裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

火曜日

その日の見出し

 核融合炉を見ながらこう考えた。朝、変わりなく8時起床、朝食半熟卵とバナナ。ツチダさんから連絡入り、
「今日の夜の部出演ということでいいですか?」
 と連絡。今日の第一回は高島屋とぶつかり出られず、三橋俊一さんとダブキャスになっている。私の出は二日目からで今日は観るだけ、というつもりだったが急遽出演 ということで、テンションがいきなりアップした。

 仕事場に出て連絡チェックのみやり、タクシーで新宿。12時にタイムスリップ昭和展入り口で八島美夕紀さん(三波さんのお嬢さんで晩年のマネージャー)と、担当のHさんに落ち合い、ちょっと展示をのぞく。岡本太郎の蝋人形が飾ってあり、足元 に大きく(実物大)とあるのが笑えた。いや、書いていないと
「縮小模型か」
 と思ってしまうほど小柄なのですね。テレビなどで見ても、そんなに小柄とは感じなかったが、やはりあれは個人のキャラの迫力なのだろう。
「芸術は爆発だ!」
 と常にテンションを高くしていた理由もここにあるのではないか。黙っていては人群れの中に隠れてしまうような人は、より目立つことをしなくては衆にぬきんでられ ない。

 万博の『世界のくにからこんにちわ』の競作レコードが8社展示されていた。この中で三波春夫の歌うものが代表作と見なされるようになったのは、他の歌手たち(坂本九、ザ・ピーナッツなど)が単にお仕事で引き受けていた(歌番組などではやはり 自分の持ち歌を歌いたがった)のに、三波さんだけは
「これは日本と日本国民が戦後がんばりにがんばって、とうとうこれだけの世界に誇 れる博覧会を開けるまでになったという披露目の歌だ」
 という認識で、オリジナルの自分の歌をさしおいてもこの歌を歌ったからだ、という。この人が“国民的歌手”と呼ばれたのは伊達ではないんだな。

 八島さんと私は同い年、しかも芸能プロデュースの立場(規模はもちろんまるで違 うが)にいた、ということでステージより楽屋でむしろ話があう。
「才能のあるマネージャーほど、金持って逃げるというのはどういうことなんでしょうね」
「そうそう。必ず、なんですね。普通の社会ではお金持って逃げるというのはまず、その後一生復帰できないようなことなのに、興行の世界というのは、それでまたちゃんともどれる不思議な世界なんですよね」
「雇うほうも天秤にかけるんでしょうね、そいつが金持って逃げるリスクと、金になる仕事取ってくる能力とを。この業界では仕事取ってくる能力がなにより貴重でしかもそういう能力の持ち主はそんなにいないから、困ったもんだと思いながら、リスクの大きい人間でも雇わざるを得ない」
「その点、三波先生は奥様と娘さんが仕切っていたから幸せですね」
「でも、内々では本当に大変でしたよ〜」
 など、妙に話があって、家庭の内部のことまでいろいろ話してくれて
「今日初めて会った者にこういうことまで話してしまっていいのか」
 みたいなことも聞いた。まあ、美夕紀さんが開けっぴろげな性格なのだろう。

 幻冬舎Nくん(この対談企画持ってきてくれた人)も加わっていろいろ話す。テイチクのプロデューサー氏も来たので、
「道庁の北門前に住んでいた頃はしょっちゅうテイチク札幌支社長の息子のテッちゃんという子と遊んでいた」
 というと、
「エ、それは何年前のことです? 昭和41〜2年? じゃアその頃の札幌支社長というとSですね。彼、その後東京に転じて、一時は三波さんのプロデュースをしてい たんですよ!」
 と話してくれた。縁というものに驚く。

 ステージは一時間くらい。会場が混雑のため、12階食堂街のテラスに急遽場所を移して行われた。昭和高度経済成長のシンボルとしての三波春夫、と、昭和展のテー マに合わせるのに苦労する。客席にIさん、母の姿があった。

 終わって、八島さんと別れ、すぐ紀伊國屋の方へ。楽屋に入る。ちょうどラストシーンあたり。今回の公演は千葉で観ているとはいえ、唯一、客席で観られない公演となった。休息時間に昼の回のダメ出しが出る。受付でと学会のチラシ確認、同人誌に はさみこまれていなかったことがわかり、急遽モナぽさんと挟み込み作業。

 花の確認。週プレと開田さん、それからなんとTBSのKさんからもいただいてしまった。あっという間に過ぎて、さて本番。白衣に往診カバン姿で楽屋から出るときに階段からちょっとコケて落ちてしまった。これはやはりかなりアガっていたという ことか。

 しかしそれでアガリは抜けたと見えて、声がうわずったりはせず出られる。自分で表情がカタいな、とか、足の位置が悪いな、とか気になった部分は山のようにあるがとにかく、他の人の邪魔にならぬよう心がけて演技。稽古の方が十倍くらいあたふたした。あ、これ、昔パントマイムの吉沢忠さんと銀小出たときもそう言われたことで あった。つくづく私はぶっつけ慣れしかしていない人間である。

 三遊亭圓生が日生劇場公演に出たとき、稽古で久保明が一生懸命ぶつかってくるの を
「なんでげす、あなた、これは稽古なんでげすから……」
 といった、というエピソードがあるが、稽古というものの概念がそもそも、異なっていたというわけだ。演技ウンヌンでなく、そこをチューニングするべきであった。 終わってお客出し。劇場出口で挨拶。ミリオンのYさん、と学会のKさん、ベギラマ、笹公人さん関口誠人さん、川上史津子さんなど来てくれた知り合いに挨拶。ベギ ラマが
「隣の席が空いていると思ったら……」
 と笑う。前のライブのとき、並んで紀伊國屋公演を観ようとチケットを一緒に買ったのだった。急遽、それから出演が決まったのである。思えばウソみたいだ。

 関口さんなどまじえ、近くの居酒屋ビル内で軽く打ち上げ。ニッポン放送のアナウンサーの人に紹介される。帰りは丸の内線だったが、この人の同僚(駅のホームで偶然会った)と一緒になる。あと3ステージ、とにかく向後は楽屋の階段をコケないよ うにしよう。それだけ目標。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa