くんと『社会派くん』対談。K田くんがかなりスマートになっているのに驚 く。自転車通勤しているそうだ。やはり痩せるには自転車か。

 このあいだの監禁王子号外、一日で16000件ものアクセスがあったとか。
「無料で読ませるのもったいない。いきなり“次号から有料にします”でいいんじゃ ないの? どうせこっちは鬼畜だってウリなんだし」
 と村崎さんと言って笑う。もっとも、世の中はすでにその監禁小林まですでに過去の人になりかけているくらい流れが速い。6時まで対談、終えて仕事場に戻る。母が 来て掃除してくれていた。

 仕事、結局ちんたらしていて進まず。やりかけの週プレ原稿を自宅にメールして、7時半、K子とマンション下で落ち合い、タクシーで中目黒。『フォリオリーナデッラポルタフォルトゥーナ』という舌を噛みそうな名前のイタリアンレストランへ。最初、結婚前に行った麻布のイタリアンレストランに久しぶりに行こうかとK子と話して、ネットで調べたらそこがもう閉店しており、そこにいたシェフが中目黒にこの店 を開いていたことを知って、ひとつ試みてみよう、と思ったもの。

 目黒警察近くの細い道を入ってすぐのところ。木製のドアの中、驚くほど狭く飾り気のない店内にテーブルは三つだけ。メニューは10種9皿のコースが一種類、ワインもその料理に合わせたものをシェフがチョイスして二皿に一グラスで出てくる、完 全なおまかせ式である。

 最近、友人達と馬鹿話しながらワイワイ食べるか、さもなくば地味に家でテレビみながら、という食事ばかりだったので、こういう店にはやや、緊張。9皿という皿数の多さだが、そこは高級店、どの料理も皿占有率が1割に満たないという、小鳥のエ サなみの量。

 最初の皿であるスカンピ(小エビ)のグァッツェットのゼリー寄せの、細工物みたいな外見と、濃厚な海老ミソの風味に思わずふむ、とうなる。そのあとがイタリアから取り寄せたアスパラガス(一人分中くらいの一本)にパン粉を炒めてマスタードで 練ったものをかけた前菜。マスタードの風味が絶品。

 さらにチポッロット(葉つきタマネギ)の冷スープにこれもイタリアから空輸の紫タマネギのスライス(アンチョビソース和え)が浮かんでいる一皿。面白いのはパンで、料理ごとにフェンネルやアニスの練り込んであるものが今日されるが、それがい ずれもたこ焼きよりも小さい、衛生ボーロみたいなものである。

 次の皿がちょっと私的にはヒットで、オルツォ(大麦)のサラダ仕立て。兎の肉とレバを茹でてほぐしてソースで和え、それと茹でた大麦、小さいオリーブとを混ぜてサラダにしている。兎肉というのは繊維が細かくホロホロとなって、食感がいまいちなのだが、これは逆にその繊維の細かさを利用して、大麦サラダの味付けにしてからませている。レバも入った兎肉の濃厚な風味と、大麦のプチプチした歯触りが非常に相性よくおかわりしたいくらいの逸品。オリーブ嫌いのK子がオリーブも余さず食べ ていた。

 続いてが太めのマッケローニ(マカロニ)にイベリコ豚とケッパーをペースト状にしたものをからめたもの。さらにこれもイタリアで自生しているというマッシュルームを合わせているが、このマッシュルームの甘みがこれまで食べたどのマッシュルームより強く、いささか感動。そして本日のメイン、子羊の背肉のソテー。

 表面のみをごくさっと鉄板で焼いて、中はほとんど赤色、脂のみを溶かしたという程度で。ソースはまたまたイタリアの自生アスパラガスを細かに叩き、それにパルメジャーノ・レジャーノとカラスミを合わせたもの。羊の臭みを完全に消すのでなく、うまい具合に活かしている。それからチーズ料理として、ペコリーノチーズとファーベ(ソラマメ)のムース。これはまあまあという感じだったのは、それまでの料理の 個性があまりに強すぎたせいか。

 次がデザートで、クレミーノ・レッジェーロ。ホロホロ鳥の卵黄にバルサルミコ酢と砂糖を加え湯煎にかけ、松の実と練って、上にビターチョコレートを削ってかけたもの。濃厚な甘さのクリーム。わざわざ鶏卵でなくホロホロ鳥の卵の黄身を使う凝りよう。ではその残った白身の方は、というと無駄にせず最後にひと匙出るチョコレートのスプーマを泡立てるのに用いている。それと赤ワインにレモンピールを入れて固 めた苦みのあるゼリー。この二品が、それぞれ匙の上に乗せられて、並べて。

 酒は最初が(後で貰ったメニューの丸写しだが)食前酒が白ワインにジンとラズベリー酢を混ぜ、さらにネズの実をミキサーにかけたものを混ぜた(え、ネズミを? と夫婦とも聞き違えて秘かに驚いた)レスフレ。それからリースリングの02年、ドルチェットダルベの03年、テッラフォルテの00年と続き、それぞれのワインの飲み方(空気と合わせるか、そのまま喉に流すか)に合わせた特注のイタリア製グラスで供される。最後がフラスコのような変わったグラスでグラッパヂェラスオロ。最初から最後まで、完璧にシェフのプラン(途中で説明に出てきたシェフの奥さんがプランナーらしい)に従って味わう、いわば超絶的技巧を楽しむレストランである。

 ……こういう店が好みか、と言われるとうーん、と首をひねる。モノカキである私にとっての望ましい食事とは、仕事の疲れを癒し、規範から解放され、仲間との会話や発想の自由な奔流をうながし、食を通じて生きることの根源につながるパワーを貰えるような、そんな食事だ。いわばバフチンの言うカーニバル(大衆的・見世物)的な食事が私の理想と言えよう。今日の料理は生真面目で公式的で、貴族的。いわば食事の工芸美術であって、観賞用ではあっても実用ではない、そんな気がする。しかしながら、これもまた食文化の一個の到達地点だろう。兎も豚も、あそこまで原型を失いながら、きちんとその風味を残し舌の上でその存在を堂々と主張している。その奇術のような料理技法には文字通り舌をまく。その工夫がわかるか、というシェフとこ ちらの、舌の上での一種の決闘的対峙。この緊張感もまた、捨てがたい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa