裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

月曜日

ペヤング・オブ・ニューヨーク

 ニューヨークでも、味はまろやか〜。夢で、公会堂のようなところで行われているイベントに出かけたら、演壇に無理矢理あがらされ、女性司会者に何か話せと強要されて、仕方なく快獣ブースカのことなど話したら案外ウケて(女性司会者に一番ウケた)ホッとする、という体験。7割くらいは実際にあってもおかしくないシチュエーションである。7時半起床、寒い寒い。食事はK子にはコーンと野菜炒め、私は大豆とコーンのサラダ。ちょっとコーンの味が薄くて不満。紀ノ国屋で買ったものと東武 で買ったものの差か?

 昨日も出たが三才ブックスの『B−GEEKS』、またパラパラやっていたら、坂口亜紀の映画コラムで、アンソニー・M・ドーソンが去年死んだ(11月)と書いてあった。あわててネットで検索したら、ビデオマーケットでもドーソン追悼とかやっているじゃないですか。ショック、とまで言うとウソになるが、いわゆるマカロニの名に恥じぬ、感動的なまでにB級一直線のカツドウヤ人生は、私のあこがれみたいなものであった。ベトナムで人肉の味を覚えた兵士が帰国しても人を食いまくるようになるという、ストーリィを書くだけでも呆れ返るB級映画『地獄の謝肉祭』とか、槍に突き刺された心臓がその穂先に引っかかって飛び出し、そこでまだドックンドックン動いているという『悪魔のはらわた』(監督表記はアンディ・ウォーホルの弟子のポール・モリセイだが、実質的監督はアントニオ・マルゲリティ名義のドーソン)だとか、とにかく良識だの質だのに一切こだわらない見世物的演出を、しかもオタク的でも職人的でもない“商売人気質”で(“撮影に入る前にチェックするのは小切手の後ろのゼロの数で、シナリオなんかじゃない”という名言を吐いている)撮りまくった人であった。死去を伝える下記サイトでも、彼の肩書きは“PROLIFIC(多 作な)FILM DIRECTOR”となっている。
http://www.senseofview.de/newsticker.php?read=110

 まぎらわしい名に『ダイヤルMを回せ』のハサミで刺し殺される殺し屋や、『ドクター・ノオ』のデント教授、さらに『ロシアより愛を込めて』・『サンダーボール作戦』のブロフェルドの後ろ姿などを演じたベテラン俳優アンソニー・ドーソンがおり(彼は1992年に死去)、確か70年代に、TVの洋画劇場で彼の『惑星からの侵略』を見たときも、解説者が“この監督は007映画にも出ていて……”と言っていた記憶がある。しかし、それでまあ、名前が脳裏に焼き付いたことは確かで、怪奇映画ファンにはもはや昔がたりの、1986年、九段のイタリア文化会館で行われたイタリア映画上映会(チネテーカ・イタリアーナ)にわざわざ無字幕イタリア映画を観に出かけて行ったのも、ドーソンことマルゲリティ監督の『幽霊屋敷の邪淫(プログラムのタイトルは『死の舞』だった)』が上映されると知ったからだった。やや太り気味の、あまり似ていないエドガー・アラン・ポーが狂言回しになっていたその映画は、アンニュイ感あふれる幻想ムードの上質な怪談に仕上がっており、もっとB級の怪奇映画を予想していた私に、思わぬ感心をさせてしまった。そう、このヒトは同じB級監督でも、エド・ウッドのように、作ったものが結果としてB級になっているのではなく、最初からB級映画をめざして作っている、実は才能ある人なのであった。商売人監督として長年の間、通用してきたのは、乱作の底に安定した質のものを送り出し続ける技術が彼にあったからである。信じられない、信じたくないという人も多いと思うが、しかし、彼の才能は私ばかりではない、もっとウルトラ級の大物が認めている。かのスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を撮る際に、スタッフとして手塚治虫を招こうとしたのは有名な話だが、そのとき一緒に呼ばれていて、一緒に断ったのがこの、アンソニー・M・ドーソンなのである。何故か手塚ファンはその事実をあまり語りたがらないのであるが。

 窓外から見るだけで冷たそうな雨が降り続ける。体全体が鉛になったように重い。ワープロ打つ指もぽつん、ぽつんという感じ。外に無理矢理出て、舌郎で牛たん定食食べるが、他にどこにも寄る気分にならず、帰宅。珍しい。猫は相変わらず歩いては こけ、歩いてはこけ。

 本日1月27日は実はある記念日であって、何の記念日かというと、2000年の1月27日にこの裏モノ日記のタイトルが初めてダジャレになり(第一回のダジャレタイトルは『ア・プリオリ産むがやすし』)、それから今日がちょうど三周年なのであった。サイトにダジャレを掲示する、という試みはすでにあちこちで行われていたものだが(冬樹蛉氏のサイトとか)、毎日々々、倦まず休まず三年間連続というのはそうないのではないかと思われる。別に自慢にはならないが。途中、“日本語の中の全ての同音異義語は使い果たしてしまったのではあるまいか”などという妄想に襲われたこともあったけれど、最近はもうコツをつかんだか、呼吸のように自然にダジャレがわき出てくる、という感じ。なんでダジャレか、とよく訊かれるが、ひとつにはまったく意味のないナンセンスを毎日、冒頭に置くことで、変に理屈ぽくなったり、または毒がきつすぎたりしがちな内容を、タイトルの馬鹿馬鹿しさが中和してくれれば、という目論見がある。ダジャレの“駄”の面白みがわからぬ人は入ってきてはいけませんよ、という暗黙の提示でもある。どこまで続くか、と今年の冒頭に書いたけれど、どんな無意味なことでも十年続ければ価値が出る、というのが私の持論。出来ればあと七年は、このダジャレタイトルを続けていきたいと思っている。

 仕事、やりかけては放棄、またやりかけては、の繰り返し。気分転換にとお気に入りを整理してみたりなんだり。昨日の『弾丸特急ジェット・バス』について、三人もの日記読者から、よくこそ取り上げてくれました、とメールが来た。隠れファンの多い映画だと見える。監督のジェームズ・フローリーは『刑事コロンボ』のエピソードをいくつか演出している人。そう言えばボブ・ディシー、ルース・ゴードン(『死者のメッセージ』の犯人役)など、コロンボがらみの人が出演していたな。ホセ・フェラーもそうか。あと、この映画がアボリアッツ・ファンタスティック映画祭で受賞しているとは知らなかった。観客賞だそうだが。ちなみに、この年(77年)のグラン プリ作品は『キャリー』である。

 K子は猫のエサを煮とかして、それをスポイトで猫にやっている。献身的なこと。8時、雨が強くなる中、下北沢『虎の子』へ。こないだの日記でタケシさんと書いたバイトは実は“ジャイアン”で、今日来ていたのがタケシくんであった。よくわからん。ブリかま塩焼き、自家製塩辛、塩豚などで黒ビール、酒は牧水。カキと白菜の和風グラタン(醤油と山椒が隠し味だとか)が抜群にうまかった。雨、一時は洪水になるかと思われるほど。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa