裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

水曜日

彼女は虫も殺さない顔をして殺虫剤メーカーに勤めている。

 ふられ男・談。朝6時起床、7時入浴。体重オソルオソル計ってみるが変化なし。少し安心。昨日は食い過ぎだった。朝食、サツマイモとリンゴ二切れ、ナシ一切れ。メールチェックしたら、昨日会ったNさんから、ゲラが(というかこちらの原稿が)一本足りなかった、との急報。そんなバカな、ちゃんと本数を確認しているぞ、と思い、送信履歴を確認。そしたら一本、携帯の方に送ってしまっている原稿があった。 急いで再送。

 バス通勤変わらず、編集部等から電話あれこれ変わらず、雑用多々変わらず、気圧で体調ムチャクチャこれまた変わらず。台風シーズンよ呪われてあれ。ミクシィに書 き込みなどして過ごす。

 昼はニギリメシ一個。具は昨日のコンカ鯖。最初は何だかわからず、焼きびたしにしたシャケかな、とか思っていた。適度な塩気と、鯖だけに脂があり、それが飯の水気を吸収してほぐれ、飯に染み渡っていて、非常にうまい。こういう食べ方があった か、と感心。

 FRIDAYのネタ出し。夕方いっぱい、これにかかりきりになる。途中でパソコン画面を見つめたまま、ハッと気がつくと画面にアタマをくっつける形で眠って(気を失って?)いたりする。思えば小学4年生の頃が人生で最も眠かった時期で、おやつのラーメンを食べながら眠ってしまったりしていたが、その後そんなこともなくなり、昼寝は中学・高校・大学を通じてしたことがなかった。あの頃と今との状況はまるで似ていないし、と思っていたが、ふと、ある一点が非常に似ている、と気がついた。そうか、眠いのもそのせいか……と思うが、いささかトンデモじみるのでここで は書かない。

 ネットで作家の水上勉氏死去の報。映画『飢餓海峡』を大学時代初めて見たときのショックは忘れられない人生の思い出の一コマだが、これは映画に関する話である。作家・水上勉で覚えているエピソードは、日本ペンクラブの講演旅行で、売れっ子作家たちがスケジュールを合わせるため、徹夜で原稿を書き上げたりして、疲れ果てて旅館入りすると、地元の人たちが次々とそこの名物を持っては“センセイ方に食べていただきたい”と旅館に持ってくる。たいていの作家は編集者に応対をまかせて会わないのに、水上氏だけはいちいち自分が出て、その場で一口食べて、“ほう、これはおいしい。まことに結構なものを……”と礼を言っていた。この様子を見ていた柴田錬三郎が“こらあ、ベン、お前もっと作家としての矜持を持て。いくら行商あがりだからといって、そこまで腰を低くしないでもいいんだ”と説教した、というもの。昔は柴錬の言うことにもっとも、とうなづいていたが、最近は水上氏の態度の方に無限 の共感を覚える。

 もうひとつ、これは記憶がちょっとあやふやだが、辛口評論で知られた百目鬼恭三郎が朝日新聞の記者時代、水上勉の連載小説の担当をしていたが、一年の連載という予定で始めた作品が、そろそろ終わりに近づいたので、編集部では次の連載を山本周五郎氏に依頼し、氏も張り切って他の仕事を整理して新連載の準備をしていた。ところが、ある日水上氏が百目鬼氏に電話で、実は小説が当初の予想よりふくらんでしまい、予定通りに終わりそうにない、と打ち明け、連載延期を依頼してきた。百目鬼氏は仕方なく文芸部の部長と共に菓子折を持って山本邸を訪れ、実はこれこれで、と事情を説明すると、山本氏はかえって上機嫌で、
「いや、わかります。小説とはこちらの思い通りに始めたり終わらせたりいくものではない。周五郎、そこは心得ております。水上さんに、どうぞ充分にお書き尽くしくださいとお伝えくださいますよう」
 と了承し、二人に酒までふるまってくれた。百目鬼氏もホッとしていると、酒席の 途中で山本氏が、なにげない風に
「……ところで、延びるというのは、どれくらい?」
 と訊いてきた。百目鬼氏が
「……半年くらいと聞いております」
 と答えると、山本氏は小さく“キャッ”と叫び、そのあと、自分の醜態を恥じるように、自分に言い聞かせるように、下をうつむき、
「いい。これでいいのだ、周五郎」
 とつぶやきながら、膝を叩き続けていたという。どうも山本氏は、延びると行っても一、二回と思っていたらしい。作家にとって、予定していた原稿料収入が半年延びるというのは大変な計算違いになる。このエピソードも、最初は山本氏の“キャッ”が面白くて笑いながら読んだが、文筆業となった今、ここでこうして書いていて、自分がもし山本周五郎の立場だとしたら、スンナリ受け入れられるかと思うとちょっとおぼつかない。自作をゆるがせにせず、予定だからと尻切れトンボで終わらせてしま うようなことをしない水上氏の作家的態度は立派だと思いはするにせよ。

 9時半、タクシーで下北沢、すし好。すでに母とK子、来ている。黒ビールに、蛸とシャコをつまみ。母は寿司屋ではつまみを食べず、ひたすら握ってもらう。今日は台風で市場が機能していないせいか、品切れ多し。ワカメの酢の物を頼んだらワカメもなく、煮ハマもなし。それは仕方ないとして、それを伝えるときのコトバひとつで客の不満度はまったく違う。斎藤洋介(出張太郎)似の板さん、そこらが拙劣で、こちらにただふてくされたような表情で“ないんですよー”と言うばかり。K子のワサビの量もきちんと把握しないし、いちいち訊かずにネタに醤油を塗るし(私は醤油皿からつけて食べたいのだ)、どうも困ったもの。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa