10日
火曜日
トリビアの理髪師
お客さん、あの床屋の看板の赤は動脈、青は静脈、白は包帯をあらわしてるんですよ。“へぇ”(←大したへぇではない)。6時半起床、入浴、歯磨、髭剃りその他。この髭剃りであるが、シックの二枚刃のものを、このマンションに入居して以来だから、もう半年になんなんとする期間、取り替えずに使用している。“まだ剃れる、まだまだ剃れる”と思って取り替えずに使っているうちに、二ヶ月になり、三ヶ月になり、ついに半年めに突入した。丁寧にあたれば、ちゃんと綺麗に剃れる。私のヒゲがそんなに濃くないこともあるが、しかし、普通の人でも、錆びさせさえしなければ、これくらいは持つ。スムーザーがついていて、これが三、四回も使うとボロボロになり、そこらで普通取り替えるのだが、スムーザーなど別になくたって大して変わりはない。あれをつけているのは、早く刃を取り替えさせようという、カミソリ会社のた くらみではないか?
7時半朝食、焼きカボチャ、冷ポタ、トマト。タクシーで仕事場へ。気圧変動はなはだしい予感。メールチェック、梅田佳声先生から昨日、古書展での紙芝居の出品について質問メールがあったのにお答え。それから電話、数件。注文した本が届いたりこっちで荷物出したり、と学会の希望者にうわの空の公演のチケットを郵送したりと いう雑事で午前中は過ぎにけるかも。
1時、家を出て渋谷駅南口側、ユーロスペース一階の試写室にて、フランス製アニメ『ベルヴィル・ランデブー』(シルヴァン・ショメ監督)試写。早めについたので受け付けした後近くの『支那そば・山口屋』でつけ麺。案外いける。試写、15人くらいの入り。この作品、2003年度アカデミー賞の長編アニメーション部門にノミネートされた作品で、ご案内の通り受賞作は『ファインディング・ニモ』だったのだが、見終わった後の感想で言えば、ニモみたいな通俗な作品より、こっちの方が私的にははるかに好みである(こんなことを書くとそろってニモファンらしいツチダマさ んや小栗由加ちゃんに嫌われるかもしれないけれど)。
とにかく、アートでノワール。グロテスクでキッチュ。おまけにスラップスティックでファンタジーでノスタルジックでブラックでクレージーで人種差別的でリリカルでエキサイティングでエスプリにあふれて、全部まとめておフラーンスという感じが濃厚な傑作である。いわゆる日本やアメリカの価値観である“可愛さ”などはどこにもない。実質的な主人公はマダム・スーザというびっこのお婆ちゃんであるが、その孫のシャンピオンは、子供時代が肥満児で、成人してからはやせぎすの、目が落ちくぼんで無表情で、鼻だけやたら高い、蚊みたいな顔になる。祖母が彼に与えた犬のブルーノは逆に老犬になってデブになり、食い意地ばかりはっている駄犬である。
前半、戦争で(次代設定は第二次大戦直後)両親を亡くしたことが原因で鬱症になり、買い与えられる犬にも楽器にも汽車のオモチャにも、全く関心を示さないシャンピオンが、自転車だけには熱中するということを知った祖母が、ツール・ド・フランス出場という目標を与えて奮起させ、朝晩練習をさせるという前半は、テンポも遅めでやや、退屈。だが、中盤でツール・ド・フランスに参加したシャンピオンが、謎の二人組のギャングに誘拐され、船に乗せられて連れ去られるあたりから、とたんに面白くなる。架空の都市、ベルヴィル(ニューヨークがモデル。高層ビルが建ち並び、車が常にラッシュ状態で、しかも住人が全員デブ)まで、孫を追いかけてブルーノと共にやってきたお婆ちゃんが途方に暮れていたとき、出会ったのは、かつて彼女もテレビの再放送で毎日聞いていた“ベルヴィルのトリプレット”と言う三姉妹の人気歌手の、老いさらばえた姿だった。しかし、年をとって落ちぶれても彼女たちは極めて気楽に人生を楽しみ、今はアパートの裏の沼のカエルを主食にしながら、毎週、クラブでストンプの演奏をしている(ちなみに楽器は新聞紙、冷蔵庫、電気掃除機)。これに自転車のホイールで演奏するシャンピオンのお婆ちゃんが加わり、彼女たちは人気バンドとなるが、ある日、店に客としてやってきたマフィアの親分のハンカチに、 ブルーノが、さらわれたシャンピオンの匂いを嗅ぎ当てた……。
