15日
水曜日
東京商社員ボーイ
僕の好きなあの取引先、今日はまだ来ないけど……。再度寝て朝6時40分起床、入浴。7時半朝食、キウリ、ニンジン、焼きカボチャを唐辛子ミソで。テレ朝やじうまワイドで勝谷誠彦、大谷昭宏、三反園訓の三人、パウエル長官の“大量破壊兵器は最初からなかったろう”発言に大騒ぎ、“これであの戦争の大義はなくなった、アメリカに追随した日本は世界に恥をさらした”と。へえ、じゃあ大義ある戦争であったならイラク攻撃をあなた方は是とするのであるか。大義による人殺しなら許せるというのか。大義(正義)を前提とした戦争というのが、これまで存在したことがあると思っているのか、と呆れる。……まあ、彼らも“こういう風にわめいた方がウケる” と思って言っているに過ぎないとは思うが。
戦争というのは昔から利害と打算と国家運営の必要だけで起こってきたものであって、また必ず起こるものである。その厳然たる現実を前にして、いかに対処していくか、が国家運営者の役割だ。日本はそれに従ったのみで、その結果さえ日本に対し有利であるなら、何ら国家として恥じることも卑屈になることもない。ポリティカル・リテラシーのみが政治家(特に国際政治家)には求められることで、正義を政治家が本気で口にしはじめたら、その国はほろぶと思ってよい。幕末の争乱のとき、七万四千石の小藩長岡藩は、家老たちがこぞって官軍への恭順を説く中、英雄児・河合継之助が、“義(大義)藩の嚆矢になる”と称して強大な官軍を相手に真っ向から戦いを 挑み、こっぱ微塵に粉砕された。司馬遼太郎は言っている。
「英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい」
小藩、小国に英雄は不要だ。いや、ぶりっ子であっても、現れたらすぐ摘み取る必要さえある。
8時半タクシーで出勤。車中でギャッと気づくが、ゆうべ、家で読むための資料本(書評をするものも含め)紙袋に入れて、忘れないようカバンの隣に置いておいたのを、カバンを手にとったところでひとつ用を思い出してリビングに行き、そのまま玄 関に直行、家を出たために全部忘れてきてしまった。
仕事場9時着。ゆうべの関係者からメール、また電話。向こうは引き続き大変な状況であって、イラついているようだが、ともかく進み始めたのだから、後は結果を待つしかない、と諭す。SFマガジン原稿、二日も遅らせている。筆を早めてガリガリ と書く。途中でオニギリ、また納豆と一緒に食べて。
1時35分、原稿アゲ。メールする。ふうと一息、いっぺん中野に帰宅。忘れ物をとってすぐトンボ帰り。車中でメモをとり、それを元に仕事場に到着してすぐ、時事通信社書評原稿。4時40分完成、すぐにメール。そのあと引き続き、北海道新聞こだわり選書原稿。6時55分書き上げて、メール。獅子奮迅のようだが、これもみんな、昨日おとついと原稿が書けなかったことのシワヨセ。ぼかあシワヨセだなあ、と 言うのは昔つのだじろうがよく使っていたギャグであったが。
この合間に図版ブツをバイク便で出したり、キャプション原稿を書いて送ったり。そこらでエネルギー使い果たして、ふうと息をつく。その後、今回の出来事を自分なりにまとめて書いてみたが、途中でイヤになって投げ出す。まだ生々しすぎて、客観 的に書けない。
8時半、家を出て新宿へ。丸の内線の改札で母と待ち合わせ、二人で二丁目の方に歩く。へぎそば『昆』で語学終えてくるK子と待ち合わせ。カウンターでビールと氷頭なます、のっぺなどでつなぐ。お母さん、“あらセーンセ!”と声をかけてきて、
「いっつも、唐沢センセを目当てで来るお客さんがいらっしゃるんですよぉ。……残念ながら男性ですけどォ」
と言う。まあ、それは場所柄。……ところで、いつから私はここの店に、“モノカキのセンセ”として認知されたのだろう。自分から言い出したことは一度もないのだ けれど。
9時45分、K子来る。おぼろ豆腐、馬刺、イカ一夜干しなどと、私は八海山。母は“私は酒に強い。いくら飲んでも酔わない”と豪語したあと、店お勧めのにごり酒をおいしいおいしいと二杯飲んで、“すっかり酔っぱらっちゃったわ”と。へぎそば三人前、啜り込んで帰る。