裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

金曜日

あからさま侍捕物帖

 正体不明の若さま侍と違って、全部自分のことをあからさまに語ってしまう主人公のお話。朝、ベッドでおとつい読了した『フレッド・ブラッシー自伝』、気に入ったところを再読。彼がどういうレスラーであったかという本領は、同業のディック・ガ ンケルの次の証言に明らかであろう。
「(ブラッシーは)非常に鋭い目で睨み、いまにも対戦相手を殺しそうな雰囲気を漂わせていたのだが技のかけ方は非常に甘かった。フレディーのヘッドロックはとても緩いので、簡単に抜けることができた。それでも彼の表情や身体の動きは非常に激しいので、見ている人はもうすぐアタマが割れるのではないかと心配してしまうんだ」

 こういうブラッシーが、アントニオ猪木を“桁外れのカリスマ”と表現しつつも、好んではいないのは当然だろう。彼はすぐにプロレスをシュート(真剣勝負)にしてしまう。ブラッシーにとって猪木はエンタテインメントの何たるかを心得ていない素人の坊やなのだ。猪木−アリ戦でレスラーでありながらアリのサイドについたブラッシーは、当然、この試合をワーク・ファイト(基本ストーリィに沿って演出された試合)だと心得、ヒールらしく猪木側を挑発した。自分たちの役割を忠実に演じたわけ である。ところが、
「猪木側の人間は本気で頭にきていたようだ。シニア(この試合をプロモートしたビンス・マクマホン・シニア)が私をヒールの役割としてこのポジションに置いた意味を理解していなかったのだ。私がアリの側にいることによって、プロレス界を裏切ったと思ったという声も聞いた(中略)裏切ったわけでもなんでもない。むしろ、この試合によって新たなファンの獲得も充分に可能だし、もともと猪木のこともあまり好きではないし、まさに一石二鳥というわけだ。だが、新日本のレスラーたちはまったくこの考えを理解してくれる様子はなかった。彼らにとって猪木はメシア(救世主)であり、私は忌むべき悪魔なのだ」
 もちろん、もともとルールの異なるボクシングとプロレスで、まともな試合が成立するわけがない。猪木−アリ戦は世紀の凡戦となり、お互い、それ以降の格闘家生活 に大きな汚点を残して終わった。
「試合後、私は猪木に対して最低限のリスペクトを払おうと思い、控室へと歩を進めた。だが、新日本のグリーン・ボーイたちは頑なに控室の扉をガードし、中に入れさせようとはしなかった。どうやら、猪木のクソ野郎は完全に彼らの洗脳に成功していたようだ。だが、私がボクサーの側についたこと以上に、あの夜のうちに彼がこの業界をどれだけ傷つけたか理解していたのだろうか」
 ……どこの世界でも、“これで食っていく”ことを基本理念としているプロと、そのことで“プライドを保持する”ことを第一義としているカリスマとはとことん、食い違う。ブラッシーの“プロ”としての徹底した思想のカッコよさに、読みながら何 度も痺れてたまらなかった。

 ところでこの本、訳も基本的に非常にこなれて読みやすいにも関わらず、どこにも翻訳者の名前がない。監修には『アメリカンプロレス観戦ガイド』などの著書がある阿部タケシ氏があたっているので、レスラーの名前の表記などには信用がおけるとは思われるが、例えば日本で“フレッド”として知られるブラッシーの名前(本名)が本書の地の文では全て“フレディー”となっており、写真図版で入っているあちらのプロレス雑誌などでも、若い頃のものを除いて、どれも“フレディー”表記であること、さらに彼が髪を“金髪に染めた”という描写と、日本での彼の通り名である“銀髪鬼”との食い違いなどは、やはり訳者がその責任で、あとがき等で読者に説明してほしいと思う。また別に傷というほどの誤訳ではないが、レスラーのトー・ジョンソンの出演した映画『ブラック・シープ』という表記がある。正しくはSEEPではなくSLEEPで、『黒い眠り』と言うタイトルでテレビ放映もされていたはずである(高校生のとき、昼間に見た記憶があるぞ)。ブラック・スリープというのは試写を 甦らせるインドの秘薬の名前であった。

 7時起床、入浴して朝食。このごろ、朝、K子は猫を食堂に連れてくる。猫を抱いて優雅に食事の準備が出来た食堂に現れるなどと聞くと、人は何処のお嬢さまかと思うだろうが。ニュースで下川辰平氏死去の報。72歳だが、92歳の母堂が葬儀に出ている様が放送されたのに驚く。これからはこういう光景も増えるだろう。下川氏は最後に見たのが『ぶらり途中下車』の旅人役だった。つい、走り出して、“いやあ、『太陽にほえろ!』の頃の癖がまだ抜けなくて……”と笑っていたのだが。下川氏くらいのベテランなら役柄が固定しても仕事は来るが、又野誠二あたりだと、他に使い道がなかったのかも。それにしても、このところ訃報続く。倒れたチョーさんとは別のチョーさんが死んだかと思ったらまた別のチョーさんが亡くなったわけである。