俗悪だが活気にあふれたベルヴィルの描写が秀逸だし、マフィア組織の戯画がまた楽しい。イタリア人は全員チビという蔑視を隠しもしないギャグも笑えるし、なんのためにシャンピオンたち選手を拉致してきたのかというその目的が極めてマンガチックである。そして、宮崎駿の影響がご愛敬で感じられる、ラストの大追跡……。肌や肉体の描写に一切容赦せず“老い”を表現しながら、最後には観客全員が、この四人の老婆たちを愛し声援を送りたくなる、その演出力は見事である。そして、細かな描写まで全て伏線が張られた脚本の素敵なこと。びっこのお婆ちゃんが、足の長さの調節のために履いている靴が、最後にあんな風に役に立つとは……。試写室を出てからもしばらく、三姉妹の歌う『ベルヴィル・ランデブー』の曲が耳について離れない。こういう作品が、公開が来年の正月、しかも単館(テアトル・タイムズスクエア)というのも情けない。日本がアニメ先進国というのは、あくまでもある特定の一分野における突出であって、むしろ裾野は極めて貧しいのだ。あと、注意をしておくと、エ ンディングは最後まで必ず見ること。
http://www.lestriplettesdebelleville.com/
試写室に入るとき、ガラガラ、と大きな雷が響いた。こりゃ降るな、と体が反応したが、雨はちょうど映画をこっちが観ている80分の間に降りきったようで、出たときはまた快晴。汗かきながら帰宅。駅前の交差点で、東宝日曜大工センターの広告を車体に印刷しているバスを見た。この、マスコットキャラクターの親父さんの絵を、21世紀のこんにち堂々とバスの車体上に見ようとは。少し嬉しくなる。
http://www.toho.co.jp/diy/diy-top.html
帰宅、メールチェック。モノマガジンSくんから報告で、『お怪物図鑑』、売れ行き好調につき、月末にも重版とのこと。まずめでたし。急いで造った本でミスも多々あるので、それが修正できるのも幸い。あと、以前某作家の作品について問い合せを受け、会ったことのあるNさんからメール。返信で、別件の企画について少しおたず ね。ちょっと前からぼんやり考えていたもの。
フィギュア王の次号特集用の巻頭原稿、書き始める。10枚原稿、資料を手元に広げつつ、いつものように冒頭部分とラストの部分がつながるような構成を作り、それに従って原稿用紙のマス目(今はパソコンの文書ファイルの文字数カウンター)を埋めていく。8時に完成、編集部Mさんにメール。フィギュア王関連の仕事はまだあって、連載原稿の図版ブツを宅急便で出さねばならぬ。タクシーで新中野まで行き、そ このセブンイレブンで送付手続き。
帰宅して、9時夕食。冷や奴、ワカメスノモノ、鶏の唐揚げ、野菜醤油漬けのぶっかけご飯。NHKの『運命の決断』を見る。ゲスト・司会の女性陣の背の高さと、梅原猛のしゃべっていることが何だかさっぱりわからないことに驚く。酒は缶ビール小一本半、焼酎は『黒糖焼酎れんと』というやつ。さすがに美味いが、この焼酎、“音響熟成”というやつだそうで、醸造タンクにクラシックの交響楽を聴かせて熟成させ たもの。トンデモかいな、と思うところだが、くわしい説明を読むと
「醸造熟成のために新たに開発されたBME−009型音響システムにより、タンクに一定の振動を与え、水とアルコールの分子集団を細分化し熟成を促した」
もの、とある。うーん、どうだろうかな?