19日
金曜日
俊寛芸
はい、では俊寛が、自分だけ帰れないとわかったときの表情をやります。一瞬だから見逃さないように……。朝如例7時起床、入浴、7時35分に朝食のチャイム。これは電話の子機を食堂から鳴らすのだが、その電話機が、このあいだ『花と蛇』で使われていたものと同じで、あの映画ではこの音が、静子の夫を追いつめる音として効果的に使われていた。私はあの音を聞くと反射的に、あ、食事か、と思ってしまうのである。朝食、これも例ノ如シで野菜サラダ、スープ一口、牛乳入りコーヒー、酸っぱいライ麦パン。母に絵をかけるフックを壁に取り付けるよう頼まれたが、木の壁用 のもので、コンクリ壁には歯が立たず。釘がみんな曲がってしまう。
8時半に家を出て36分のバス。慣れたので共通乗車カード、3000円のを購入する。新宿で乗り継ぎ、渋谷に9時45分着。京王バスの運転手さん、田村正和の顔にキューピー人形の瞳を乗っけたような、ハンサムで可愛くてヘン、といった顔で、乗っている間中(運転席の隣だったので)、気になって弱った。私には、面白い顔は つい、まじまじと眺めてしまう癖があるのだ。
仕事場でまず本の山を片づけ、明日のと学会例会に持っていく資料を整理。ひとつどうしても見つからないものあり。やはり早めに書庫整理をしなくては。そのあと、原稿にかかる。書き下ろし本の章立てだが、今回は三冊一辺に書き下ろし作業を進めるという暴挙(相互の内容に通底するものを持たせる)を計画しているので、なかなか進まず。
途中で放擲して日記つけ。映画評とか、数日前のものでも読み返してみると“へええ、こんなこと感じたのか”などと思えるのがあるのは面白い。『花と蛇』に反発を感じたのは、巨顔の女性に本能的な脅威を感じる性癖(嫌悪とか恐怖ではない。あくまで脅威なのである)の持ち主として、杉本彩の顔の大きさに驚愕・辟易したためではないかと自己分析。野村宏伸の倍はあるんじゃないかという大きさ(&奥行き)であった。
昼は手製の時代劇傑作場面ビデオなどのんびり見ながら弁当。お菜は蕗と牛肉の佃煮。扶桑社の本の編集をやってくれるT氏から電話、打ち合わせ日取り、こちらの提案した24日では都合悪いとのこと、別の日に変更し、その旨を植木、談之助両氏に メール。
食後の腹ごなしに出て周辺を散歩、帰りに東急ハンズで思い切ってついにカバンを買う。吉田カバンの黒の布製で、弁当箱をタテにしないでも入れられること、チャックが左右双方から開けられること、あまり重くないこと、余計なボタンなどがいくつもついていないこと、などなどを考慮して、ベストとはいかないがまずベターなものを購入。ただしお値段もちょっとよかった。その他、母に頼まれたハンガー類、コン クリ壁用のフックなどを買う。
5時、新宿。まずは武蔵野館一回チケット売り場にて、昨日見逃した『ラブ・アクチュアリー』(武蔵野館では今日までの上映)のチケットを購入、三階の上映館に行き、整理券と交換。このシステムはなかなかいい。上映開始1時間前で13番。それから紀伊国屋書店で、書評用の本を購入。踊り場に『水の中のホームベース』のポスターが貼ってあったが、いつもこの劇場にかかる大劇団の、金のかかったポスターに比べ、チラシをただ拡大しただけのものというのが、いかにもこの劇団らしい。
6時10分前、武蔵野館にとって返す。受付にいたお姉さんが“このあいだはどうも”と声をかけてきたので、一瞬とまどったが、“中野で『ヒマラヤ無宿』をご一緒したNです”と言われて、アアッ、と驚く。普通はこういうときに発する声はせいぜい“アア”であるが、“ッ”がついたのは、『ラブ・アクチュアリー』と『ヒマラヤ無宿』の二つの映画の間の差がすさまじいものであったため、結びついたときの意外 性がやたら高かったのである。
入りは最終日の最終回で7割。カップル度より女性連れ度やたら高し。もっとも、100人程度しか席がない小さな映画館である。これなら満席立ち見にもなるわな。映画には大満足。アラン・リックマン、コリン・ファース、エマ・トンプソン、リーアム・ニーソンといった英国出身の芸達者な俳優たちの演技合戦に圧倒、と言いたいところだが、名優たち全員揃って、11歳のトーマス・サングスター少年の存在感に見事に食われてしまった感あり。やはり映画ではコドモにかなわぬ。もちろん、11歳でこの演技力かよ、と、ジャニ系アイドルの学芸会みたいなドラマしか普段見られ ない身としてはイギリスの俳優陣の奥深さに呆れるのではあるが。
呆れると言えばヘソまで美人なことに呆れたキーラ・ナイトレイ以外、美人らしい美人が一人もキャスティングされていないのがいかにも英国映画である。ヒュー・グラントに一目惚れさせてしまう太めお姉ちゃんのマルティン・マカッチョン、超美形メガネくんのロドリゴ・サントロに惚れられる地味系キャリア・ウーマン、ローラ・リニー、上司のアラン・リックマンを誘惑する猫科系小悪魔ハイケ・マカッシュ、ポルトガル労働者層系の男顔ルシア・モニス、貧相系のジョアンナ・ペイジなど、いずれも魅力的ではあるが、美女というタイプではない。エマ・トンプソンだって知的ではあるが美人かというとちょっと違うし。ところが、彼女たちがみんな揃って、映画の終わりには美しく輝いているように見えてしまう。脚本の妙であろう。ハリウッドの映画というのは、美しい女優を最後まで美しく撮るくらいしか能がない。演技とストーリィで地味な顔の女優を美しくしてしまうなんて芸はイギリス映画にしか出来ない。あの皮肉屋の立川談之助が自分の映画評サイトでほぼパーフェクトに近い絶賛を しているのも宜なるかな。
http://www.innoce.com/baka/r_movie/
サブ・エピソードとしてはセックス映画のスタンド・イン同士で知り合ったシャイな男女(ジョアンナ・ペイジと爆笑問題の田中に似ているマーティン・フリーマン)が面白かった。仕事が仕事だからお互い裸で舐め会ったりしているのに、本当のデイトの後のキスを、実に恥ずかしそうにするのである。また、場面ではコリン・ファースのプロポーズシーンが、いかにもイギリス人の映画らしく、ポルトガル人を田舎者扱いしていて笑えるし、ギャグではヒュー・グラントがそもそも英国首相の役をつとめるというのが一番のギャグだろう。ダンスのシーンの馬鹿馬鹿しさに爆笑。
……しかし、日本人というのは映画のストーリィを“どれだけリアルか”でしか量れない人間が多い。『話の特集』の矢崎泰久が『ラスト・エンペラー』を、“コオロギの寿命が何年だと思っているんだ”とコキおろしているのに呆れたことがある。後でこの映画の感想を書きつけている個人サイトをいくつか検索してみたら、やれ英国首相が自分の秘書の住所も調べられないのはおかしいとか、空港の乗客チェックをあんな子供がスリ抜けられるわけがないとかという野暮なツッコミを入れている御仁がいたのに、ああ、日本じゃまだまだこういうコメディは作れないな、と思った。その人が唯一この映画で認めているのが、ヒュー・グラントの英国首相が、アメリカ大統領との共同会見で(自分の惚れた女に大統領がチョッカイを出したことにキレて)アメリカをコキおろすシーン。反米精神だけは買いたいというところなんだろうが、そ れこそ一番、リアルでない設定ではないかね。
見終わってNさんと名刺交換、出て帰宅。額縁かけのフックをとりつける。母が、“わたしサントク(マンションから通りに出てすぐのところのスーパー)の場所、どこで曲がればいいかわかんなくなっちゃった”と言い出したので“ええっ”と驚く。毎日言っている店の場所がわからなくなるとは、ついにボケが来たか、と思ったので ある。母は、なんで私がそんなに驚くのか、と不審な表情をしていたが、
「あ、間違った、サントクじゃないわ、サンペイ々々」
と、笑い出した。こないだ連れていった新宿の三平ストアのことだった。なアんだである。ホッ、と息をつくが、一瞬、この先の介護の様子とかが頭に浮かんだことで あった。サンペイとサントク間違えるのもナニであるが。
夕食、9時。今日は私の家の冷凍庫にあった羊肉とタマネギ、ナスを炒めてジンギスカン。母はジンギスカンとかが嫌いなので、ジンギスカンを家で食べるのも、当分これでおしまいになる。ご飯にはカツブシ、ネギみじん、卵黄にもみ海苔を混ぜ合わせたものをかけて、大鵬飯。たぶん、今食べている料理の中で、もっとも昔から私の口にしているもののひとつ。