裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

月曜日

聖者のコーシン

 高信太郎センセイを聖者に祀ろう! 朝、6時30分起床。昨日の日本酒のせいか腹具合やや悪し。焼酎では何ともないのに。朝食、クルミサラダにポタージュ、イチジクのパン。クリーニングの日なのでズボンを母に預けておく。好天の下、通勤。

 メールチェック、雑用いろいろ。いかりや長介死去の報、アメリカのエンタテインメントサイトにも掲載されているのに驚いた。映画・テレビにおける代表作として挙げられているのが黒沢明の『夢』、『ブラック・ジャック2』、それに『踊る大捜査線』1と2。『夢』と『踊る〜』はわかるが、なにゆえに『ブラック・ジャック2』か。もっとも三ツ矢歌子の死もやはり同欄に報じられているが、写真もなく、“チージィ(安っぽい)なSF映画シリーズ『スーパージャイアンツ』に出演、ということしか記されていない。これよりはマシか。
http://www.einsiders.com/features/columns/mar04obituaries.php
 ……ここを見ると、こんな人もあんな人も、という感慨にとらわれざるを得ず。いつぞやビデオで見て、改めてその美しさに感嘆した『ブードゥリアン(私はゾンビと歩いた)』のフランシス・ディーも、『ファンタスティック・プラネット』の監督ルネ・ラルーも、『世界が燃えつきる日』のポール・ウィンフィールドもみな、この3月に亡くなっていたのだった。2月の欄を見ると、ヒュー・セシル(『ロッキー・ホラー・ショー』で、モノクルをかけて“タイム・ウォープ”を踊っていたトランシルヴェイニアン)90歳で死去、なんてあって、どう惜しむべきかと思ってしまったりするのだが。

 原稿書き、昨日出来なかった感じパズル誌のエッセイ。メールがちょうど編集部のSさんからあり、やはり仲峰さんとは連絡つかずとのこと。仕方なく諦め、では誰にしようかと思って、ふと、冬コミで中川雪子さんとお会いして名刺交換したことを思い出す。イラストレーターの格としては仲峰さんよりずっと上で、そういう方にピンチヒッター的なお仕事をお願いするのもどうかと思うが、ままと思い、お電話してみたら本人が出た。カラサワですと名乗ったらいきなり“ありがとうございます!”と言われたことに驚く。まだお仕事の依頼もしていないのに、この人は超能力者か、と思ったが、名刺を交換したときから、電話でもくれないかと思っていたそうで、やっとかけてくれてうれしいです、とのこと。お忙しいところだろうし、今回の原稿は締切がやたらタイトなので、大丈夫かと思ったが、ちょうど今週は暇なところらしく、これもラッキーだった。さっそく、Sさんに連絡してくれるようメール。

 私の原稿の方もサクサクと進む。これは、見つかったら儲けもの、くらいに思いつつ書庫に入って探していた資料がすぐに取り出せるという幸運に恵まれたため。途中で少し野暮用で中断。弁当を1時ころ使う。今日は豚肉のシソ巻き。原稿書き再開し て、5時半に完成、編集部へメール。

 それから仕度して外出。薬局でビタミン剤買ってから、ルノアール跡の地下会議室にて、扶桑社打ち合わせ。フリー編集のT氏、扶桑社のY氏。こっちからは執筆者代表ということで植木不等式氏、立川談之助氏、それに私。Y氏、なにか非常にノリがいいというか、上機嫌ぽい。まあ、前の打ち合わせのとき、ダメモトで提案した旧刊行物の文庫化の件が二冊もいっぺんに通って、新刊と並べて出すことが出来るようになったのだから、喜ぶのも当然か。聞いてみると、と学会関係の本は、制作費があまりかからず、編集作業が楽で、しかも確実に版を重ねられるということで、扶桑社の営業部からは優良商品とみなされているらしい。装丁の件など含め、いくつか具体的事項打ち合わせ。まず作業量的にも問題はなし。Yさん、談之助さんのことを“タチカワさん、タチカワさん”と呼んでいるので、これは注意しとかないといかん。

 打ち合わせは一時間ほどで終わる。そこからバスで新中野に向かうとちょうどピッタリの時間。NHK前で幡ヶ谷経由のバスを待ち、ほどなく来たのでそれに三人で乗る。今日は世界文化社のDさん、S山さんが家に食事に来るのだが、どうせなら植木 さんと談之助さんも招待しちまおうというのである。

 バスの中の“講談師と一緒に新選組ゆかりの場所を回ろう”バスツアーや、山手通りの地下高速道路建設工事のことなどを談之助さんと茶化しながら。植木さんと、某編集者が某女流作家に対して発したという、高慢きわまる台詞の話。植木さん“およそ世に新聞社ほど執筆者に対し傲慢な態度をとるところはありませんが、(件の編集者氏の態度は)それに比べてもはるかに凌駕するスゴいもんですな”と。新聞社の人間が他業種を見下す態度に関しては、渡部昇一も『文科の時代』の中で呆れていた。私の知る新聞社の人たちがみな、紳士ばかりなのは幸運のなせるものなのか。もっと も、確かに若い頃はひどい態度をとられたこともあり。

 8時ギリギリに新中野着。ちょうどワインを開けようとしているところであった。S山さんはメガネを新調し、シャツも変えていて、別人のよう。母は大食漢が今日は揃うというので張り切っている。知人の自家製スモークサーモンから始まって、鴨のオレンジソース、それから昨日の牛の残りのバタ焼き、野菜のスープ煮、豆のサラダと続き、それから本日のメインディッシュのメンチカツレツ。食べながらの話題も、六本木ヒルズの事故から河内真子、昭和のいる・こいるの漫才からヘルマン・ゲーリ ングの自殺法に到るまで多岐をきわめ、母、
「みんなよく食べるけどよくいろんなことも知っているわねえ」
 と感心して(呆れて?)いた。酒も、納戸にあるさまざまなものをいくつか放出。かなり以前に買った紹興酒、植木さんに言わせると珍しいレーベルだそうで、空いたビンを持ち帰っていいですか、と訊いていた。私はDさんの持ってきてくれた樽酒の久保田をちびちび舐めながら。大根の葉っぱとアブラゲの煮物が出たが、これが私的には本日の絶品。あとはおむすび。10時半近くまでワイワイと飲んで騒いで、もっとダラダラしたかったが、渋谷と違って中野は交通の便がいまいちなため、そこらでお開きを宣言。

 いい気分でベッドに。K子がゆまに書房の次回刊行本に入れるマンガのツッコミ試案を見せてくるのをチェックする。こういう復刻作業もまた、楽しい。大衆出版文化に関しては、一〇〇冊の研究書を出すより、そのもの一冊を復刻する方が価値がある行為だと信ずる。横田順彌さんからも、“古書研究はまず復刻紹介から”と言われている。そういうものを読む楽しさ(自分が楽しんだのと同じ楽しみ)を読者に知らしめること、これが大事なのだ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa