24日
水曜日
イケメン六臂
ハンサムくん大活躍。朝6時ころ、人の話し声で目が覚める。寝室の窓の外の、マンションの通路を通る人の声。どうも、この時間に毎朝通勤であるらしい。私みたいに、これまでロクに通勤経験のないモノは、8時半くらいに毎日家を出る行為を“いやあ、私も毎朝早くに仕事場にこうやって通うなんて、勤勉だなあ”などと自画自賛しているが、本当のサラリーマン、サラリーウーマン諸氏諸嬢はそんな優雅な通勤どころでない、ハードな日常なのであろう。大変であるなあ、と思う。……とはいえ、まだ寝ている人もいる時間なのだから、マンション内での高声での会話はご遠慮願い たいもの。
寝床でエンターブレイン・刊『フレッド・ブラッシー自伝』(“クラッシー”・フレディー・ブラッシー&キース・エリオット・グリーンバーグ)を読む。いやあ、これは面白い。私がこういうアメリカン・エンタテインメント業界に興味があるせいもあるかもしれないが、いわゆる“プロ”の語る言葉というものは、やはり違う。言うなればこれは、“自分がその場において何をなすべき役割を背負っているか、常にきちんと心得ていた男の自伝”なのである。自分のキャラクターを世間に熟知させるにはどうしたらいいのか。ヒールとして観客に憎まれ、罵声を浴び続けるにはどうしたらいいのか。まさにブラッシーは、ゲッベルス以来の大衆煽動の天才だった。激高したファン(対戦相手の)にナイフで刺され、片目を失明同様にさせられ、硫酸を浴びせられた経験を、彼は実に誇らかに語る。ある試合で、イタリア系移民のヒーローであったブルーノ・サンマルチノを反則技(キン蹴り)で破り、控室に戻るとき、彼は間違えてサンマルチノの控室に入ってしまう。そこには担架で運ばれたサンマルチノに付き添って、銃を持ったマフィアのギャングがいた。そのとき、ブラッシーはどうしたか?
「私はまだキャラクターを演じていたので、こう大声を上げた。“あのザマを見ろ!典型的なイタ公の芝居だ! 首を打ったのにキンタマを押さえてやがるぜ!”」
カッとしたマフィアが銃をブラッシーに向ける。そのとき、倒れていたサンマルチノがその銃を押さえて(ブラッシーに目配せをしつつ)、こう言った。
「言わせておけ、次は俺がリングであいつを葬ってやる」
……ブラッシーがそんな状況で演技を続けられたのは、相手(サンマルチノ)もプロだ、という信頼の結果だったわけである。まさに命をかけた演技、だ。どんな名優 でもこんな経験はしていないだろう。
ところどころにザ・デストロイヤーやアーノルド・スコーラン、アイアン・シークやニコライ(日本ではニコリと表記していたが)・ボルコフ、さらにはキラー・カーン(小沢正志)といった、当時のプロ仲間たちの証言が入っていて、これも嬉しい。 だから、ミスター高橋のこういう証言にはちょっとどうかな、と思う。
「1962年のある日、テレビでフレディーの凶暴なファイトを見てショックで亡くなった日本人の話をしていたら、私にこう言いました。“なんと言われようとかまわないが、その事件に対しては心が痛んでいるんだ”と。彼の顔を見ると、目から涙が伝っていましたよ」
……この事件に関する、前書きでのブラッシー自身の言及はこうである。
「最初に日本へ行った時には、テレビで放映された私のファイトを見て25名が心臓発作で死んだという。また、いままでに“クラッシー”・フレディー・ブラッシーが原因で92名もの人が命を落としたという。それを聞くたびに私はがっかりした。なぜなら、その記録を100名に伸ばしたかったからだ」
こうでなくっちゃいけない。
7時、入浴。7時23分、朝食。モモさんにおとついもらったナシはK子の嫌いな晩三吉だったので、母は刻んでサラダに混ぜていた。私はそのままでもいただく。テレ朝のモーニングショーはずっと毎日、いかりや長介を悼む芸能界の声、みたいな特集をやっている。いかになんでも、ちょっと引き延ばしすぎ。8時、部屋に戻って着替え、20分のバスに乗り込んで新宿。今日はちょっと渋谷行き京王バスとの接続が ギリギリで、走って乗り込む。
仕事場着。雨もよいで調子悪し。メールチェック、今日のチャイナハウスのことなどを小栗由加さんとベギちゃんにメール。本当は今日は例の『CASSHERN』の試写が7時からあるのだが、ぶつかってしまった。試写会は普通は昼の時間にあるので、仕事で行く以外はあまり行けず、たまに夜にやるとコレ。まあ、こっちは金払っ て観て、しっかり言うべきことは言うつもり。
2時に講談社FRIDAYのTさんと打ち合わせの予定だったが、都合でこれが4時に延び、さらに追っかけて電話で5時に延びる。いかりや長介の追悼記事をやっていて、写真が届くのが遅れているらしい。芸能人の死が、回り回ってこちらの予定に影響してくるというのが面白い。弁当を食べ(昨日の肉豆腐の残り)、郵便局に行き通帳のハンコの変更をする。終わって帰ったところに電話で、住所変更の手続きを忘 れていたということで、また行くハメになる。
コミック・マーケット運営事務局の岩田次夫氏、というより一般にはコミケカタログのイワエモン氏死去の報があちこちから入る。享年50歳。コミケという文化を日本に定着させた実質的な人物である。ポルノ規制、オタク批判などでコミケ運営に対しさまざまな口出しをしてくる文化人たちに、常に実際の現場を統括している者の立場から、きちんと論理的に対応をしていた姿が印象的だった。たまたま、今読んでい る『フレッド・ブラッシー自伝』に、こういう言葉がある。
「人間はときどき運命的な職業に出会える。私の場合、それは、レスラーという職業だった。いつの時代でもこの業界のためになりたかった。それは自分の身と同じくらいにこの業界が好きだからだ」
……“レスラー”の部分を“コミックマーケット運営”という単語に変えれば、それを岩田氏の言葉と言って疑う者はいないのではないだろうか。早すぎる死に暗然た る気持ちになる。
日テレ『メレンゲの気持ち』から電話。出演料の件だったが、つけ加えて、視聴率が大変よかったとのこと。あの番組のスタッフ、神保町での食事のときに、途中から先週放送分の時間視聴率表が出たと言って、みんなで“○○さんが出たあたりから急に上がったね”“××のコーナーは今回はよくない”など、分刻みでチェックしていた。私の出演時に下がったりしたらイヤだな、と思っていたので、いい結果が出たこ とにホッとする。
4時まで雑用。5時、時間割でやっとTくんと打ち合わせ。スペシャル版での特集の件だが、ネット配信の日取りがやっと決定したとのこと。とはいえ、これがまたズレ込むことにはならないか? と、ちょっと不安もあり。スケジュールのみとりあえず入れて、来月アタマにでもスカイバナナに直接出向いて日取りの最終確認を、ということを話す。帰宅して、すぐその旨をスカイバナナのWAYAさんにメール。折り返しという感じで電話返ってきた。日取り情報にちょっとズレがあったとのこと。それと関連して、新企画の件。大きく進んでいるのはいいが、こっちにとっては寝耳に水の話あり。あわてて、チョッとソレは待ってください、とストップをかけておく。話が進みすぎるのもこれで困ったものである。近くその件で打ち合わせを、と言って 切る。いろいろ混乱してきた。
7時、家を出て、タクシーで幡ヶ谷へ。初老の運転手さん、最近は住宅街を走っていて、ふらふらと酔っぱらった足取りで飛び出してくる主婦が多いと話してくれる。 あわててストップして、介抱するが、アルコールの匂いがまったくない。
「……シャブやってるんですよねえ。青山や六本木あたりで乗ってくる若い娘にも、多くなりました」
とのこと。一度、一見してヤクザとわかる男が乗ってきたが、これもシャブでワケがわからなくなっており、いきなり後ろから頭をこづかれ、怖いから黙っていると
「何故だまっているんだ、オマエはいきなり殴られてくやしくないのか、それでも人間か。人間の尊厳というものを何だと思っているんだ!」
と、殴った本人から説教を食い、ほとほと困った経験があるという。
チャイナハウス、S山さんが先に来て待っていた。石橋マスターから『近くへ行きたい』にサイン頼まれて恐縮。なんとガクブチ付きで、ピアノの上に飾られていた。二人でビール飲みつつ待つほどもなく、開田夫妻と一緒にベギちゃんこと牧沙織、小栗由加の女優陣も到着。さっそく炙り鶏からいつものチャイナの饗宴始まる。やがてK子、それからマスターの奥様、京子さん(みみんあい)も来られる。こないだ出演したFMラジオに『近くへ行きたい』を持っていったら、女性ディレクターが“ソルボンヌK子”という名前をやたら気に入り、自分も似たようなペンネームをつける、 と言っていたそうな。
料理はタラの芽とエビすり身団子の炒め物、イノシシ肉と片栗の炒め物、ノレソレの卵とじ、鹿肉のナッツまぶし揚げなど、どれも春らしいメニュー。もちろん、牧と小栗はいちいち写メールをして、“わーっ、これ何ですかーっ”と声をあげていた。イノシシが出て鹿が出て、あとは蝶の肉が出れば……と、もう何百回この店で常連さんの口から発されたかわからぬギャグを。もっとも、サナギなら出かねないが。
今回のチャイナは、牧沙織妊娠記念会で、彼女にここの店の特製スープを飲ませよう、という企画であった。で、電話でもその旨をマスターに伝えておいたのだが、期待に違わぬ凄いものが出る。ヘビ二匹と胎盤を煮込んだスープで、胎盤はふわふわとスポンジのような歯触り、ヘビの方はもう、完全にヘビ(尻尾の部分だが、ちゃんと二本ある!)。牧、大喜びでヘビをくわえた写真を撮ってもらっていた。S山さんが蟻酒々々というので三杯くらいいき、なんだかべろんろんとなった。こないだのと学会ではそんなに酔わなかったのだが、やはり緊張感か? 京子さんのジャズライブもあり、酒と料理と音楽に陶然。唯一、私が岩田さんの死を告げると、開田さんも牧さ んもえっと驚き、絶句。あやさん、“いかりや長介以上のショック”と。
牧ちゃんから事前に“おぐりは虫系は全般がダメ”と言われていたが(まあ、虫系大好きな女の子というのはあまりいない)が、我々があまり美味そうに蟻酒を飲んでいたせいか、貰ってひとくち飲んでいた。こういうところがいい性格である。牧ちゃんは自分のお腹を超音波映像で見てみると、赤ん坊が口をパクパクさせていたとのこと。火星の人面岩みたいだな、と感想を述べておく(あの人面岩の口が開いたり閉じたりしている、という記事が『ワールド・ウィークリー・ニュース』に載ったことがあるんである)。とりあえず、牧沙織の妊娠日記はここ。
http://www.plays.jp/diary/begi/index.html?7414
さらに小栗由加のサイトはここ。
http://www.uwanosora.com/oguri/
最後に、いつものリーメンに加え、別の白い麺を使った牛肉麺(ニューローメン)というのも出る。ただし、そのときわたしは廊下の席の方で京子さんと話しており、ひとすすり啜っただけで、自席に戻ったときには、もうみんなに啜られ終わって影も形も残っておらず。てっきり顔を見せると思っていた植木さんは来ず。どうしたんだろうとみんなで話す。帰宅、蟻酒の香りが口からも体からもプンプンで、いい香りではあるが明日が心配。