 他に、劇画界の草分けである佐藤まさあき氏も今月11日に亡くなっている。
http://www.comicpark.net/
 今度文庫化される『愛のトンデモ本』の中の『堕靡泥の星の遺書』評が追悼になってしまうのだなあ。死去の件を書き加えなくては。また、それに先立つ9日にはゴー ルデンハーフのルナもひっそりと亡くなっていた。
http://music.goo.ne.jp/contents/news/NMS20040309-s-19/
 これも、今度の『トンデモ本の世界S』に、尼さんマニア本『アンチクライスト』のことを取り上げているので、追悼の言葉を添えておくべきか。作品は『修道女ルナ の告白』なのであるが。

 朝食、いつもの如くナッツパンとサラダ。食べて弁当を受け取り、自室に戻って仕度して出る。バス、8時22分のものが来ず、しばらく待たされる。やっと来たのに乗ったら、客がそのことを会話していたので事情がわかった。接触事故があり、車庫に戻ってしまったらしい。電車と違って、事故情報などが待っている客に伝わらない のがバスの欠点である。

 9時20分仕事場入り、しばらく校正チェックやメール返信作業など。昨日のと学会の入会申請のことにつき、会員のKさんから三度も電話あり。12時半、弁当。コロッケとサバの粕漬け。大阪のオタクアミーゴス実行委員会(AIW)から、松坂肉が届く。いつもは年末にお歳暮で届くのだが、もう長いこと大阪公演はしていないの に、まことに有り難い。

 あと、扶桑社の『日本オタク大賞2004』がやっと完成して届く。毎回々々、アクシデントで発売の延びる本である。ざっと読んでみたが、昨年のものより遙かに読み応え(データ量という意味だけではなく、発信している意図という意味で)ある内容にまとまっているのではないか、と思う。今回、私も岡田氏も“敢えて”問題発言をいろいろしている部分があるが、それはあくまで現場における仲間ウチのダレ展開になることを嫌ってのもの。本を構成した岡野キャプテン、プロデュースした柳瀬くんの二人の持っている問題意識の現れがカタチになった、と思っていいだろう。ことに岡野さんのあとがきは、もうちょっとそこらへんオボメかしてもいいのに、と思うくらい、作り手の思いをダイレクトに語って、現在のオタクシーンの問題点を浮き彫 りにしている。ここだけでも読む価値はあるかもしれない。

 おとつい、“『CASSHERN』は試写会でなく金払って観て、言いたいことを言う”と日記に書いたが、マスコミ試写の案内が来てしまった。タダで観て、はたして言いたいことが言えるかどうか。まあ、別にそんなにシリアスにかまえることもな いけれども。

 4時、時間割にて村崎百郎氏と社会派くん対談。こないだの対談に、村崎さんの大ファンという女性が、ぜひ対談現場を見学したいというので付いてくるはずだったのが都合でNGになり、今度こそは、と今回同席の筈が、また、飼っている犬が危篤になったとかで来られず。村崎さん、“やっぱり、俺たちの対談聞きに来ようなんてこ と考えるオンナは祟られているんじゃないか”と。

 6時まで対談。帰りに時間割のマスターからちょっと苦情食う。てっきりこのような店でああ大声で鬼畜な話をしてゲラゲラ笑っているのは困る、ということかと思ったら、全く違うこと。私の責任じゃないことだったんでよかったが。帰宅して、半チクな時間をダラダラと。と学会東京大会のタイムテーブル表作成したり、またスカイバナナとのミーティング日取りを連絡したり。昨日の竹内義和さんから紹介の朝日は大阪支局だった。雑学ムーブメントについて一言お話を、との依頼。朝日からこのところ原稿やコメントの依頼頻々。村崎さんに言わせると“そりゃ、取り込もうとされ てんだよ!”とのことである。

 8時、バスで帰宅。バス通勤始めて2週間と3日、やっと幡ヶ谷経由の中野行きバスに乗れた。これだと杉山公園前駅に停まるので、歩いて帰宅できるのである。9時晩飯。四谷の“まさ吉”の味をK子が母に再現させたイワシの天麩羅、あのつくんから以前貰った乾燥豆をもどした豆サラダ、三つ葉のおひたしなど。食べて酒のむと、後、家でやることが読書くらいしか無くなってしまうのはちと困る。早くDVDデッキとテレビを自室に備えつけねば。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa