裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

月曜日

アーリマンたらギッチョンチョンでパイのパイのパイ

 アフラ・マズダでフライフライフライ。朝、7時20分起床。ここの仕事場で迎える最後の朝。朝食は昨日、サントクで買っておいた肉まんをふかして。コーヒーを入れるが、最後に残った豆を使ったので、粉の分量が少なくて薄い。肉まんもやはり中村屋とかのものに比べるとイマイチ。ここらは新中野の限界か。読売新聞、昨日はま だ間違えてコッチの新聞受けにも入っていたが、今日は産経のみ。

 早めにメールチェックなどして、書きかけの『クルー』原稿アゲ、メール。引っ越し業者が来るという10時前に風呂に入ろうと思っていたら、早くも9時半に来てしまったので風呂が無駄になった。いつも来てくれているクリーニング屋のおじさんに洗濯物渡すと共に、来週から新中野までお願いします、と地図を書いて渡す。考えてみればこのおじさん、結婚した頃からずっとウチに通ってきてくれている。もう15 年になるのか?

 引っ越しのサカイ、要員は三人。全引っ越しではないので、プロの彼らにとっては極めて簡単な仕事らしい。一人は何と女の子であった。顔は可愛いが、いかにもガテン仕事が得意な感じのがっしりとした体格。K子が首をひねって“なんでこんなキツい仕事しているのに痩せないのかしら”と言った(ひどいね)。リーダーはちょっと関西弁の入った(勉強しまっせ、のCMソングに合わせたわけではあるまいが)あンちゃんで、今時の若者らしく応対も如才ないが、そういうときの口調と言うのが、今の若い世代というのは、テレビ局員だろうと飲食業だろうと教育者だろうとマンガ家だろうと、みな、ほぼ同一に聞こえる。何かマニュアルがあるのか、と思えるほど。

 衣装タンスなどの大きなものは、この際全部処分。部屋が見るみるガランとなる。大体積み込み終わったところで、先に猫を連れてタクシーで新中野の方へ向かう。どういうシステムなのか、向こうは一旦荷物を積み込んで会社に行き、そこで別の2トン車に積み替えて(渋谷に来たのは4トン車)運んでくるという。猫を専用バッグに 入れて行ったが、律儀にあまり車の中では鳴かない。

 母の部屋の電気ピアノを組み立てる。果たしてちゃんと弾かれることがあるであろうか。昼を早めにすましてしまおう、と、炊いたご飯を酢飯にし、ノリとシソと繊切キュウリと、サントクで買ったマグロのトロで手巻き寿司。サントクのマグロは紀ノ国屋や西武で売っているものの三分の一の値段だが、脂が乗っていて極めて旨し。ノ リがパリパリしていて、香ばしくて、甘みがあって実に結構。

 テレビのニュースで浅田農産会長自殺の報あり、驚く。読売朝刊にはまだ載っていなかった。おとついのテレビや新聞で、記者会見席で顔を覆っていた、まさに進退窮まった様子が印象に残っていたがはたして。奥さんが一緒に、というのが、前時代的で気の毒である。私らから下の世代では、まず夫の罪を妻もかぶって、というつぐない方はしないであろう。……前時代的と言ったが、確かに前時代においてはこれが最も責任ある当主の身の処し方である。京都府の告発も、マスコミの会社叩きも、これでだいぶ矛先が鈍ることであろう。お家を守るための自裁として、彼の死は見事に効を奏した。まして、この会社は彼が一代でここまでにしたものだ。一心同体である会社を窮地に陥れた罪を自ら償って命を断つのは、非常に動機として“解りやすい”。
「そんな死は現代においては何の意味もない。真相究明を阻む、自分勝手で迷惑な死でしかない。きちんと法の裁きを受けるべきだ」
 と知性あるマスコミは言うだろうが、それでは事件が起こってからの一連のマスコミ報道は、果たして前時代的な制裁ではなかったと胸を張って言えるのか。まだ法の裁きが下る前に、非道極まる悪商人、という形で連夜、この会長親子を追いかけてはいなかったか。いや、マスコミもまた、悪いとは言えない。そのような形の報道を喜んで見て、鶏インフルエンザといったいわば天災の被害に、誰か憎しみをぶつけられる悪役を捜していたのは誰でもない、我々一般大衆である。案外、家庭でこのニュースを見た人々は、一抹の後味の悪さと共に、一方で一種の感動も覚えたのではあるまいか。責任者の自決は、まだまだ、今の社会においてもある程度の効果があるのである。われわれはいまだ(そしてたぶん、ずっと)前時代に片足を突っ込んだまま、生 き続けているのである。

 1時、トラックが来る。庭から荷物を搬入。受け入れようと思ってベランダの戸を開けたとたんに、ベルが鳴って“ドアが、あいて、イマス”と機械が女性の声でしゃべる。セコムを切るのをうっかり忘れて(と、いうか、庭の扉のセコムを解除するのは管理人さんに頼まないといけないので、その時点でこっちのも解除されているとばかり思って)いた。係が飛んできたが、私でなく、管理人さんが謝ってくれていたよ うであった。

 荷解きにしばし没頭。もっとも、自分の部屋の方はあまり勝手にやるとK子に叱られるので、あまり用事がない。母の部屋の方に運ばれた荷物を中心に。そっちはすぐ終わり、こちらはたまっている仕事を片付けに渋谷へ帰る。全てが運び出された寝室の広さ(八畳プラス板の間)に驚く。ここはリビングと共に、五月くらいに大改装し て本格的仕事場にする予定。

 Yくんから電話。このあいだ相談に乗ってあげた件、残念ながらダメであったとのこと。うーむ、話を聞くに、うまくいかなかった方がよかったか、というような感じではあれど。大きな職場に勤めるものの難しさは私にはよくわからない。西手新九郎ながら、一緒に相談に乗ったササキバラゴウ氏から別件でメール。そのことでも少しやりとり。あと、怪談映画研究家の山田誠二氏からひとつ、依頼ごとのメール。面白そうな感じの一件だが、以前、別口で来た似たような面白そうな一件は、結局あまり面白くないままに終わってしまった。今度はも少し面白くなってもらいたい。

 原稿書きに没頭。が、雑用やはり多くなかなか進まぬうち、5時半になってしまい家を出る。アニドウの定期上映会。会場につく時間を読み間違えて、半の開場のところを6時に着いてしまう。しばらく待たせていただく。スタッフのKさん、いま名古屋勤務だそうで、この上映会のたびに上京しているらしい。獅篭の高座も見ていると か。懸案の名古屋オフ、ぜひやりたいものである。

 珍しくなみき氏の入りが遅れたが、銀だこの包み持って、変わりなく到着。Kさんが“もう半だから、急いで開場を”と言うのに、
「いいんだよ、何もそんな急がなくたって。アニメの上映だよ、たかが。遅れたって誰も死にも怪我しもしねえンだから」
 と、変わらぬなみき節。申込書を書いているあいだも始終、何か口走っている。今日はマクラレン(ノーマン・マクラレンのドキュメンタリー番組『目で聞き、耳で見 る』)だから、みんなよく寝られるよ、などと私に言う。

 客席で、いつもここで会う常連のOさん(植木氏の知り合い)と話す。この『目で聞き〜』は杉本五郎がマクラレンに“自作を進呈した返礼としてマクラレンが送ってくれたフィルム”である、と解説のプリントにある。Oさん、“自作ってどんな作品なんですかね?”“えーと、確かロリっぽい作品だと聞いた記憶がありますが”と。あと、10日にインタビューを受ける朝日新聞のO原さんとも挨拶。植木不等式さんも来たが、O原さんと植木さんはお互い顔を知らないらしく、てっきり知っていると 思って紹介しそこねた。植木さんとはと学会東京大会の実務ばなし。

 上映、いつものようにB級予告編から。サイレントもの『キコ・ザ・カンガルー』からベティ・ブープの中でも特にエロ度の高い(ロリ向けシーンもある)『ベティの運命判断』、アブ・アイワークスの“悪いところ”満載の『馬鹿のシモン』などいろいろ。その後長めの休息。なみき氏、途中で用事のあった人を客席から連れだし、そ の人が“でも、時間大丈夫?”と心配するのに
「いいんですよ、この上映会はボクがやっているんだから、ボクが戻らなければ始まらないんですから!」
 と。俊藤浩滋が潮健児に言った台詞(撮影前日、潮健児を連れて飲み歩く俊藤プロデューサーに“あの、私、明日撮影なんですが”と言うと、“誰が作ってる映画だと思うとる! ワシがいなきゃ撮影は始まらん!”と豪語したそうな)を思い出した。 だいぶスケールは小さいが。

 なんとか無事になみき氏の用事も終わり、後半開始。約一時間の長丁場上映だが、なみき氏の例によっての前説で、杉本五郎が(一応、古書集めで師匠々々と奉っている関係上、第三者向けでの文章で敬称は抜かせていただく)マクラレンに送った作品というのは、やはりちょっとアブないものだと確認。なみき氏、とにかくこの上映は退屈で眠くなる、と繰り返していたが、隠れマクラレンオタクの私としては、初期作品や、『隣人』の出演者による撮影当時の思い出ばなし(空中に飛び上がったシーンの撮影で、もう一人が心臓病の発作を起こし、撮影が一週間中断された、という、冗 談ぽいエピソードあり)などが聞けて退屈しなかった。

 終わって出て、例によって植木氏、O氏とメシ。今日はK子は家でS山さんたちと引っ越し祝いの食事会である。気を使うことなく、自由にこちらはこちらで人とつきあえる。この開放感。いつものベトナム&広東料理店『裕香園』。一階は何かの会合の流れなのか満員なので、二階に上げられる。ここの二階というのは初めて上がったのだが、昭和レトロ風な作りが残っていて、案外いい雰囲気。ただし、暖房がまだ入れ立てなので寒い。ビールは飛ばして、紹興酒をヌル燗にしてもらい、これで乾杯。料理はエビ餅、牛の串焼き、ベトナム風春巻など。頼んだことがないメニューを、と“牛の角切り炒め”とかいうのを頼んだが、これはこの店には珍しくハズレ。だいたい角切りでなく薄切り肉をトマトと炒めてみました、みたいなもので、味も食感も、何か中途半端。まだ正式な料理になる以前の未熟児といった感じ。口直しに頼んだ豚 のスペアリブはやはりうまし。

 雑談いろいろ。中国の連環画のこととか。私の引っ越しに関して、姓名判断では俊の字が名前の上につく人は母との相性が悪いはずだが、と植木氏、と学会とも思えぬコトバを。いや、私は三十くらいまで、母とはもう、近親憎悪を絵に描いたような間柄でしたよ、と話す。O氏は今年厄年で(年上だと思っていたら四つも年下だった)お参りに行ってきたとか。私の厄落としは浦山明俊氏と一緒に湯島天神であった、と思い出す。暖房きいてきてから改めてビールも頼み、結局缶ビール小カン二本、あと三人(と、いってもほとんど植木氏と二人)で紹興酒二本をカラにした。帰宅、12時ジャスト。寝室がやたら寒い。K子に訊いたらエアコンが壊れているとのこと。そんな中で、初めて新居のベッドに潜り込む。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa