裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

日曜日

ナンパ術滝沢

 ねえウェイトレスのお姉さん、ボクにコーヒー運ぶばかりじゃなくて、今度はボクと夜明けのコーヒー、飲んでみたくないかい? 朝、美女とネンゴロになってほっぺたを愛撫すると、アトピーなので触ったところがジンマシンになる、と怒られる夢。それにしてもこの頃の夢は40代半ばのおっさんが見るような内容じゃない。

 寝床で『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』(スティーヴン・ウェッブ著/青土社)など読みつつ、6時45分まで。7時入浴、7時半朝食。キウリ、ニンジンにニンニクミソをつけて。あとブロッコリの冷ポタ。9時15分ころまで、パ ソコンに向かって日記つけなど。

 9時半、家を出て丸の内線で東京駅まで。とりあえずこないだネットで予約した、新幹線(23日の大阪行き)のチケットを受け取る。それからまた中央線で戻り、お茶の水駅からタクシーで、本郷の弥生美術館へ。石原豪人展を見学。石原豪人の絵とはどう考えても結びつかない、上品な老婦人が数名、熱心に絵を眺めていた。改めて一連の作品を通してみて、いかに石原豪人という人が孤高の作風の人かということを痛感する。これを継ぐ人がいないのである。そして、いかにわれわれの世代が彼のイ ラストで出来ているか、も、また痛切に感じる。

 その作風は先日見た真鍋博の作風の対極にある。あちらがモダンならこちらはアナクロ、あちらが洗練ならこちらは俗悪、そしてあちらがノンセックスならこちらはセクシー(しかも過剰気味)。なるほど、この光と影、陰と陽、ボケとツッコミのような二人が、非常に乱暴に俯瞰するとわれわれの育った社会の両極におり、われわれはその中間で、どちらかにやや偏った影響を受けながら人格を形成してきたわけだ、と納得する。若い頃の私は明らかに真鍋博的世界の住人だったはずだが、年齢を重ねる につれ、石原豪人的な世界を懐かしむようになってきている。

 講談雑誌の挿絵から少年・少女誌、オカルト雑誌まで石原豪人の作品の掲載誌をかなり網羅して展示しているが、唯一、一冊も展示されていないのは雑誌『さぶ』の、林月光名義の『月光仮面劇場』の男色絵(『JUNE』の美少年ものイラストや、掲載誌が『NICE GAY』になっているもの、出典不明になっているものなどは数点あった)。パンフがわりに売られていた河出書房の『石原豪人〜「エロス」と「怪奇」を描いたイラストレーター』でも、林月光はSM画家、としての紹介文を載せていて、ホモ雑誌のイラストについてはほとんど触れていない。一時は『さぶ』誌に自分の連載と、他の作品のイラストとを同時に描いていたほど打ち込んでいたほど大量の作品が展示されていないのは、何か故人の遺志などの理由があるのだろうか。石原豪人が売れなくなってこういう仕事ばかりしていた、と取れる竹熊健太郎氏の(河出 書房の本中の)表現はちょっと、誤解を招くと思うのだが。

 出て、駅まで歩こうかと思ったが今日は暑い。タクシー使ってお茶の水に戻り、中央線〜山手線と乗り継いで仕事場へ。お昼はニギリメシ、梅かつおと納豆。さて、と気を切り替えてパソコンに向かい、FRIDAYのコラムを書き上げる。トリビアの 泉のスタッフから打ち合わせ日程についてまたメール。
「とてもお忙しそうでいらっしゃいますね!」
 と。そうだよなあ、せめてあの単行本の印税の1パーセントでも貰えれば、こんな忙しくしなくても左団扇なのだが。

 6時、新宿へ出てサウナ&マッサージ。腰はほぼ完治したが、肩の凝り、もはや腫れのようになっていて、揉まれると飛び上がるほど痛む。出て、8時半、伊勢丹会館内三笠会館。母とK子と待ち合わせて食事。今日はエスカルゴを二皿頼んでみる。あとはカボチャとオマールのムース、ブッフ・ブルギニヨン(頬肉のビーフシチュー)にK子お気に入りのニンニクと唐辛子のパスタ。

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