裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

木曜日

バンパイア・ステート・ビルディング

 あの摩天楼こそ人民の生血を吸い取って建った資本主義社会のシンボルなのだッ。朝7時45分起床。頭が少々ズキズキするのはゆうべ日本酒を飲み過ぎたせいか。グレープフルーツジュースと黄連解毒湯を飲んで二日酔いざまし。朝食、K子にはモヤシとセロリ炒め。私はモヤシと菜の花を蒸したのに、モンキーバナナ。朝のうち、仕事場の暖房を切ってみる。夜の間の暖かみがあるので、さほど寒くもない。

 年賀状をチェックする。久しぶりによこした人の中に、以前、私が“こいつは”と目をかけた若いのがいた。いや、あの頃は若かったが、もう40代に足を踏み入れた年齢だろう。いろいろと仕事も紹介し、それなりにいい結果も出していたのだが、どうしてもモノにならず、沈下していった。去年は体を壊してろくに活動もできなかったらしいが、年齢的に言ってこれからまたブレイクする、というのは難しいのではないか。実に惜しい、と思う。

 彼が売れなかった原因ははっきりしている。プライドが高すぎたのである。才能ある若い者の、これは宿痾とでも言うべきもので、あたら輝く才能を持っている者たちが、これのおかげでどれだけ第一線から去っていった(あるいは第一線にもあがれずに消えていった)か、想像もつかない。彼もそのために、仕事先で必ずと言っていいくらい、トラブルを起こした。いい感じに進んでいるところとも、次の仕事、その次の仕事あたりで必ずケンカをした。扱いの問題である。ポッと出の新人に、最初から毎度々々いい仕事が来るとは限らない、つまらん仕事もくる、穴埋め的なものも回される。そうすると、相手に誠意がないと思いこんで、もうそことは関係したくない、とスネるのである。社会的常識がないというわけではないが、自分の自我を守るために肥大させてしまったプライドが、それを超越してショートサーキットしてしまうのである。また、自分と他者の差別化に必死で、結果として差別化はされたが結果は面白くない、ということになることもよくあった。一部のマニアなファンが病的な賛辞を送るのだけを、自分の真の理解者だと思い、そっちだけを見てやっているうちに、世間との感覚のズレがあまりにも顕著になってきた。

 彼もコレデハイカンと思っていたのだろう、生活のためと割り切って、つまらん目立たぬ仕事を敢えてとることもあった。ところが、そういう仕事をしていると、その最中に不安に襲われるというのである。こんなつまらぬ仕事で時間を浪費している間に、自分は(自分にふさわしい、本来回ってきてしかるべきの)チャンスを逃しているのではないか。そう考えて、小さい仕事は切り捨てているうちに、信用も、仕事先とのつながりも育てられず、忘れられていったのである。つくづく、若者にとり、余計なプライドは癌だ、と思えてならない。自分に自信を持つこととプライドは違う。プライドは自信のなさをカバーする鎧(しかも紙製の)にすぎない。最終的な部分での自信さえしっかり持っていれば、今の自分の状態などには鷹揚にかまえていられるものだ。……じゃあ、その自信をつけるためにはどうしたらいいのか、ということに なるが、そこらへんは長くなるのでまたいつか。

 午前中は、JCMのMくんと進めている本の企画書書きに没頭。1時過ぎに完成させて、Mくんの元へメール。うまい具合に進んでくれればいいと思う。昼飯は昨日青山で買ったアサリの剥き身で、深川丼を作って書き込む。

 2時、時間割へ。今年初打ち合わせ。河出書房新社AくんとA氏。以前より進めていた怪獣官能本企画、急に進行が中断してしまったのだが、種々事情あり、担当などを一新してA氏が後任につく。Aくんがオリたのは別にこっちの事情とは関係ないので、彼にもまだこの本には関わってもらいたい。雑誌『芸術生活』の話になり、“アレは面白い雑誌でしたねえ”と三人、意見が一致する。主流派の『芸術新潮』に比べアナーキーで、当時の最先端のポップアートを大々的に特集するかと思うと、原始美 術を取り上げたり、と感覚が翔んでおり、昔、そこで特集されていた図版の面白さに シビレて、なをきと二人、だいぶバックナンバーを揃えたものだ。当時(第一次及び第二次怪獣ブーム)近辺の美術界の流れを俯瞰するために、『芸術生活』はちょっとチェックしなくては、ということになり、今度Aくんと国会図書館まで出向くことを約束。

 そのとき話が出たが、以前河出で一緒にお仕事をした作家の某さん、いま、変なトラブルに巻き込まれている模様。うーん、河出であれだけ力を入れていたのに、惜しいものだ。ブレイク目前で。現在の状況がどうなっているのか、人づてに聞いてみなくては。とにもかくにも、怪獣本企画、再スタートを切れたのでホッとする。帰宅してから調べたら、『芸術生活』って、PL教団が出していた雑誌であった。

 他社との打ち合わせなどのメール連絡、多々。銀河出版Iくん、フィギュア王ヌカダさん、世界文化社Dさんなどなど。5時15分、家を出て、六本木へ。GAGA試写室にて『ボウリング・フォー・コロンバン』最終試写。途中で無性に腹が空いたので菓子パン一個買って、さて、と行ってみたら、15分前ですでに試写室満席ということで入れなかった。あちゃあ。追加試写があるということでチラシを渡される。配給会社の人とちょっと立ち話して、空しく帰宅。菓子パンは半分齧って捨てたが、そのあと妙に胸が焼けて往生した。

 家に帰って原稿を、と思ったが、一旦試写用に設定した脳がソッチ方面に切り替えられず、しばらくネットなど散策。『PRIDE』の森下社長自殺の報。FMWの荒井昌一も自殺だったが、格闘技界というのも、いくらブームでも(いや、ブームだからこそ)内情は火の車なのだな、と思う(女性問題で、と報じているところもあったが、ちょっと信じられぬ)。と、いうか、興業界というのは基本的に自転車操業であり、泥もかぶらねばならぬ、危ない橋も、渡るどころかその上で踊りを踊らねばならぬ。馬場も猪木もそういう場面は何十、何百と体験しているだろう。やはり今の世代はそういうところで線が細いか? 森下氏は哲学の博士号を持っているという異色の人物だったが、哲学はやはり机上の論理、実際社会では役に立たないものなのか。

 8時半、『華暦』でK子と夕食。以前この店に紹介したK子のアシスタントが、もう立ち働いていた。以前の子(ママさんの娘?)に変わり、彼女ともう一人女の子が入ったが、慣れないために、ママもなかなか神経を痛めているようである。長続きすればいいが。刺身盛り合わせにアジ塩焼き、春野菜の天ぷらなどで熱燗。刺身が相変わらずうまい。赤身を頼んだら、サービスで半分を中トロにしてくれた。舌の上でとろける。ママが自分で仕入れてきたという黒鯛もコリコリしている。アジ塩焼きは絶品。まあ、刺身用のものを無理言って焼いてもらっているんだから当然か。K子と、昔のマンガ家の話などで盛り上がる。K子のところの古参アシのGさんの親戚に、昔小学館の看板作家だったこともあるT・Rがいるのだが、Gさんが遊びにいくと、彼女はいつも庭の木に登って逃げたそうである。対人恐怖症だったらしいが、何も木に登らなくても、猫じゃあるまいしと笑う。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa